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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【再放送2019】 最終話『下剋上とは何だったのか?』

【はじめに】

この記事は、2015年の年末から2016年の年始にかけて連載した企画の再放送です。

内容は一部加筆修正を行っておりますが、あまり細かい事は気にせずお楽しみください。



そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~ Presents

  『これぞ戦国オールスター!

   怒涛(どとう)の下剋上列伝ランキングスペシャル・2019!』


【登場人物】
まこな。(文中「ま」):番組MC風でお送りしています。

誰ですかアナタは 「・・・(無言でこちらを見ている)」

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【ここまでのランキング】

10位(同率)  三好長慶 ・ 明智光秀

 9位      織田信秀

 7位(同率)  毛利元就・徳川家康

 5位(同率)  長尾為景・宇喜多直家

 4位      豊臣秀吉

(ランキング圏外の紹介⇒番外編

 3位      斎藤道三

 2位      松永久秀

 1位      ????


――――――
【下剋上列伝ランキング 採点基準】(各5点満点)

・立身出世度:その武将の最初の身分と最終的な身分との開きの大きさ
      (最初の身分が低い、または不明だと高得点)

・下剋上度 :倒したり追い抜いたりした相手の身分の高さ
      (相手の身分が高いほど高得点)

・権謀術数度:相手を倒した手段の巧さ、派手さ、ずる賢さ
      (計略や謀略を使って相手を倒した人ほど高得点)

・危険人物度:当時や後世の人から抱かれた評判やイメージの悪さ
      (悪い印象が強いほど高得点)

・人気知名度:その人物がどれだけ知られ、人気があるか
      (ドラマやゲーム等で後世の人気が高いほど高得点)

・繁栄存続度:その武将の大名家や子孫が繁栄したかどうか
      (子孫が大名として長く続いたほど高得点)
――――――



(CMが終わったつもり)

makonaga png

ま「・・・さて! 長らくお付き合い頂きました下剋上列伝ランキングも、ついにクライマックスです。」

  栄えある第1位、ブログ主が独断と偏見で選んだ『キングオブ下剋上』に輝いたのは!?」



デケデケデケデケ(ドラムロール)………  ジャンジャカジャーン!!


第1位 北条早雲(ほうじょうそううん)

 立身出世度:☆☆☆☆☆  昔は「どこの馬の骨だか~」

 下剋上度 :☆☆☆☆・  幕府の官僚から関東の群雄へ

 権謀術数度:☆☆☆☆・  謀略の逸話には事欠かない

 危険人物度:☆☆☆☆・  『下剋上の元祖』は悪名なのか

 人気知名度:☆☆☆☆・  立志伝に憧れた方も多いはず

 繁栄存続度:☆☆☆☆☆  北条氏は5代100年続いた



ま「下剋上列伝ランキング第1位は、北条早雲(ほうじょうそううん)。

  総合得点は、26点となりました。」


(ADからカンペが出る)

ま「えーと・・・『ここで、急きょ出演が決まった”スペシャルゲスト”をお呼びしましょう』・・・?

  『戦国時代から時空を超えてやってきた”笑いの下剋上コンビ”、「公家大名(くげだいみょう)」のお二人でーす』・・・???」



公家大名「「はい、どーもーーー!! (と言いながら小走りでスタジオ中央へ)」」

おかべカッター(え

???「ただいまご紹介にあずかりました、公家大名でーす!

