そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
ようこそ!
このブログにご訪問いただき、ありがとうございます!

まこな。png
ブログ管理人(ライター、デザイナー兼務)の『まこな。』と申します。
回りくどいこと言ってますが、要は「一人でやってる」ってことですね


このブログは2015年4月下旬に「気づかれないうちに・・・【日記とか戦国とか】」のタイトルで始まり、

2016年4月で開設1周年を迎えるのを機に、現在のタイトルに変更しました。


タイトルの「雑食系」というキーワードの通り、管理人の日記から日々思ったこと、

管理人の好きな戦国時代やFX(外国為替証拠金取引)のネタまで、

幅広いテーマでほぼ毎日更新しています。

また、ときどき数日間連続で特集記事を書くこともあります。

【過去の特集記事(リンク)】

「戦国時代の中国地方」(全17回)

「なるはやで戦国時代を知る10章」(全11回)

「2015年末特番・下剋上列伝ランキング」(全11回)

【リンクについて】

このブログへのリンクは、自由に行ってもらってかまいません。

なお、リンクを貼る際にコメント等でお知らせ頂けますと、

私から相互リンクのお願いをさせて頂く場合もございますので、ご利用ください。


↓【広告】↓








【ブログランキング参戦中!】
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他日記ブログ まったりへ
にほんブログ村

【こんなブログもやってます】
戦国時代の出来事ブログ。(ライブドアブログ)

追記でまこな。の簡単な自己紹介を載せています。

興味のある方は「続きを読む」からどうぞ。

[ようこそ!]の続きを読む
【日常】今日は2件の用事をハシゴ。 雨を覚悟していたけどなぁ。

こんばんは。

それにしても蒸し暑いっすねー。 沖縄では、早くも梅雨が明けたそうです。

父は毎年この時期になると「沖縄はいつも、高校野球(の予選)が始まるのと同時に梅雨が明ける」と言いますが

今年はまさに今日が県大会の開幕日で、ドンピシャだったみたいで。 半端ないって(←言ってみたかっただけ)


ところで、今日はタイトルの通り、午前と午後で2件の行事に出てきました。

午前中は、ハローワークが主催の就職支援に関するセミナー。

午後は、以前の仕事で知り合った大学の先生による講演会。

どちらも2時間ちょっとかけて、いろいろな事を学ばせていただきました。

自分の生活や職探しに活かすのはもちろん、このブログでも応用できる部分は使っていこうと思います。


ただね、お天気の予想が若干はずれてしまったのが惜しかった。

昨日の時点で『土曜日はしっかり雨』と出ていたので(ブログにも書いた)、車で行ったんですよ。

しかし、実際に雨が降ったかといえば、お昼過ぎにパラパラと来た程度。

ちょうど会場を移動する時間帯だったので、車で来ていて結果オーライだったと言えなくもないですが。

それどころか、午後の講演会が終わって屋外の駐車場に戻ったら、太陽の熱で車内がしっかり温められていて

うっかり車の中に置きっぱなしにしていたお茶が、『あったか~い』になっましたから。


・・・そこ、『あったかいんだからぁ~~』とか歌わない!! ブログ主も使うのをためらったんだから(使っとるやないか)


