そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
日記、雑談、戦国、FX・・・まだまだ増えるかも? 気の向くままに言葉をつづります。
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ブログ管理人(ライター、デザイナー兼務)の『まこな。』と申します。
回りくどいこと言ってますが、要は「一人でやってる」ってことですね


このブログは2015年4月下旬に「気づかれないうちに・・・【日記とか戦国とか】」のタイトルで始まり、

2016年4月で開設1周年を迎えるのを機に、現在のタイトルに変更しました。


タイトルの「雑食系」というキーワードの通り、管理人の日記から日々思ったこと、

管理人の好きな戦国時代やFX(外国為替証拠金取引)のネタまで、

幅広いテーマでほぼ毎日更新しています。

また、ときどき数日間連続で特集記事を書くこともあります。

【過去の特集記事(リンク)】

「戦国時代の中国地方」(全17回)

「なるはやで戦国時代を知る10章」(全11回)

「2015年末特番・下剋上列伝ランキング」(全11回)

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追記でまこな。の簡単な自己紹介を載せています。

興味のある方は「続きを読む」からどうぞ。

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【戦国時代】シリーズ「落日」第3章・2 臣として、友として ~将軍・義輝を支えた男、細川藤孝~

こんばんは。

今週の土曜日も、連載シリーズ「落日 ~室町幕府、終焉への道~」をお送りすることができます。

記事で扱う時代もかなり下ってきて、取材に使う本やネットの情報量が増えてきたのは助かるのですが

それがかえって取捨選択と文章の編集を難しくしている面もあり、納得して頂ける内容になるかどうか不安もあります。

ですが一度始めた手前、尻切れになるのはもっとみっともないので、そこは頑張っていこうと思います。


さて、前回の記事からいよいよ第3章「最後の煌(きら)めき」に入ったわけですが

今日の記事では、一向に収まらない足利将軍家と細川管領家を中心とする権力争いから少し距離を置いて

この後の記事でも”キーパーソン”として活躍することになる、ある一人の武将を紹介したいと思います。

すでにタイトルにも名前が出てきていますし、これまでに紹介した人物に比べれば知名度も圧倒的に高いですので

細かい説明は抜きにして、さっさと本題に入ってしまいましょう。


1536年、室町幕府12代将軍・足利義晴の嫡男(跡取り息子)として生まれた足利義輝(よしてる※)