     私は家来の”おかべ君”文字色、そしてこちらにおわすのが・・・」

誰ですかアナタは


???「”今川マロ11世”、でおじゃ。」

おかべ君(以下”お”)「というわけで、皆さん今日は顔と名前だけでも覚えて帰ってくださいねー!」

今川マロ11世(以下”今”)「ホッホッホ・・・(と言いながら右手に持った湯呑みをゆするフリ)」

ま「えぇ・・・(困惑)」


お「さて、殿。 今回のネタは、みごと”下剋上ランキング”の第1位に選ばれた、北条早雲殿ですね。」

今「うむ、やんごとなきマロの話術をもってすれば、足軽たちの笑いをとるなど他愛もない・・・ 面倒だから普通に喋るわ。

ま「いや、普通にしゃべれるんかーい!!(心の声)」


お「さて! テレビ(ブログ主注:パソコンかスマホも含む)の前の皆さんは、北条早雲殿のことをどのくらいご存じでしょうか?」

今「実は私自身もね、早雲さんにはお世話になったというか、早雲さんがいなかったら生まれてないかもしれないんですよねー。」

お「えー、殿が生まれてなかったら、私もこうして殿にお仕えしてなかったかもしれません。 どうしてそんなことに?」

今「まぁ私も生まれてない時の話ですけど、私のおじいさんのお嫁さんが、早雲さんのお姉さんだったらしいんですわ。」

お「つまり、おばあさんですねぇ。 名門だった今川家に嫁いで来る早雲殿のお姉さんは、それなりに位の高い女性だったんですかね?」

今「そうやね、少し昔までは『どこかの流れ者』みたいに言われてた早雲さんやけど、実はなかなかの家柄の坊ちゃんだったみたいですわ。」


お「で、それと殿が生まれてなかったかもしれないって話と、どう関係があるんです?」

今「ある日、おじいさんは隣の国へ合戦に出かけて、そのまま帰ってこなかったんですわ・・・」

お「昔話の始まりみたいに言ってますけど、大事件じゃないですか!?」

今「おじいさんの息子、つまり私の父になるんですけどね、まだ6歳だったので『跡継ぎにするには早いんじゃないか』って話になって。」

お「ほう。」

今「こんな幼子に今川家の当主は無理だーって言い出した”親戚のおっさん”が、勝手に今川家の当主として振る舞いだしたんですわ。」

お「そんな勝手な事をされて、殿の父上を産んだおばあさんは黙ってたんですかね?」


今「そこで、早雲さんの出番ですわ。

  自分のお姉さんが困っているのを放っておかず、すぐに京から駿河にすっ飛んできて、おっさんを説得しはったんです。

  『幼子であっても当主は当主、家来は家来。 身の程を考えて・・・』と言ったかどうかは知らんけど、なんとか丸く収まりまして。」


お「お姉さんのピンチに颯爽(さっそう)と現れて、トラブルをあっさり解決してみせる。 まるでドラマか何かのヒーローですねぇ。」

今「ただこのおっさん、早雲さんが京に帰りはった後にまーたゴネだして、怒った早雲さんに”ズバーっ”と…」

お「成敗されてしまいました、とさ。 めでたしめでたし。」

今「いや別にめでたくはないけども。 ひと一人死んでるから。」


お「そうそう、忘れるところでした。 今回のテーマは”下剋上”、ここはひとつ早雲殿の下剋上話を私めにさせてくださいな。」

今「おかべ君、ホンマにできるのー? 大事な役目ですよ?」

お「任せておいてください、昨日は徹夜してヤホーでウィキをエゴサーチしてきましたから。」

今「なんか分からんけど不安やわ・・・ でも本番始まってるからね、よろしく頼むよー。」


お「さて、先ほどの”おっさん退治”で今川家の重臣になった早雲殿は、駿河と伊豆の国境近くに自分の城をもらいました。」

今「ふむふむ。」

お「一方、伊豆の国には”室町幕府の出張所”みたいな機関があって、そこのお殿様だったのが『足利茶々丸(ちゃちゃまる)』です。」

今「戦国武将なのに、かわいらしい名前やね。」

お「しかし、この足利”じゃじゃ丸”にはちょっと複雑な過去があって・・・」

今「いや”じゃじゃ丸”って! ”茶々丸”ね! なんでそこ言い間違えるかな、ぴっころとぽろりを連れてこなあかんやん。」

お「茶々丸はちょっと”やんちゃ”な子どもだったそうで、父親は彼に自分の跡を継がせたくなかったと思っていたらしいです。」

今「はぁー、父親にそれだけ言わせるってことは、相当に”やんちゃ”やったんやね。」


お「で、そういう嫌な雰囲気を感じ取っていた足利”臥牙丸”がとった行動はというと・・・」

今「今度はお相撲さん出てきた! ジョージア出身の”ががまる”関! あと”ががが”って言いづらい!」

お「茶々丸は、自分より可愛がられていた弟とその母親(※茶々丸の母親とは別人)の2人を、”ズバーっ”とやっちゃったんですね。」

今「うわうわうわ! いくら戦国時代でも、平気でそんな事をできるもんなんですかね?」

お「で、そんな”事件”を起こした人物がお殿様とあっては伊豆の国がうまく治まるはずもなく、孤立していく足利”千代丸”。」

今「いやそれもお相撲さんだから! かわいい寝顔をSNSにアップしてる場合じゃないでしょ!?」


お「こうして混乱を極めた伊豆の国を今なら手中にできると、今川軍を率いて攻め込んだのが誰あろう早雲殿だったのです。」

今「やっと早雲さん出てきたねー。」

お「もちろん攻め込まれて黙ってはいられません、伊豆を守ろうと出陣した足利”武蔵丸”でしたが・・・」

今「ついに(元)横綱が出てきちゃったよ! 現在の武蔵川親方ね! いい加減お相撲さんから離れなさい!」

お「やはりというか早雲殿の采配と知略には敵わず、最後は”ズバーっ”とやられてしまった足利”真田丸”でした。」

今「オチだけ微妙に戦国ネタかい! というか途中から完全に茶々丸メインになっとったで。」


お「・・・と、この後も早雲殿の活躍は続くのですが、そろそろ善徳寺に出かけないといけないお時間です。」

今「む、もうそんな時間か。 あとは各自で調べて勉強”するが”良いぞ。 ”駿河”だけに。」

お「・・・ヤヤウケですね。」

今「やめさせてもらうわ。」

「「どーも、ありがとうございましたー!」」  (二人してスタジオの外へ出ていく)




ま「えーと、私たちは何を見せられていたのでしょうか・・・?」

ま「と、とにかく! 今回の戦国下剋上ランキング第1位は、北条早雲でした! おめでとうございます!」

ま「このブログでは、これからも”ちょっと変わった切り口”から戦国時代を解説していく記事を、作っていきたいと思っています。」

ま「今回の企画で紹介できなかった戦国武将も、また何らかの機会に取り上げることもありますので、ご期待くださいね。」


  最終回までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!

  また平常運転のブログでもお会いしましょう~!



『これぞ戦国オールスター! 怒涛(どとう)の下剋上列伝ランキングスペシャル・2019!』  


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【再放送2019】 第7話『これより三役…もといベスト3。 すごいよ!!マムシさん(とその親父)』

【はじめに】

この記事は、2015年の年末から2016年の年始にかけて連載した企画の再放送です。

内容は一部加筆修正を行っておりますが、あまり細かい事は気にせずお楽しみください。



そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~ Presents

  『これぞ戦国オールスター!

   怒涛(どとう)の下剋上列伝ランキングスペシャル・2019!』


【登場人物(一人二役)】
まこな。(文中「ま」):番組MC風でお送りしています。 両国国技館を生で見た(中には入れず)。
おっす!おら信長(文中「長」):ゲスト解説者という設定の、信長のまねっこ。
                   名古屋場所の客席で目撃情報があるとか、ないとか。


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【ここまでのランキング】

10位(同率)  三好長慶 ・ 明智光秀

 9位      織田信秀

 7位(同率)  毛利元就・徳川家康

 5位(同率)  長尾為景・宇喜多直家

 4位      豊臣秀吉

(ランキング圏外の紹介⇒番外編

 3位      ????