えー、そんなこんなで外では市議会議員選挙(あす投開票)の候補者が、最後のお願いと称して大音量を振りまいております。

ここだけの話、『アンタが当選しようが落ちようが、市民の生活には大して影響ないヨ』という人ほど

必死になって名前を連呼してますが(本人には死活問題なのでしょう)、あと2時間半の辛抱です(選挙運動は投開票日前日の午後8時まで)。

もちろん、投票には行きますヨ。 市民の大事な意思表示の機会ですから、活用しないとネ。


では、今日はこのへんで。

にほんブログ村 その他日記ブログ まったりへ
にほんブログ村
【雑感】金と道具は貯めすぎ注意? 頭では分かっているんだけど。

こんばんは。

今日も梅雨らしさはほとんど無く、ずいぶん穏やかな天気になりました。

でも土日はしっかり雨が降りそうな予報・・・ お出かけの方は、対策をお忘れなく。


さて、今月に入って何度目だという感じで、ゲームの話になりますが。

いま、時間があるのをいいことに、昔遊んだのに途中で投げ出してしまった作品を攻略中です。

ジャンルとしてはRPG(ロールプレイングゲーム)で、エンディングまでの道のりが長いのは当然ですが

せっかくだからキャラを最高レベルまで育てようとか、アイテムを集めきろうなどと、また悪いクセが勃発中です。

「はよ仕事探せ!」と怒られそうですけど、明日はハローワーク主催の勉強会に行くので許してください(←誰に言ってるんだ)。


ところで、ブログ主のプレイスタイルとして『お金やアイテムを無駄遣いしない(できない)』が定着しています。

これは、私生活でも物をなかなか捨てられなかったり、「手放したら二度と手に入らないかも・・・」という不安を感じがちだったり

お金についても、母から事あるごとに「貯金をしておきなさい」と言われて育ったことも、ちょっとは影響しているかもしれません。

まぁでもそれ以上に、お金で買える便利なアイテムや強い装備に頼るより、自分で育てたキャラの能力で勝ち抜きたいという

ゲーマーとしてのプライド(やせ我慢!?)が捨てきれないのが原因かなぁ、とも思ったり。 

最近はゲームクリアを優先して難易度を下げることもありますけど、昔はそれをやったら負けみたいに思っていましたし。


で、いつの間にかお金は使い切れないほどの額が溜まっていて、アイテム袋(容量が決まっている)も一杯になって

新しいアイテムを手に入れるたびに『これ以上持てません、何か捨ててください』と注意されるというね・・・。

現代世界ではお金や物に不自由しない生活に憧れるのとは逆に、ゲームの世界ではわずらわしさを感じるというのが面白い(?)

不測の事態に備えて貯めておくのは必要だけど、いざと言う時に”パッ”と使えるかどうかってのが、その人の器を決めるのかも。

なので、今プレイしているゲームではどんどん強い装備を買って、アイテムも惜しまず使って、時短攻略を目指したいと思います。


そういえば、数日前に書いた足利義昭の手紙の件、他の歴史系ブロガーさんはほとんどネタにしてないな・・・ 全国紙じゃないからしょうがないか

逆に言うと”他ではなかなか読めない”話題なので、興味があったら探して読んでみてくださいな。

ページを下にスクロールするか、次のページに行ったら載ってると思います。

では、今日はこのへんで。

にほんブログ村 その他日記ブログ まったりへ
にほんブログ村
【日常】図書館はお金のかからないテーマパーク、とは誰が言ったか。

こんばんは。

本日も、市議会議員候補たちの選挙カーが大音量で走り回る米子市内からお送りします。

ワールドカップの初戦で日本代表が勝ったのは嬉しいですけど、記事にできるほど試合を見ていないし・・・

ただ、以前ブログで紹介した昌子選手(米子北高出身)が出場していたのは嬉しかったです。


で、今日の本題なんですけども。

2週間に1度の恒例行事となっている、市立図書館への散歩をしてきました。

梅雨の晴れ間が出て暑すぎず寒すぎずで、歩くにもちょうど良い天気で助かりました。

最初は『借りていた本を返すだけで帰ろうか』 と思ってましたが、どうせ来たからには何か読んどこうと思って

最近興味のあるテーマの本棚を何か所か回り、何冊かの本を手に取ってたら、最終的に5冊ほど借りてました(毎回こうなる・・・)。


それにしても、図書館に行くと毎回新しい発見があるというか、知識欲が刺激されます。

自分の興味や関心のあるテーマの本を手に取りがち、というのはネット検索も似ているのですが

本を手に持ったときの重さや紙の手触り、そしてページをめくる手の動き。 パソコンやスマホでは味わえない感覚があります。

そして、ページをめくるまで予想していなかったような『思いがけない知識』に出くわすのが楽しかったりします。

今日読んだ本だと・・・「スイートピーって、マメ科の植物だったのか!」とか

「緑茶と紅茶は知ってたけど、ウーロン茶は『青茶』とも呼ぶのか!」とか。

知っていた人からすれば『そんな事も知らんかったんかー!?』かもしれませんが、知らない事は誰にでもあります。

「本当の”物知り”とは、『知らないことは知らない』と正直に言える人間だ」という通り、「知らないことは恥じゃない」と声を大にして言いたいブログ主です。

もちろん、自分がそれに興味があって勉強したいと思ったら、とことん知識を追い求めていくといいとは思いますけども。

知らない事があるから、それを知った時の驚きや喜びは新鮮なものになる。 図書館に行くと、それが無料で味わえるわけですね。


というわけで、アナタも週末あたりに最寄りの図書館に足を運んでみてはどうでしょう?