11歳になった1546年に、父・義晴から足利家の当主の座と将軍の地位を受け継ぎ、第13代将軍となりました。

(※)幼名(子ども時代の名前)は”菊童丸”、また将軍就任当時は”義藤(よしふじ)”と名乗った。

”11歳”というと、まだ子どものようで時期的に早い印象を受けるかもしれませんが、これには事情があります。

実は以前の記事でも触れた通り、義晴自身が将軍位に就いたのが11歳の時でした。

”自分が11歳の時でもできたのだから、任せても大丈夫だろう”と義晴が思ったかどうかはわかりませんが

早めに跡継ぎを決めておけば、”何かあった時に自分が助けに入れる”という利点もあったのかもしれません。


なお、義輝が生まれた3年後、後に”室町幕府最後の将軍・足利義昭”となる義輝の弟が生まれますが

彼は足利家代々の慣習に従い、お寺に預けられ武士ではなく僧侶として育てられることになります。

しかし、その運命が大きく捻じ曲げられることになろうとは・・・ と、これ以上のネタバレはやめて、話を進めましょう。


元服して”一人前の武士”となったばかりの『少年将軍』義藤の支えとなったのが、今日の主役でもある細川藤孝です。

名前を見ると分かる通り(この記事を参照)、”藤”の字は細川家の主君となる義藤から頂いたものです。

ただちょっとややこしいのが、藤孝は”細川”という苗字を名乗ってはいますが

「細川晴元」や「細川高国」、「細川政元」などこれまで大量に出てきた”細川家”の一族とは、また別の分家の人間だということです。


しかも彼の父親とされる『三淵晴員(みつぶちはるかず)』という人物も、元は”細川”の苗字だったのですが

他の家に養子に入れられて息子の藤孝を授かったのち、その藤孝を細川家の当主だった自分の兄の養子にするという

もう何というか、文章だけでは到底説明しきれない複雑な背景を持っているというだけ知っておいてもらえれば良いです。

(おまけに、巷の噂では「藤孝の本当の父親は、足利義晴」という説まであり、創作モノでは”義輝と藤孝は兄弟”なんて設定もあったりする)


この細川藤孝という人物は、戦国時代ファンの方なら一度は耳にした経験があろうかというほど知名度が高く

特に和歌・文芸の分野で著名な功績を遺したことでも知られておりますが、それはまだ当分先の話。

1534年に生まれた藤孝は(記録が正しいならば)義藤、のちの義輝より2歳ほど年上で

史料によると1549年、藤孝が16歳の時に”直接の主従関係”となったとされているようですが

先に紹介した三淵家、さらにその元となる(藤孝の先祖の)細川家が代々室町幕府に仕える家だったことから

義藤と藤孝の間にはそれ以前、おそらくは元服前から互いの父親を通じて面識があったのだろうと思われます。

菊童丸(義輝)が元服して”義藤”と名乗ったのとほぼ同時期に、”藤孝”という名前を名乗ったのもその関係の深さをうかがわせます。

これも想像の域を出ませんが、義藤にとって藤孝は生粋の家臣であり、同時に”頼れる兄貴分”という存在だったのかもしれません。

そして、のちに義藤改め義輝、そして室町幕府に災難が降りかかるとき、藤孝がその窮地を救う働きを・・・ おっと誰か来たようだ


というところで、今日は短めですがこれで終わりです。

次回は再び細川晴元が登場し、政局が荒れに荒れていきますのでお楽しみに(←おい)

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【日常】良い休み方、とは。

こんにちは。

シフトの関係で毎週水曜日は仕事が休みです。

ここ数週間は、朝からブログ用の歴史ネタをこねこねしていると、あっという間にお昼になってしまいます。

そこまで苦になる作業ではないですけども、お昼までかかるのはちょっとキツイかなと・・・。

仕事が終わってから寝る前までの時間も活用すべきなのか、でもブログにそこまで時間をつぎ込むのも・・・ うーん。


それから昼食と夕食の買い物に行って、昼食を済ませた後は基本自由時間にしていますが

これといってやりたい事がある訳でもなく、かといってがっつりゲームをするには時間が足りない気もして、

今一つ消化不良気味な過ごし方になってしまう感じがするのが、贅沢な悩みといえるかもしれません。

いっそダブルワークか、在宅でできる副業の方法でも模索してみるか? なんて思ったり。

それでも心身の健康を維持するのが最優先なので、今のサイクルはそれなりに望ましいのかも。

ただゴロゴロとしているだけで、疲れが取れるという単純な話ではなくなっているんですよね。

「せっかくの休みだったのに、アレもコレもやればよかった!」と思わずに済むように

やりたいと思った事はどんどんやっていった方が、充実感が得られるのかもしれないと思いました。


それではまた明日から、それなりに仕事を頑張ってきます。

願わくば明日のブログにて。

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【その他】旅の空から・2

こんばんは。

昨日に引き続き、長野県からお送りしています。

気ままな一人旅ですので、気楽な面もありますが

時間が限られている分、焦りもあったりします。


というか、今スマホから記事を書いているのですが

ちょっと操作がおかしくなってまして、

うまく文章が書けない不具合があります。

なので、細かい報告は地元に帰ってからになりそうです。


ちなみに明日は、諏訪の神様に挨拶してきます。

無事に行って帰って来れるよう、気をつけます。


では、また。

【真田丸】第14話視聴。

こんばんは。

月曜恒例、大河ドラマ「真田丸」レビューのお時間です。


前回の「第1次上田合戦」が終了して「青春編」が一段落し、

今回から天下人・豊臣(羽柴)秀吉が登場する「大坂編」に突入です。

信繁(幸村)と真田家を待ち受ける、新たな運命とは・・・?