――――――
【下剋上列伝ランキング 採点基準】(各5点満点)

・立身出世度:その武将の最初の身分と最終的な身分との開きの大きさ
      (最初の身分が低い、または不明だと高得点)

・下剋上度 :倒したり追い抜いたりした相手の身分の高さ
      (相手の身分が高いほど高得点)

・権謀術数度:相手を倒した手段の巧さ、派手さ、ずる賢さ
      (計略や謀略を使って相手を倒した人ほど高得点)

・危険人物度:当時や後世の人から抱かれた評判やイメージの悪さ
      (悪い印象が強いほど高得点)

・人気知名度:その人物がどれだけ知られ、人気があるか
      (ドラマやゲーム等で後世の人気が高いほど高得点)

・繁栄存続度:その武将の大名家や子孫が繁栄したかどうか
      (子孫が大名として長く続いたほど高得点)
――――――



(CMが終わったつもり)

makonaga png


ま「さて、戦国武将下剋上ランキングもトップ3を残すのみとなりました。 第3位の発表です!」



デケデケデケデケ(ドラムロール)… ジャジャン!!


第3位 斎藤道三(さいとうどうさん)

 立身出世度:☆☆☆☆☆  若い頃は僧侶で油売りもしていた

 下剋上度 :☆☆☆☆・  親子二代で?一国の主にのし上がる

 権謀術数度:☆☆☆☆・  美濃の実力者たちを手玉にとった

 危険人物度:☆☆☆☆・  「マムシ」の毒には武将も震えあがる

 人気知名度:☆☆☆☆・  次回大河ドラマのキーパーソンか?

 繁栄存続度:☆☆☆・・  美濃に君臨するも孫は信長に屈した



ま「第3位は、斎藤道三(さいとうどうさん)。

  総合点数は24点でした。」



のぶさま2019

長「道三殿は、余の正妻である帰蝶(詳しくは第3話を)の父親じゃ。

  そもそも斎藤家は、室町時代から続く大名家ではなかったそうじゃな。」


ま「そのあたりの経緯を、よく知られている通説に沿って説明させて頂こうと思います。」

長「うむ。」


ま「それでは、最初に道三の生い立ちについて。

  道三の若い頃の名前は『松波庄五郎』といい、京都の武士の家に生まれたらしいのですが

  寺に入れられ僧侶としての修業を積んだのち、還俗(※)して商人に弟子入りしました。」


  ※『げんぞく』…僧侶だった者が寺を出て、一般人に戻ること

長「武士の家に生まれ、坊主から商人となる。二足ならぬ”三足のわらじ”を履いておったのか。」

ま「油を売りながら諸国を渡り歩いていた庄五郎に、転機が訪れます。

  ある時立ち寄った美濃(みの、現在の岐阜県中南部)のある有力武士から

  美濃の守護大名・土岐(とき)氏への仕官を持ちかけられたのです。」


ま「庄五郎が仕官した土岐家では、守護の座を巡って兄と弟が争っている真っ最中でした。

  庄五郎は弟の土岐頼芸(よりあき)の側に肩入れし、ライバルの兄を失脚させる手助けをして頼芸に気に入られます。」


長「若い頃の義父殿は、意外に甲斐甲斐しい所もあったのだな。」


ま「しかし、彼の野望はここから始まります。

  まず、自分に仕官を持ちかけてくれた恩人の武士に難癖をつけて殺害し、

  あろうことかその名前を引き継いで『長井規秀(ながいのりひで)』と改名。」


ま「さらに、長井氏の“上司“にあたる美濃守護代の斎藤利良が病死すると

  その名跡を継いで『斎藤利政(さいとうとしまさ)』と名乗ります。

  そして、仕上げとばかりに守護に押し上げた頼芸その人をも城から追放してしまいました。

  こうして“流れ者の下っ端武士“が、ついに美濃一国を手中に収めてしまったのです。」


長「いやはや、惚れ惚れするような下剋上じゃな。

  余の義父という事を差し引いても、やはりベスト3ともなると“格”が違うわい。」


ま「当時の武将からも『美濃の蝮(マムシ)』と恐れられたというのが、分かる気がしますね。

  ただ、この道三のランクインには、2点ほど“審議”がかかっていまして…」


長「何かな?」


ま「まず一つは、先ほどご紹介した『通説』に基づく道三の“一代記”ですが

  実は“父親との二代がかり”の業績であった、とするのが現在では『定説』になっています。」


長「で、あるか。」

ま「…あまり驚かないんですね。」

長「テレビ的には、派手に驚いた方が良かったかのう?」

ま「いえ、今更いらないです。」


長「是非も無し。 では、どのあたりまでが父親の為した事なのじゃ?」

ま「最近の研究によれば、恩人を殺害して『長井』の姓を名乗る頃と前後して

  道三の父親とされる「長井新左衛門尉」と道三がバトンタッチした、と見られています。

  ただ、道三の父親がいつ亡くなったかの記録は無く、正確な時期は分かりません。」


長「まぁ、仮に親子二代での所業であったとしても、

  縁もゆかりもない土地で成り上がり、戦国大名となった事実に変わりはない。

  その通説が覆されたからといって、義父殿の名に傷がつくとは思えぬがのう。」


ま「それからもう一つ。

  道三の跡取り息子で、後に斎藤家を継いだ斎藤義龍(よしたつ)の実の父親は

  道三ではなく彼に追い出された土岐頼芸だったのではないか、とする説があります。」





ひょえー1986「にょえーーー!!??」



ま「うわ、びっくりした!! …って、いまの信長さん!?」

長「…違う。」

ま「…よく分かりませんが、こちらの意図しない映像と音声が流れたことをお詫びします。」

長「先ほどの“選挙カー”といい、このスタジオには何か変なモノが憑いておりはせぬか?

