そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【旅日記】ブログ主、大阪へ行くの巻。 ~後編とエピローグ~

こんばんは。

今日は昨日に引き続き、月曜日に行った大阪旅行の道中記・後編をお送りします。

※旅に出たいきさつと、道中記の前編は【こちら】からご覧になれます


さて、同行していた母と別行動することになった私は、どこへ向かったかというと。

20180514 に

【前編】でご紹介した”あべのハルカス”の展望台からも見ることができた、大阪伝統のランドマーク。

大阪に行った事がない方でも、おそらくその名前は聞いたことがあるでしょう。 『通天閣(つうてんかく)』

せっかく大阪に来たのだから足を運んでみようと、劇場(の近くの真田幸村の石碑)からの道筋をスマホで検索しました。


それに従って、一部の業界(どこ?)では『西の秋葉原』と称されるサブカルチャーの街・日本橋(にっぽんばし)を散策しつつ

前の仕事で鍛えた自分の脚力を信じて、ひたすら歩くことおよそ1時間(これが後に悲惨な事態を招くが)。

大通りに面したビル街から小道へ入り、『新世界』と呼ばれる界隈から見上げた通天閣はこんな感じ。

20180514 ほ

当然ながら、山陰地方にはこれだけの存在感を放つ建造物はありませんので、新鮮な驚きがありましたね。

タワー部分は地上5階+地下フロアという構造で、4階と5階が展望台になっており、他は資料室やお土産屋さんなど。

スタッフさんがちょいちょいボケをはさみつつ記念写真を撮ってくれる(※)コーナーもあり、楽しめました。 (※)気に入った写真は購入も可能


あと、これは完全な偶然ですけど、こんな”出会い”もありました。

20180514 と

20180514 ち


福岡から出てきた”猿回し”の芸人さん(とお猿さん)による、15分ほどのパフォーマンス舞台。

写真に出ている『2足歩行』や『高跳び』の他に、竹馬に乗って歩いてみせたりもしていました。

芸人さんの顔が思いっきり映っていますが『どんどん拡散してください!』とご本人が言っていたので、遠慮なく載せます(笑)

犬や猿など動物に芸を仕込むのは大変そうですし、それ以前に関係が築けていないと、言う事を聞いてくれないですからねぇ。

舞台に上がるまでには、多くの時間と忍耐力を費やしてきたんだろうと思いながら、感心して見ていました。


余談ながら、私は『世界に3組しかいない』という【”ネコ”のサーカス】を見たことがあります・・・

20180514 る
※画像はイメージです。実在の団体とは関係ありません。


閑話休題。

本場の”芸人魂”と”大阪の味(たこ焼き)”を堪能した私は、もう一つの”目的地”へ。

通天閣とあべのハルカスに挟まれた『天王寺公園』の構内にある、茶臼山(ちゃうすやま)です。

戦国時代に詳しい方には説明不要かと思いますが、そうでない方もいるので概要をば。

1614年から翌1615年にかけて、大阪城周辺を舞台に繰り広げられた『大阪冬の陣』『夏の陣』

江戸に幕府を開き、全国の大名に動員をかけた徳川家康が率いる総勢30万(諸説あり)の包囲軍と

”太閤”豊臣秀吉の遺児・秀頼と”天下一の城”大阪城に己の運命を託した牢人(ろうにん)衆を主力とする豊臣軍による、最終決戦。

当時の大阪城で地形的に最も守るのが難しいとされた南方面に、真田幸村(信繁)らの提案で『真田丸』と呼ばれる”要塞”が設けられたのは

2016年に放映された同タイトルの大河ドラマでも再現された通りで、記憶に新しい方も多いかと思います。


そして、現在の大阪城から見ても南側に位置する茶臼山は、攻撃側と防衛側の両者にとって重要な場所でした。

『冬の陣』では、この場所に徳川家康が本陣を置き、真田丸での戦況を見守っていたとされ。

『夏の陣』では、冬の陣の講和に際して真田丸を取り壊された後、家康の首を狙う真田幸村が陣を置いた場所でした。

20180514 り

・・・と、現地の案内板にも書かれています(わざわざ書かなくても良かったじゃん)


ウワサによれば大阪人の心境は断然幸村ひいきが強いらしく、この場所も完全に『幸村リスペクト』に占められていました。

標高26メートルの”山頂”には、幸村をイメージした”のぼり”や彼の伝承を紹介する看板が立つ一方、家康の情報は皆無でした。

20180514 ぬ



ともあれ・・・家康と幸村、どちらのファンにとっても当時のロマンに浸れる場所であり、一粒で2度おいしい名所と言えるでしょう。

20180514 を20180514 わ

さて、あなたはどっち派?