・・・なんて結びは、このブログには似合わないですかね。 ともあれ、たまには読書をするのもいいモノですよ、と。

『今はサッカー観戦で寝不足じゃい!』という方には、無理にとは言いませんが・・・ 最低限の睡眠時間は確保しましょーね。

ではまた。

にほんブログ村 その他日記ブログ まったりへ
にほんブログ村
【戦国時代】その一通が運命を変えた・・・? 北畠具房と織田信雄の”その後”は。

こんばんは。

昨日は中途半端なところで気力と時間が切れてしまい、失礼しました。

ネットで偶然拾ってきた『足利義昭の直筆お手紙』のニュースについて、今日は続きを書きます。

なお、ブログ主の主観的な知識や推理がところどころ含まれますので、ここで読んだ全てを”真実”と思わぬようご注意ください。


では、昨日の記事のあらすじから。

広島県福山市の歴史博物館に寄贈された史料から、室町幕府15代将軍・足利義昭の直筆とみられる手紙が見つかりました。

織田信長の次男・信雄を養子とした(異説もある)伊勢の武将・北畠具房に宛てたもので、要約すると『京へ戻るため力を貸してほしい』という内容。

幕府の将軍として具房より格上だったはずの義昭が、手紙の中では相手を敬った丁寧な表現を使っているのが特徴で

これまでに確認されている約220通(!)の手紙の中でも、同様のものは5通しかない”非常に珍しい”史料だということです。


これらの情報を受けて、昨日の記事では『北畠具房(きたばたけともふさ)とは何者か?』として

戦国時代の伊勢を治めた『国司・北畠氏』の生い立ちと成長、そして織田信長に伊勢の支配権を乗っ取られるまでを紹介しました。

具体的には織田家との戦に負けて(『実は負けてない』という説もある)、信長の次男・信雄(のぶかつ)に北畠家を継がせることを約束させられ

信雄を養子にもらった(とされる)具房と、その父で隠居の身だった具教(とものり)は非常に肩身の狭い立場に追いやられた、というお話です。


こんな”悲惨な状況”だったにもかかわらず、義昭がなおも北畠家を頼りにした理由は何なのか。

あまり深入りすると収拾がつかなくなりそうなので、手がかりになりそうな情報を一つだけ。

この手紙が書かれたと推測される1576年9月という時期は、義昭が備後(広島県)の”鞆の浦”に落ち着いた直後。

その頃京都では、信長が自身の権力基盤をより強固なものにするため、朝廷や貴族への働きかけを盛んに行っていました。

義昭を追放して室町幕府を”滅亡状態”に追い込み、また既存の権威に否定的な態度を取り続けた(とされる)信長であっても

日本に天皇や朝廷の存在がある限り、その意向を無視して政治を行うことはできませんでした。

その中で自分の意見を通しやすくするために、表向きは朝廷や貴族の要求に応え、より高い官職を賜ることが必要だったのです。


その甲斐もあってか、信長は1575年11月(当時の暦)に『右近衛大将』という官職を得ることになります。

『近衛(このえ)』という言葉の通り、本来は天皇やその住まいを警護する役目を意味する役職ですが

それが転じて「その時代で最も権力を持つ武士」に与えられることもあり、信長もそういう存在だと認められたということです。

しかも、当時の義昭の官職はこれより低い『左近衛中将』であり、信長は義昭を下に見る地位に昇進したことにもなります。

義昭は依然『征夷大将軍』ではありましたが、この肩書はあくまで『武士の世界でのトップ』という意味合いに過ぎず

朝廷や貴族まで含めた『中世日本の政治の世界』においては、信長の方が格上となったのは間違いありません。


・・・ずいぶん話が飛んでしまいましたが、この事実からブログ主が推測することは。

信長が自分より格上の存在になってしまった事を意識して、義昭は今回の手紙を書いたのでは・・・と。

協力を依頼した北畠具房の父・北畠具教は隠居の身とはいえ、朝廷から高い官職を賜っていた武将である。

軍事力では信長に敗れたとはいえ、彼を味方につければ朝廷への働きかけが有利になることが期待できる。

また、織田軍に敗れて不遇の身になってしまった事から、信長に対して敵対心を持っていることも共通している。

信長に敵対した大名が次々と滅ぼされる中、まだ生き残っている北畠家には協力を持ち掛ける余地がありそうだ。

ただ、今は信長より格下になってしまったので、『将軍』として上から目線の手紙を送ると、信長に目をつけられるかもしれない。

あえて丁寧な表現や敬称を使って相手の警戒心を解き、その上で相手がどう動くか様子を見ることにしよう・・・。


前述の通り『現存するだけでも220通』の手紙を書き、各地の大名や武将に送ったことから『お手紙将軍』なんて異名もある義昭。

相手の立場や境遇に合わせて、文面や表現を巧みに使い分けていた姿が思い浮かびますが、実相はいかに・・・??


しかしながら。

義昭が心を砕いてしたためたこの手紙が、功を奏することはありませんでした。

手紙が書かれたとされるわずか2か月後、北畠具教は無残にも殺害されてしまうのです。

信長の命を受けた信雄が、軍勢を率いて具教の滞在する館に押しかけ、息子や家臣もろとも討ち果たしたといいます。

『具教は剣術の使い手で、最期の瞬間まで刀を振り回して奮闘した』という、どこかの将軍みたいな逸話もあったりする)

また、別の城にいた具房もほどなくして身柄を拘束され、3年間”軟禁”されたのち、1580年に34歳で死去しています。


信長がこの”凶行”に及んだ表向きの理由は『武田信玄と密約をして、”信長包囲網”に加担していたこと』だとも言われますが

今回の手紙のタイミングが”良すぎる”ことも考えると、信長には筒抜けだったんじゃなかろうか・・・なんて思ってしまいます。

それに、仮にこの手紙が”きっかけ”の一つになったとして、それが起こらなかった未来を想像すると(『歴史に”もしも”は禁句』は分かっているが)

後に羽柴秀吉と対立し、徳川家康にすり寄りながら、織田の家名を後世に残した信雄の人生も違うモノになっていたのかなぁ・・・と思ったり。

まぁ何か問題があれば、それは『三介殿のなさること』として大目に見てやってください(←伝わらないボケをするな!)


以上、『久々に戦国モノを書いたら、チカラ入って前後編になっちゃいました』の巻、おしまい。

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村