  そういえば、先ほどCM中にスタッフがスタジオの出口に盛り塩を…」


ま「あの、無理やりこの特番を”心霊番組”っぽくしようとしないでください。

  私自身、そういうのは苦手なんですから。」



長「冗談じゃ。 それはそうと、何故そのような噂が流れておったのかな?」

ま「義龍の母親となった女性は、もとは土岐頼芸の“お気に入り”で、

  後に頼芸の信頼を受けた道三に嫁がされた…という経緯があります。

  義龍の本当の父親がどちらなのかは、今に至っても解明されていないのです。」


長「現代であれば、“でーえぬえー鑑定”とやらで白黒はっきりするだろうがな。」

ま「…しれっと時代考証を無視した発言を挟むのはやめましょう。

  この疑惑も絡んでいたかどうかは分かりませんが、道三に嫌われていたという義龍は

  父に対して謀反を起こし、これに敗れた道三は自害に追い込まれてしまいました。」


長「実は余の所にも、義父殿から救援を求める書状が届いておったのじゃ。

  しかし義父殿に味方する兵がほとんどおらず、間に合わなかったのが悔やまれるな。」



ま「道三に替わって美濃の国主となった義龍は、信長さんとも戦って美濃を守りますが若くして病死。

  その息子の龍興(たつおき)が斎藤家を継いで間もなく、信長さんがこれを破って美濃を手に入れたんですね。」


長「左様。 義父殿は、正徳寺で会見した後に『息子は信長殿に屈することになるだろう』と呟いたり

  自害する直前にも『美濃は信長殿に譲りたい』と言い遺したりしておったと聞くが

  結局のところ自らの武力で奪うことになったのは、”歴史の皮肉”というべきかのう。」



ま「ともあれ、非常に”ダイナミック”な道三の生涯でした。」

長「で、あるな。」

ま「CMのあとは、第2位の発表です。」

【今宵はここまでにいたしとうございまする。】

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【再放送2019】 番外編『ランキング外の乱 ~まだまだいるぞ、下剋上の勇者たち~ 』

【はじめに】

この記事は、2015年の年末から2016年の年始にかけて連載した企画の再放送です。

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  『これぞ戦国オールスター!

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まこな。(文中「ま」):番組MC風でお送りしています。東京へ行きました(21年ぶり2回目)
おっす!おら信長(文中「長」):ゲスト解説者という設定の、信長のまねっこ。
                   仕事で京都に行く時は、スケジュール帳に「上洛」と書く。


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【ここまでのランキング】

10位(同率)  三好長慶 ・ 明智光秀

 9位      織田信秀

 7位(同率)  毛利元就・徳川家康

 5位(同率)  長尾為景・宇喜多直家

 4位      豊臣秀吉


――――――
【下剋上列伝ランキング 採点基準】(各5点満点)

・立身出世度:その武将の最初の身分と最終的な身分との開きの大きさ
      (最初の身分が低い、または不明だと高得点)

・下剋上度 :倒したり追い抜いたりした相手の身分の高さ
      (相手の身分が高いほど高得点)

・権謀術数度:相手を倒した手段の巧さ、派手さ、ずる賢さ
      (計略や謀略を使って相手を倒した人ほど高得点)

・危険人物度:当時や後世の人から抱かれた評判やイメージの悪さ
      (悪い印象が強いほど高得点)

・人気知名度:その人物がどれだけ知られ、人気があるか
      (ドラマやゲーム等で後世の人気が高いほど高得点)

・繁栄存続度:その武将の大名家や子孫が繁栄したかどうか
      (子孫が大名として長く続いたほど高得点)
――――――


makonaga png

ま「さて、長らくお送りしております戦国下剋上ランキングも、トップ3を残すのみとなりましたが・・・

  ここで『番外編』として、今回惜しくもトップ10に入ることができなかった“下剋上の猛者(もさ)たち”をご紹介します。」



のぶさま2019

長「やたらと引っ張った『アレ』とは、そういう事であったか。

  確かに、ベスト3発表の前にはよくありがちな気がするのう。 ただ、尺(放送時間)は大丈夫かの?」


ま「これまでご紹介した武将以外にも、魅力的でありながら戦国ファンや地元の人以外にはほとんど知られず

  歴史の片隅に埋もれてしまっている武将はたくさんいますので、この機会に多くの方々に知ってもらいたいのです。」


長「その意気やよし。 歴史に興味を持つ者が増えるなら、喜んで付き合うとしようか。」

ま「ありがとうございます。 地方も時代も順不同ですが、7名ほど紹介させていただきます。」


・津軽為信(つがる・ためのぶ)

 陸奥北部(むつ、現在の青森県)の戦国武将。

 はじめ南部(なんぶ)氏に仕えたが、その一族の城主を倒して城を奪い取り、大名として独立。

 信長や秀吉にも外交を通じて接近し、江戸時代には弘前藩(津軽藩)の初代藩主となった。

 この経緯のため、現代でも旧津軽領と旧南部領で対立が残っているとかいないとか。



・浅井亮政(あざい・すけまさ)

 近江(おうみ、現在の滋賀県)の戦国武将。

 守護の京極(きょうごく)氏に仕えたが、国内の混乱に乗じて大名として独立。

 子の久政(ひさまさ)は同じ近江の六角(ろっかく)氏に押さえ込まれ窮地に陥るが

 孫の長政(ながまさ)が織田家と組んで勢力を盛り返し、信長の妹・市(いち)を妻に迎えた。



・陶晴賢(すえ・はるかた)

 周防(すおう、現在の山口県)の戦国武将。 「陶隆房(たかふさ)」も同一人物。

 中国・九州地方に勢力を誇った名門大名・大内(おおうち)氏の重臣だったが

 文化に傾倒する当主の大内義隆(よしたか)に謀反を起こし、権力を奪い取った。

 しかし4年後、厳島(いつくしま)の戦いで毛利元就に敗れ、自害した。



・龍造寺隆信(りゅうぞうじ・たかのぶ)