・・・というところで、大阪観光の記録は以上となります。

この後は、母を迎えに劇場まで歩き(またかよ)、2人して電車を乗り継ぎ、親類の家で1泊。

そして翌日の朝バスに乗り、およそ6時間かけて山陰まで帰ってきたというわけです。

実質は7~8時間ほどの滞在でしたけど、かなり濃密な時間を過ごせたんじゃないかと思います。

ただ、地下鉄代をケチって2万歩ほど歩いた代償か、今日になってもふくらはぎの筋肉痛が癒えませぬ・・・

しっかりタンパク質を摂って、早いうちの回復を目指したいところです。


というところで、久々に写真をふんだんに使った記事にお付き合いをいただき、ありがとうございました。

明日からは通常営業に戻りますので、またよろしくお願いいたします。


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【旅日記】ブログ主、大阪へ行くの巻。 ~プロローグと前編~

こんばんは。

今日は予告通り歯医者に行ったのですが、思ったより早く終わってひと安心。

おかげで、時間に余裕を持ってブログを書けるというものです。

では、昨日の伏線を回収すべく、今回の道中を振り返っていきますかね・・・。


さて、事の発端は前の金曜日。 ブログを更新し終えてまったり過ごしていると、実家の母から電話。

あいさつと近況報告もそこそこに、”ちょっとした相談”を持ち掛けられたのです。


『ねぇ、次の月曜と火曜なんだけど、大阪に行ってみる気はない?』  『大阪??』


事情を聞いてみると、母が大阪に1泊旅行をすることはずいぶん前に決まっていて、私も知っていたのですが

現地で合流して案内をする予定だった親類の都合がつかなくなり、一人で大阪の街を歩くのは心細いから、という話。

私もどうせ(例の書類が届くまでは)時間を持て余す身ですし、自分一人で大阪まで行くこともないだろうからと、二つ返事で承諾。

こうして、”寝耳に水”の大阪遠征への布石が整ったのでした。


日曜日に実家に戻り、月曜日は朝一番の出雲発⇒大阪(関空ではない方)行の航空便で1時間弱。

高校の部活の全国大会で東京に行った時以来、20年ぶりに乗った飛行機の余韻に浸りつつ、電車を乗り継いで大阪市内へ。

さすがは大都市(山陰から出れば大半の街は大都市だが)・大阪、目の前の電車に乗り遅れても5分も待ったら次が来るのはスゴイ。

これが山陰だと、松江や米子といったJRの大きな駅でも、時間帯によっては次まで30分以上待たされることもあるので・・・


まぁ楽しい旅行の話なのでグチはそこそこにして、どこに行ったかということですよ。

同行する予定だった親類オススメのお店で昼食をとり、食後の一服がてら(私のリクエストで)立ち寄ったのがこちら。

20180514 い

阪急電鉄・梅田駅ある商業施設の地下2階、レストラン街の一角にある『ポムポムプリンカフェ』

子どもや女性に人気のブランド『サンリオ』が展開する、同名のキャラクターシリーズの世界観を表現したお店です。


実は私、”ゆるキャラ”が流行るずいぶん前から、こういう”デフォルメされた動物系”のキャラクターが好きだったりします。

今はずいぶん冷めましたけど、大学の頃までは文房具とかグッズを買い集めたりしたものです(その一部は今も実家にあります)。

前日にスマホで旅の行程を”予習”していた時に見つけた私は『これは寄っときたい!』と思ったわけです。

キャラクター名そのものズバリの看板?メニュー『ポムポムプリン(税別500円)』を食し、店内の写真も撮らせて頂きました。

今回入った『梅田店』のほか、原宿・横浜・名古屋にもお店があるようですので、興味のある方は調べてみてはいかがでしょう。