それでは第14話「大坂」のあらすじ、いってみましょう。


・上田合戦が真田家の勝利に終わり、越後・春日山城に戻った信繁。

 越後の国主・上杉景勝からは温かい労いの言葉をかけられるが、

 最愛の妻・梅を亡くした悲しみと後悔の念は消えなかった。

 近習の矢沢三十郎の叱咤もあり、何とか前を向こうとする信繁であった。


・一方、真田軍に大敗を喫した徳川家康は激怒。

 上田城への再攻撃を計画していたところに、まさかの知らせが届く。

 家康の腹心であった石川数正が、秀吉に寝返ったというのだ。

 徳川軍の内情を知り尽くした数正が秀吉については、真田攻めどころではない。

 家康は信濃から兵を退かざるを得ず、さらに秀吉の侵攻におびえることになる。

 数正出奔の影には、家康に捕えられた昌幸の弟・信尹の存在があったという。


・本能寺の変の後、明智光秀や柴田勝家を破った羽柴秀吉は

 摂津国・大坂の地に巨大な城を築き、関白に就任。

 源氏や平家に並ぶ「豊臣」の姓を賜り、権勢を誇っていた。

 秀吉は全国の大名に上洛(京へ行くこと)を求め、忠誠を誓わせようとする。

 多くの大名がこれに従う中、東国の有力者の対応は割れた。

 関東の北条氏政は上洛を拒否し、秀吉には従わない姿勢を見せる。

 真田昌幸は秀吉の真意を見極めるのが先決として、結論を先送りした。

 そして、上杉景勝は越後を守るため、上洛を決意する。

 その道中には、側近の直江兼続と信繁(+きり)が同行することとなった。


・信繁は景勝らに従って上洛、その後大坂城に入る。

 その間、多くの新たな出会いがあった。

 真田にそそのかされ、居場所を失くしたと嘆く数正。

 有能ながらも、人を不快にさせる何かを持つ石田三成。

 さらに、いきなり信繁に「好みの顔」と言い放った少女・茶々。

 そして、信繁と秀吉の初対面は、予想もしない形で始まった・・・。



というわけで、「大坂編」の初回はなかなか見応えがありました。

秀吉と諸国の大名・領主たちによる駆け引きもですが

登場人物がそれぞれ置かれた立場で思案や苦悩に揺れる姿も印象的でした。


重臣の裏切りという不測の事態により、恐怖におびえる家康。

「義」という理想を持ちながら、現実とのギャップに思い悩む景勝。

弟・信繁を高く評価する父に対し、悶々とした気持ちを抱く信幸。

慣れない子育てに追われ、身も心も疲れ果てたきり。

前回までに舞台から消えていった武田勝頼や滝川一益、室賀正武、そして梅も・・・。


戦国時代というと、凛々しい武将や華々しい合戦のイメージが先行しますが

実際はほとんどの人にとって先のことが見通せない混沌とした時代であり、

そこに生きていたのは『生身の人間』であったのだな、と思い知らされます。


後世の私たちは結末を(一応)知っているので、落ち着いて見ていられますが

「先が見えないからこそ、誰もが必死に生きている」

信繁が数正に言ったこのセリフは、当時を生きた人々の本音であり

現代にも通ずるものがある言葉なのかもしれません。


次回は、信繁と秀吉がどんな化学反応を見せるのかに注目ですね。

また、某戦国ゲームでは『同志』として描かれる信繁と兼続・三成の関係も気になります。

「見逃した」という方には再放送(土曜日 午後1時05分~)もあるので、ぜひぜひ。


それでは、また明日お会いしましょう。


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