 肥前(ひぜん、現在の佐賀県・長崎県)の戦国武将。

 龍造寺氏は小勢力だったが、隆信が守護の少弐(しょうに)氏を滅ぼし、肥前の支配権を奪う。

 その後は大友(おおとも)家や島津(しまづ)家の軍勢とたびたび戦い、九州の覇権を争った。

 その勇猛ぶりから『肥前の熊』と恐れられたが、島津軍との“決戦”に敗れ討ち死に。



・真田昌幸(さなだ・まさゆき)

 信濃(しなの、現在の長野県)の戦国武将。

 真田氏は信濃の小領主に過ぎなかったが、信濃に進出した甲斐武田氏の勢力拡大に貢献。

 武田氏の滅亡後、昌幸は信濃の支配を狙う北条・徳川両家を相手に知略を駆使して渡り合い

 次男の真田信繁(幸村)とともに、戦国史にその名を残すこととなった。



・尼子経久(あまご・つねひさ)

 出雲(いずも、現在の島根県)の戦国大名。

 出雲守護の京極氏(近江の守護と同じ一族)に仕える守護代だったが、謀反の疑いで追放される。

 しかしその後こっそり同志を集め、奇策を用いて京極氏の居城を奪い取ってしまった。

 大名となった後は積極的に領土を拡大し、大内氏と中国地方をほぼ二分する勢力を誇った。

 毛利元就よりもさらに時代が古い人物のため、地元以外での知名度が非常に低いのが弱点。



・藤堂高虎(とうどう・たかとら)

 下剋上とは少し違うものの、戦国の荒波を乗り越えて見事な出世を果たしたのでここで紹介。

 はじめ近江の浅井氏に仕えたが、その滅亡後は数多くの大名のもとを転々とする。

 関ヶ原の戦いに際して徳川家康に接近し、最終的には32万石の大領主へと成り上がった。

 晩年「主を7度変えなければ、真の武士とはいえない」との名言(?)を残した・・・らしい。



ま「…と、以上が今回のベストテンにあと一歩届かなかった武将たちです。」

長「ここで余が言うのもどうかとは思うが、正直なところ初めて聞く名前が多いのう。」

ま「そんな話の流れの途中で恐縮なのですが、信長さんが気になった武将はいましたか?」


???「…まさゆき、真田昌幸、真田、さなだ…」


長「…どこからか、選挙カーのような声が聞こえなんだか?」

ま「…奇遇ですね、私にも聞こえました。 この番組に“天の声”はいないはずなんですが。」

長「空耳にしてはよく聞こえたような… これを無視して番組が終わった後、視聴者から苦情が来ても余は知らぬぞ。」

ま「分かりました。 熱いリクエスト(?)にお応えして、ここでは真田昌幸をピックアップします。」


ま「先の紹介文の通り、真田昌幸は信濃国(しなの、現在の長野県)に生まれた戦国武将です。

  戦国時代の真田氏は、隣国の甲斐(かい、現在の山梨県)から信濃へ進出した武田信玄に仕え

  昌幸の父である真田幸隆(幸綱とも、幸村の祖父)をはじめ、有能な人物を多く輩出しました。」


長「余が武田の軍勢と直接戦ったのは、“長篠の戦い”が唯一のようなもの(※)であるが

  長篠の主力部隊の中にも、その真田某(なにがし)の一族が何人かおったようであるな。」


(※)武田家を滅亡させた甲斐への侵攻で総大将を務めたのは、信長の長男・信忠であった。


ま「幸隆の三男だった昌幸は、長篠の戦い当時は“武藤喜兵衛”と名乗っていたそうです。

  兄が2人いた昌幸が真田家の跡継ぎになる可能性は低く、養子に出されていたのですね。

  しかし、その長篠の戦いで兄が2人とも戦死したため、真田家を継ぐことになりました。」


長「もし長篠で兄のうち1人でも生き延びていれば、歴史は違っていたのかもしれぬな。」


ま「長篠の戦いから7年後、織田家の軍勢は信濃から甲斐へと侵攻し、武田氏を滅ぼします。

  甲斐から離れた自分の領地にいた昌幸は難を逃れましたが、主君を失ってしまいました。

  しかしながら、ここからが真田昌幸の真骨頂。 真田の名を全国に轟かせるかのように

  鮮やかな知略と軍略を見せつけるのですが… 残念ながらこのコーナーはここで時間切れです。


長「是非も無し。 スタッフがカメラの奥で大きく手を回しておるわい。」

ま「この続きは、以前ブログで書いた【大河ドラマ『真田丸』】のレビュー(⇒サンプル)を読んで頂いて…。

  諸事情により未完結ですが、昌幸が亡くなる回まではあります。」


長「ちゃっかりブログの宣伝もしおってからに。 まぁ良い、先に進むぞ。」

ま「以上、ランキング圏外の紹介でした。 この後、第3位の発表です!」


【次回更新に続く。 台風情報にキヲツケテネ!】

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【再放送2019】 第6話『実は信長さんとも親戚だった!? 謎の多すぎる天下人』

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【ここまでのランキング】

10位(同率)  三好長慶 ・ 明智光秀

 9位      織田信秀

 7位(同率)  毛利元就・徳川家康

 5位(同率)  長尾為景・宇喜多直家

 4位      ????


――――――
【下剋上列伝ランキング 採点基準】(各5点満点)

・立身出世度:その武将の最初の身分と最終的な身分との開きの大きさ
      (最初の身分が低い、または不明だと高得点)

・下剋上度 :倒したり追い抜いたりした相手の身分の高さ
      (相手の身分が高いほど高得点)

・権謀術数度:相手を倒した手段の巧さ、派手さ、ずる賢さ
      (計略や謀略を使って相手を倒した人ほど高得点)

・危険人物度:当時や後世の人から抱かれた評判やイメージの悪さ
      (悪い印象が強いほど高得点)

・人気知名度:その人物がどれだけ知られ、人気があるか
      (ドラマやゲーム等で後世の人気が高いほど高得点)

・繁栄存続度:その武将の大名家や子孫が繁栄したかどうか
      (子孫が大名として長く続いたほど高得点)
――――――



(CMが終わったつもり)

makonaga png


ま「戦国下剋上ランキングも後半戦、続いて第4位の発表です。」


デケデケデケデケ(ドラムロール)… ジャン!