という感じでお腹と心を満たしたブログ主と母親、電車に乗って次に向かったのは・・・

20180514 へ

写真を撮った時間軸がちょっと前後しますが、青空をバックにドーンとそびえたつビルヂング。

地上からの高さは実に300m。 ”日本一高いビル”として知られるあべのハルカスです(手前に広がるのは動物園)。

地上60階(288m地点)に設けられた展望室は四方すべてがガラス張りになっており、東西南北を広く見渡すことができます。

下に載せているのは”大阪城”のある北側の眺望ですが、見つけるのはなかなか難しかったです・・・(写真だとなおさら・・・)

20180514 は

高さのスケールは違うものの、戦国時代に天守閣から城下を眺める大名の気持ちを追体験できた気がします。


さて、この後はお目当てのお芝居を観る母親を劇場まで送って、その終演まで別行動となります。

劇場近くにあった”真田幸村(信繁)ゆかりの碑”(写真は昨日の記事に)を拝んで、次にブログ主が向かったのは・・・

というあたりで、そろそろ”やる気”が抜けてきたので、続きは明日に回そうと思います。

20180514 ろ

”大阪”らしくこんなツッコミが入ることを期待しつつ(すんな)、明日の後編&エピローグ(予定)をお楽しみに。


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【旅日記】急な旅から帰ってきました。 今日はとりあえず頭出しだけ。

こんばんは。

昨日の記事はスマホから&夜遅くの更新ということで、ご覧頂けなかった方もいたと思います。

頼みのツイッターもスマホの充電が持たなかったため、昨日の夕方以降は無言状態になってしまいました。

そんな中で、今日の記事は旅先からの生還報告と、明日以降の道中記のイントロだけ。


実は・・・昨日は人混みの中を2万歩ほど歩き、今日は今日でバスに6時間乗りっぱなしだったため

両足を中心に疲労がかなり蓄積してしまっておりまして、集中力もあまり続かない体たらくで。

今日はいつもより早く寝て、体力気力の回復を最優先にしたいと思いますので、どうかお許しを。


さて、そもそもブログ主はどこへ行っていたのか?? ほとんど情報を出しておりませんでした。

ヒントは、昨日の昼過ぎにツイッターにアップしていた1枚の写真。 分かった方はいましたでしょうか?

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形の整った細長い石碑に彫られた文字は【真田幸村緒戦勝利之碑】

戦国武将の中でも特に人気の高い、真田幸村(本名・信繁)が活躍した戦いといえば・・・!?


というあたりで、謎を若干残したまま、明日へつなぎたいと思います。

明日は明日で歯医者の予約を入れていて、もしかしたら更新が遅くなるかもしれませんが

貴重な旅の足跡をブログに残したい思いはありますので、どうぞお付き合いくださいませ。


では、今日はこれにて。

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【旅日記】新年度の穏やかな晴天の中、安芸国に行ってきました。 

こんばんは。

昨日のブログやツイッターでお伝えしていた通り、1泊2日の旅行に行ってきました。

実際は昨日の朝6時過ぎに鳥取を出て、今日の正午前には帰ってきたので『1泊1.25日』くらいなのですが(笑)

それでも2日間合計で7時間くらい車を運転して目と脳に疲れを感じたため、昼食後はちょっと昼寝してました。

では、いよいよ今回の目的地を明かすとしましょう(ツイッターではバレバレですが)。 

安芸攻城録1

『史蹟 郡山城阯』と彫られた石碑と、その横の案内板。(後ろの立派な民家は関係ありません)