第4位 豊臣秀吉(とよとみひでよし)

 立身出世度:☆☆☆☆☆  農民から天下をとった日本唯一の男

 下剋上度 :☆☆☆☆☆  出し抜き追い越した相手は数知れず

 権謀術数度:☆☆☆・・  鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス

 危険人物度:☆☆・・・  『人たらし』のイメージは減点対象に

 人気知名度:☆☆☆☆☆  陽気な太閤様の人気は今も衰えず

 繁栄存続度:☆☆☆・・  豊臣氏の天下は『夢のまた夢』



ま「第4位は、豊臣秀吉(とよとみひでよし)。

  総合点数は23点でした。」


のぶさま2019


長「猿は4位か。」

ま「はい。」

長「天下を取ったというのも初耳だが、奴がどんな素性を持っていたのか、今もよく分かっておらぬようじゃのう。

  我が織田家では実力主義で人材を登用したゆえ、さほど気にはしておらなんだがな。」


ま「確かに、秀吉が織田家に仕える頃までを伝える史料は、全くといっていいほど残っておらず

  現代人がよく知っている秀吉の前半生は、ほとんどが後世の作家や言い伝えによる”創作”とされています。」


長「若い頃は今川配下の下級武士に仕えたとか、商人の真似事をしていたとか、

  川べりで寝ていて野盗の頭領と知り合ったという噂も聞いたことはあるが・・・。

  実際に見た者がおった訳でもなく、今となっては裏がとれぬ話ばかりじゃ。」



ま「とりあえず、ここでは広く知られている“通説”に沿って話を進めることにします。

  豊臣秀吉、最初の名を”木下藤吉郎”と言った彼は、尾張の百姓(ひゃくしょう)の家に生まれました。」


ま「地元・尾張の織田家に仕官した藤吉郎は、持ち前の機転の良さと人懐こさで

  信長さんのお気に入りとなり、とんとん拍子に出世していきます。」


長「ある寒い冬の朝、懐で草履(ぞうり)を温めていた…なんて事もあったのう。」

ま「そうおっしゃると思って、今日はスタジオに『温めた草履』をご用意してみました。」

長「どこぞの料理番組のような演出じゃな…。 しかし、なかなか良い温(ぬく)さじゃ。」

ま「それは良かったです。(セット裏の『草履温め機』が信長さんに見つかりませんように…)」

長「何か言ったか?」

ま「…いえ、何も。」


ま「さて、生まれた身分は低くても、知恵と工夫で問題を解決するのが秀吉の強みでした。

  美濃の斎藤氏との戦で、最前線の墨俣(すのまた)に短期間で城を築いたかと思えば

  越前からの撤退戦では、危険な最後尾の守りを任されやり遂げる活躍を見せます。」


長「他の誰もが『できない』と言う課題に対し、『どうしたらできるか』を考えて実行する。

  『鳴かせてみせようホトトギス』と例えられるそうじゃが、よく言い得ておるな。」


ま「そして、秀吉にとって人生の転機となったのが1573年。

  近江(滋賀県)の浅井家討滅に貢献し、褒美としてその領地の一部を与えられた秀吉は

  信長さんに敬意を表して「長浜」と名付け、念願の“城持ち大名”となったのでした。」



ま「また、織田家に仕官した頃からの上司であり家中の重臣でもあった

  柴田勝家(しばた・かついえ)と丹羽長秀(にわ・ながひで)にあやかろうと

  苗字を木下から羽柴(はしば)と改めたのも、この頃だったそうです。」


長「諱(いみな、下の名前)が変わることはたまにあるが、苗字まで変えた者は他に知らぬ。

  武士は自分の苗字や一族の系譜を大事にするものだが、奴はそのあたりの感覚が違うのかもしれぬな。」


ま「手柄を立てるのも上手だけど、周りの人を立てるのも上手だった…ということですね。(ドヤァ)」

長「大してうまくないぞ。 いちいちドヤ顔をするでない。」


ま「…織田家の中国地方担当司令官にまで出世した秀吉でしたが、毛利氏攻めを進めていた最中に本能寺の変が勃発。

  秀吉は“常識では考えられない速さ”で対応し、信長さんに対して謀反を起こした明智光秀を討ちます。

  その後は信長さんの息子や他の重臣たちを差し置いて信長さんの”後継者”となり、最終的に全国統一を果たしました。」


長「で、あるか。」

ま「日本の歴史の中で、農民の出身から天下をとった人物は秀吉ただ一人と言っても差し支えないと思います。

  そういう意味では1位にふさわしいのかもしれませんが…」


ま「今回のランキングでは『危険人物度』が採点基準にあって、そこで点数を伸ばせず4位という結果になりました。

  『太閤(たいこう)様』や『人たらし』という明るいイメージが、ここでは裏目に出てしまった格好ですね。」



長「そういえば、猿には跡目を継ぐ男児がおらぬはずじゃったが…」

ま「日本全国を統一した後、秀頼(ひでより)という息子が生まれています。

  母親は茶々(ちゃちゃ、淀君とも)といい、浅井長政(あざい・ながまさ)と信長さんの妹であるお市(いち)さんの娘です。」


長「おね(秀吉の正室。ねね、北政所とも)との間には子が生まれなんだか。

  根っからの女好きだった猿には、出来過ぎた女房であったがのう。

  余の息子である秀勝(※幼名は『次』)を養子にやったことも覚えてはおるが…。

  ということは、余は猿の『養子の実父』にして『妻の母の兄』…???

  えぇい、ややこしい。とにかく何かしらの親類ということじゃな。」


ま「とても強引なまとめ方ですけど、そういうことになりますね。」


長「して、余の野望を引き継いだ猿の天下はどうなったのじゃ?」

ま「秀吉の死後、関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康は、江戸幕府を開いて政治の実権を掌握。

  全国の大名に号令をかけ、秀頼と茶々が住む豊臣家の本拠・大坂城に侵攻します。」


ま「豊臣軍は関ヶ原で敗れた旧大名家の浪人(牢人)らを主力に奮戦しましたが、

  最後は数に勝る徳川軍が勝利。秀頼と茶々は自害し、豊臣家は滅亡しました。」


長「ふむ…最後は猿がタヌキに食われたか。」

ま「…これ以上のコメントは差し控えます。」


長「さて、これでいよいよあと3人か。」

ま「そうですね。 このまま一気にトップスリー…といきたい所ですが

  ここで、ランキング企画にありがちな『アレ』を入れたいと思います。」


長「む、『アレ』とな?」

ま「はい、『アレ』です。」


『アレ』って一体なんなのさ? 次回更新で明らかに! お見逃しなく・・・

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【再放送2019】 第5話『下剋上の世に生きた、2組の親子の話。』 ※今回は刺激が強めです

【はじめに】

この記事は、2015年の年末から2016年の年始にかけて連載した企画の再放送です。

内容は一部加筆修正を行っておりますが、あまり細かい事は気にせずお楽しみください。



そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~ Presents

  『これぞ戦国オールスター!

   怒涛(どとう)の下剋上列伝ランキングスペシャル・2019!』


【登場人物(一人二役)】
まこな。(文中「ま」):番組MC風でお送りしています。好きな「信長の野望」は烈風伝。
おっす!おら信長(文中「長」):ゲスト解説者という設定の、信長のまねっこ。
                   意外にも、SNSが炎上したことはないらしい。


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【ここまでのランキング】

10位(同率)  三好長慶 ・ 明智光秀

 9位      織田信秀

 7位(同率)  毛利元就・徳川家康

 5位(同率)  ????・????


――――――
【下剋上列伝ランキング 採点基準】(各5点満点)

・立身出世度:その武将の最初の身分と最終的な身分との開きの大きさ
      (最初の身分が低い、または不明だと高得点)

・下剋上度 :倒したり追い抜いたりした相手の身分の高さ
      (相手の身分が高いほど高得点)

・権謀術数度:相手を倒した手段の巧さ、派手さ、ずる賢さ
      (計略や謀略を使って相手を倒した人ほど高得点)

・危険人物度:当時や後世の人から抱かれた評判やイメージの悪さ
      (悪い印象が強いほど高得点)

・人気知名度:その人物がどれだけ知られ、人気があるか
      (ドラマやゲーム等で後世の人気が高いほど高得点)

・繁栄存続度:その武将の大名家や子孫が繁栄したかどうか
      (子孫が大名として長く続いたほど高得点)
――――――



(CMが終わったつもり)

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ま「それでは、続いて第5位を発表しましょう。 同率5位の一人目は…」


デケデケデケデケ(ドラムロール)… ジャン!


第5位 長尾為景(ながおためかげ)

 立身出世度:☆☆☆・・  越後の守護代を務めた家柄

 下剋上度 :☆☆☆☆・  守護も関東管領も敗死させる

 権謀術数度:☆☆☆・・  謀略よりも合戦の強さがスゴイ

 危険人物度:☆☆☆☆・  誰が呼んだか『歩く下剋上』

 人気知名度:☆☆★・・  謙信を子に持つ分のボーナス点

 繁栄存続度:☆☆☆☆☆  子孫は上杉を名乗り幕末まで続く



ま「続いて二人目!」


デケデケデケデケ(ドラムロール)… ジャン!


第5位 宇喜多直家(うきたなおいえ)

 立身出世度:☆☆☆・・  落ち目の宇喜多家を立て直した

 下剋上度 :☆☆☆☆・  主君を追い落とし一国の主となる

 権謀術数度:☆☆☆☆☆  なりふり構わぬ手腕は西国随一

 危険人物度:☆☆☆☆☆  親族からも恐れられた冷酷ぶり

 人気知名度:☆☆・・・  正直、知らない人も多いのでは?