これだけで”ピン”と来た方も(このブログの読者には)多いかもしれませんが、もう一つのヒント。

安芸攻城録2

立派な鎧兜を身にまとった、戦国武将の像。 そしてその下に書かれた名前は・・・


そう。 

わずか1代で中国地方のほぼ全域を支配する勢力を築いた、戦国大名界の”西の横綱”。 ご存知、毛利元就公その人です。

そして、ここは元就が毛利家の当主となってから亡くなるまで、一貫して本拠地とした『郡山(こおりやま)城』のある、広島県安芸高田市吉田町です。

一般的に、というか戦国時代ファンにとっては『吉田郡山城』の名で知られていますが、地元では単に『郡山城』で通っているのですね。

まぁこの城に関する細かいことは各自でググってもらうとして(いつものパターン)、ここからはブログ主目線からの(どうでもいい)情報を。


この(吉田)郡山城、現代の私たちがイメージする『お城!』的な、『天守閣』や『矢倉』のような建築物が残っているわけではございません。

「郡山」というくらいですから、元就の時代にお城があったのは山の頂上。 

商業や建築技術が進歩する戦国時代後期~江戸時代になると、平地でも充分な防御力を備えたお城も増えてくるのですが

元就が活躍していた頃は、地形的に『攻めにくく、守りやすい』山そのものを”お城”として改造することが多かったのです。

そのため、山のふもとにある博物館に併設された『郡山城の観光案内図』も、右半分の色の濃い部分はすべて”山”です。

安芸攻城録3

しかも、主要な観光スポットはほとんどがその山の上にあるという・・・ 3月までの仕事で足腰鍛えといてよかった(蒸し返すなよ)。


というわけで、博物館で”歴史のお勉強”をした後は、およそ2時間半かけて”城攻め”をしてまいりました(今の時期なら”ハイキング”ともいう)。

博物館で地図をもらったこともあり、迷うこともなく観光の名所を見物(というほど楽ではないが)、戦国時代に思いを馳せます。

その中から、スペースの都合もあって2点だけですが、ブログ主的おすすめスポットを紹介。


安芸攻城録4

一つ目は、ふもとから本丸(後述)に向かう途中、ちょうど山の中腹あたりにある『百万一心(ひゃくまんいっしん)』の石碑。

毛利元就といえば、3人の息子に遺した『三本の矢』の教え(史実かどうかは微妙)が有名ですが、この『百万一心』にもエピソードがありまして。

元就が城の工事を進めている時、何度作っても壊れてしまう場所があり、職人や住人が困っていたところ

元就が『この文字を石に彫って、基礎の部分に埋めてみよ』と命じて、彫らせたのがこの『百万一心』の四文字だとか。

実はこれ、漢字を分解すると『一日(百)、一力(万)、一心』とも読めることから

「毎日コツコツと努力し、心を一つに協力し合えば、できない事は無い」という元就のメッセージが込められており

それが効いたのか、石を埋めた後はその場所が壊れることはなく、工事は無事に完了したというお話になります。

(ただ、この描写は実際の逸話よりかなりマイルドに仕上げております。 怖いのが平気な方は『人柱』で調べていただければ)

私も写真でしか見た事がなかったので、実物を見ることができたのが嬉しかったです。 来てよかった。

安芸攻城録5

そして2つ目は、お山の頂上。 『本丸跡』という小さな石碑が立った、最も高い場所です。

繰り返しになりますが、現在の吉田郡山城には我々がイメージする『天守閣』的な建造物は残っていません。

なにしろ、元就の孫・毛利輝元が現在の広島市内にある「広島城」を建ててそちらに移り住んだ後、

江戸時代に入ってから『使わなくなった城を残す必要はない』と、建物の類はほぼ取り壊されてしまったので。

今も残るのは、本丸・二の丸・三の丸を分ける高低差と当時の石垣、そして険しい山道と木々ばかりです。

それでも、およそ500年前の元就がここからどんな景色を見ていたのかと考えると、胸が熱くなってきます。 どれ、私も城下を見下ろし・・・

安芸攻城録6

・・・と思ったけど、木々が元気良く育ちすぎて城下の様子は全く見えませんでした(涙)

実は山道を登る途中、ちょうど木々が途切れて城下を見渡せる”絶景!”と思った場所が1か所だけあったんですけど

「いや、ここより高い本丸跡からなら、もっといい景色が見れるはず!」と思って撮らなかったんです。 正直ちょっと後悔。

まぁでも、前から一度来てみたかった場所に来ることができて、嬉しさの方が強いですけどね。

次はどこに行こうか・・・ っとその前に、仕事見つけるのが先ですってね。 もちろんですとも。


では最後に、吉田の街で見つけた”かわいコちゃん”を紹介(旅先で何やってんだ)

安芸攻城録?