 繁栄持続度:☆☆☆・・  息子の秀家は島流しとなり没落



ま「第5位は、長尾為景(ながおためかげ)と宇喜多直家(うきたなおいえ)。

  総合点数は、ともに22点です。」


のぶさま2019

長「長尾に宇喜多…。 聞いたような、聞かぬような…?」


ま「確かに、全国的にはそれほど名の知れた人物ではありませんね。

  まずは、長尾為景の話から。 信長さん、上杉謙信(うえすぎけんしん)はご存じですよね?」


長「無論じゃ。  我が織田家も一時期、上杉家とは同盟を結んでおったからのう。

  友好の証として、立派な屏風(びょうぶ)を送ったこともあるぞ。」


ま「長尾為景は、その上杉謙信の父親だった武将です。」

長「ほう、かの謙信入道(※)の父親とな。」   ※にゅうどう、ここでは『武士でありながら仏僧となった人物』に対する呼称


ま「長尾為景は、越後(えちご、今の新潟県)の守護代であった長尾家に生まれました。

  当時、彼の上司であり越後を治める守護の地位には、上杉家の当主が就いていました。

  しかし守護本人は京都で仕事をすることが多く、守護のいない間に地元で力を蓄えた為景は

  越後に帰ってきた守護を相手に謀反を起こし、まんまと討ち取ってしまいました。」



長「まさに弱肉強食、力無き者は滅ぶが定め。 絵に描いたような下剋上じゃな。」

ま「それだけではありません。

  この越後守護のお兄さんは、関東管領(かんとうかんれい)という幕府の要職についていたのですが

  弟が為景に討ち取られたという知らせを聞いて、弔い合戦とばかりに配下の大軍を率いて越後へ侵攻します

  一度は越後から撤退した為景でしたが、そこから盛り返して最後には完勝をおさめ、関東管領はあえなく討ち死に。

  こうして越後のほぼ全域が為景の支配下に入り、長尾家(のちの上杉家)が戦国大名として雄飛する基盤となったのです。」


長「なるほど。 この男、聞けば聞くほどかなりの戦上手であると見える。

  さすがは後世において『軍神』とも『越後の龍』とも讃えられた、謙信入道の父親だけはあるのう。」



ま「そんな『軍神』との対決といえば、確か信長さんの軍勢も『手取川の合戦』で…」

長「織田家の公式記録には、そのような合戦は載っておらぬ。 よいな?」(ギロリ)

ま「…アッハイ。」

長「分かれば良し。」


ま「一説には、当時の人々から『下剋上が鎧を着て歩いている』と噂されたという伝承が残る為景。

  その点は、室町幕府を盛り立て“義”を何よりも大事にした印象が強い謙信とは対照的ですね。

  そして謙信は、かつて為景が打ち破った関東管領の地位も、後に受け継いでいます。」


長「歴史は人と人が紡ぐもの。 余がこう言うのも何だが、歴史とは面白いものじゃ。」

ま「では、次は宇喜多直家について。」

長「で、あるか。」


ま「宇喜多直家は、備前(びぜん、今の岡山県東部)出身の戦国武将です。

  室町時代の宇喜多家は、備前守護代の浦上(うらがみ)氏に仕える家柄でした。」


ま「直家の祖父・宇喜多能家(よしいえ)は有能な人物だったそうですが、妬んだ同僚に城を奇襲され、討ち滅ぼされてしまいます。

  まだ子供だった直家は住処を失い、父とともに流浪する生活を強いられたのち、戦国大名となった浦上家に再び仕官。

  立身出世を夢見るのかと思いきや、祖父を失った積年の恨みを晴らす“下剋上人生”が幕を開けるのです…。」


長「…嫌な予感がするのう。」

ま「生放送ですので詳しい内容は言えませんが、直家の仕官後に”浦上家やその周辺で起こった事件”の被害者のお名前です。」

(フリップを出したフリ)

ーーーーーー

宇喜多直家が関わったとみられる”事件”の犠牲者のみなさん(敬称略)

【死亡】

・島村盛実(祖父・能家を討った本人)

・中山信正(直家の妻の父、娘も直後に自害

・金光宗高(前の岡山城主、謀反の容疑で切腹)

・税所元常(直家の妹の婿、俗説か?)

・松田元賢(直家の娘の夫、娘も以下略

・三村家親(備中松山城主)

・後藤勝基(美作三星城主)

【行方不明】

・浦上宗景(主君、備前から追放)

ーーーーーー



長「…いくら戦国の世とはいえ、数が多すぎはせぬか? 手あたり次第という印象じゃな。

  まぁ、若い頃に弟や叔父達を葬った余が言っても、説得力は無いのだろうがな。」


ま「と、信長さんですらあきれ…いえ、驚くほどの所業を積み重ねた末に

  直家は主君であった浦上氏をも没落させ、備前一国の主に上り詰めたわけです。」


長「…思い出した。

  この直家とやら、我が織田家と敵対する毛利家との勢力の境界線上に領地を持ちながら、敵なのか味方なのか

  最後の最後まで態度をはっきりさせぬ奴だったな。  この信長をもってしても、腹の内が全く読めなんだわ。」



ま「それもそのはず、直家の親族の一人は我々の取材にこう答えてくれました。

  (音声は変えています)『彼と直接会う時は、万が一に備えて着物の下に鎧を着ていました』

  いくらお家再興のためとはいえこれだけの“悪行”を重ねると、身内からも恐れられてしまうのですね。」

長「…どうやって取材したのか気になるが、大人としてそこは触れぬ方がよいのだろうな。」



長「しかし、がぜん気になるのはこやつの息子のことじゃ。

  先の謙信入道と為景殿の例もあるし、父に似てさぞ冷酷非情な奴なのだろう。」


ま「いえ、それが…。

  直家の息子で宇喜多家を継いだ秀家(ひでいえ)は、実に明るく人当たりの良い性格で

  本拠の岡山城に立ち寄った羽柴秀吉に、大いに気に入られたといいます。」


長「なんと。」

ま「秀吉が全国を統一した後には、政権の中枢を担う“五大老”の一人に最年少で抜擢されたほか

  秀吉の養女となっていた前田利家の娘を妻に迎えるなど、成人後もその穏やかな性格が幸いし厚遇を受けたようです。」


長「ほう、人を見る目は確かな猿の眼にかなうとは、相当なものじゃのう。

  父親としては複雑な心境であろうが、家名を残せたのだから良かったではないか。」



ま「しかし、関ヶ原の戦いでは西軍につき、奮戦するも敗北。 秀家は領地を全て没収され、八丈島へ島流しとなりました。

  それからおよそ50年後、静かに生涯を終えたといいます。 世はすでに江戸幕府4代将軍・徳川家綱の時代となっていました。」


長「是非も無し。 ひとたび生を受け、滅せぬ者のあるべきか。」


ま「というわけで、第5位の二人をご紹介しました。

  信長さん、ランキングもあと4人です。」


長「3人までは何となく名前が思い浮かぶが、あと一人は果たして誰かのう。」

ま「番組をご覧の皆さんも、ぜひ予想してみてくださいね。

  CMのあと、第4位の発表です。」



【次回更新に続きます。タブンネ】

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