・・・って、人間じゃなくて”ゆるキャラ”でしたか。 私も初めて見ましたが。

帰ってから調べたら、安芸高田市の公式マスコットキャラクター『たかたん』だそうです。(詳細は市のホームページ⇒観光情報⇒たかたん)
 
着物には毛利家の家紋『一文字三ツ星』、たすきには『百万一心』、そしてイラストでは見えませんが背中には『三本の矢』

幼い子どもの姿をしていながら、何かにつけて元就をPRしているのが個人的にポイント高いです(知らんがな)。

考えてみればうちの周りで有名なのは”ねこ”やら”梨”やらで、人間の姿をしたゆるキャラはなかなか新鮮だった・・・かも。

次回は、会いたいゆるキャラ基準で場所を決めるのも・・・ だから仕事決めてからだって言ってるだろーが。


・・・はい、というところで今回の旅日記はひとまず終了。

明日以降は仕事探しと平行して、自分磨きもしないといけないですな。

それでも、ブログ自体はこれまで通り続けていけたらいいですけども。 どうなりますやら。

では、とりあえずはまた明日のブログで。

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【旅日記】長野旅・13話「決闘」

こんばんは。

日に日に朝晩の寒さが厳しくなっていますが、いかがお過ごしでしょうか。

ダラダラと書きつづってきた旅日記も、今日から4日目。

長野での日程を終え、鳥取への帰路につくことになりました。


もちろん、この前日に起こった大きな地震に対する

不安は抱えたままですが、こんな旅は一生に何度もできないので

土日をたっぷり使って、途中で寄り道をしながら帰ることにしました。

とりあえず、予約したホテルのある滋賀県彦根市を目指します。


3泊したホテルをチェックアウトし、長野市の中心部から車で15分。

長野観光の最後に選んだのは、やはりこの場所でした。

20161111192437159.jpg

歴史ファンでなくても、知っている方も多いでしょう。

戦国時代を代表する有力大名・武田信玄と上杉謙信(※)。

この両者が5度にわたってしのぎを削った、川中島の戦い。

その最激戦となった4回目戦いの主戦場・八幡原(はちまんばら)です。

現在、この一帯は公園になっています。

(※)4回目の戦いの頃は、上杉政虎と名乗っていた。


20161111192411033.jpg

大河ドラマ「真田丸」では触れられていませんが、

真田信繁(幸村)の祖父・真田幸隆(幸綱・一徳斎)も参戦したといわれていて

真田と武田のつながりを紹介する催しも開かれていたようです。


20161111192418722.jpg

公園の一角にある、八幡神社。

このあたりが、伝説に残る「一騎討ち」の舞台だったとされています。

20161111192425053.jpg

よく見ると、諏訪大社と同じ「タケミナカタ」神をまつっているようです。

上杉謙信が「軍神」の異名を持つ「毘沙門天」を深く信仰していたのはよく知られていますが、

信玄ら武田家にとっての「軍神」は、諏訪の神だったということでしょうか。


20161111192430776.jpg

1561年に行われた4度目の川中島の戦いの流れについては

以前のブログでも紹介したとおりですが、後世の創作である可能性もあるんですよね。

ただ、両軍ともに大きな被害を出したのは確かなようです。

謙信が単騎で武田軍の本陣に斬り込み、信玄がその太刀を軍配で防ぐ・・・

本当だったら、まるでバトルマンガの一場面のようですね(苦笑)

20161111192443620.jpg
「信濃を荒らす不埒者め! 毘沙門天の名のもとに、貴様を成敗いたす!」

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「笑止! お主のごとき若輩者に討てるほど、この信玄の首は安くないぞ?」

やはり、この2人が並ぶと絵になるというか、

江戸時代の人がいろいろ想像したくなるのも分かる気がしますね(笑)

写真やテレビでしか見たことのなかった場所に立てて、満足なのでした。


おまけ。
20161111192457864.jpg

この日は霧が出ていなかったですけど、お約束。(トイレです)

次回は14話「信州」ということで、長野編のラストになります。

お楽しみにー。



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