そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
日記、雑談、戦国、FX・・・まだまだ増えるかも? 気の向くままに言葉をつづります。
【雑感】『安定した生活』を手に入れるには、何が必要なんだろうね。

こんにちは。

今日もいつものグダ話ですが、しばしお付き合いください。

しかし、今年の(今年も?)高校野球は面白いですね。

今日は準々決勝4試合ということで、ほぼ1日中テレビで観戦しています。

全国およそ4000校の中からベスト8まで勝ち上がってきただけあり、どのチームも本当にレベルが高いです。

誰もが狙うのはもちろん優勝だと思いますが、勝っても負けても悔いのないプレーをしてほしいものです。


で、本題。

今の仕事に就いて3か月。 ひとまずお給料ももらえて、生活もどうにか回せています。

とはいえ、それは自分一人が生きていく分というだけで、配偶者や子どもがいればまた違ってくるでしょう。

先日、ネットのニュースサイトで「年収1000万でも、都会で妻子を養うには足りないくらい」という記事を見ました。

住宅ローンまたは家賃の支出、自家用車があればその関連出費、子どもがいればその生活費や教育費など

仕事の能力を身につけ、一生懸命に働くことで収入が増えても、ひと昔前までの『人並み程度の生活』を送るには不足なのでしょうか。

世の中がこういう感じだと『働かなくても月収ウン十万!』みたいなうさんくさい広告が増えるのも、わかる気がします。

その仕事?サービス?で報酬を提供する会社は、普段どれだけ儲けがあるというのでしょう? そのお金は一体どこから湧いてくるの??


『お金があって安定した生活』とはよく言いますけど、それに必要な具体的な金額は人それぞれですかね。

私の現時点での収入は多くはないと思いますが、ひとまず生活は回っているので安定してはいる気がします。

逆に、もっと欲しいものがあるとか、もっとお金がないと生活が回らないという状態は、安定とはいえないのでしょう。

そうなると、もっと長い時間仕事をして、あるいは自分の意識や能力、市場価値を高めて”稼げる人材”になって

今よりも良い収入、良い生活を得ようと努力する。 あるいは、副業や起業という別の手を考える場合もあるでしょう。

でも、経済成長が頭打ちになり、人口もこれから減っていくであろう日本で、今までと同じ方法が通用するだろうか?という不安もあり。

私自身も30半ばとなり、今の職場で10年20年と雇ってもらえる訳でもなく、生活を維持するアテをいつ失ってもおかしくない。

こういう境遇にある人、あるいはこれから陥るかもしれないという人も、決して少なくはないと思うんです。


たぶん人生でもなんでも、上り調子の時は誰がやっても結構何とかなるんです。 

下り坂だと自覚した時に、そのままの生活を続けるか、リスクを覚悟で今までとは違うことをやってみるのか

『安定』を勝ち取るためにはどこかでその人なりの決断をしないといけないんだと思います。


私もまだまだ迷いまくりの惑いまくりですが、そういう時にはこの動画を見て考えるようにしています。(宣伝みたいでごめんなさい)



「お金が欲しい」というのは、生活のこともありますが「他人から認められたい」という思いもあるかもしれません。

あるいは「お金持ち⇒お金を稼げる自分は優れている⇒そうなりたい他人からさらに金を巻き上げる」と、意識高い系ビジネスを勧めてくる人にありがちな動機とか。(※個人の見解です)

お金は値打ちが変わるけど、お金を使って身につけた知識や能力は新しいものを生み出す力になる。 自分はどちらを手元に置いておきたいだろう?

いずれにせよ、お金や承認欲求だけに縛られる人生というのも寂しいので、じっくり考えて後悔の少ない選択をしたいと思いました。

それでは今日も、どうもありがとうございました。

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【雑感】暑さ寒さも彼岸まで?と、常に頑張る必要もないのでは。

こんにちは。

昨日今日と、山陰は暑い日差しが復活しました。 外に出るとすぐに大汗です。

一方、東日本では8月に入ってから気温が上がらず、雨模様が続いているとテレビが報じていました。

「これは平年(平均値)並みとは違うから、今年は異常気象だ」と毎年のように言っている気がしますが

逆に「異常ではない気象」っていうのはどんな状態なんでしょう。 毎日同じような気温で、適度に雨が降って、自然災害も起こらなくて。

そもそも「平年」や「平均値」は一つひとつ山や谷があるデータを平らにならした状態に過ぎないので、

そのうちの一つだけを取り上げて見れば、平均値とぴったり一致することの方が少ないのでは。

基本的に言いっ放しのメディア報道に振り回されないように、自分の感覚や判断力を信じるのも大事かもしれません。

あと1か月もすれば、タイトルにも書いた秋の彼岸が来ます。 その頃には過ごしやすくなるのでしょうか・・・。


話は変わりまして、また仕事中にふと考えた事を。(もちろん、ちゃんと仕事はしてますよ?)

メンタルを弱めてしまった頃から、「頑張る」という言葉に違和感というか抵抗感を感じるようになりました。

それまでは、「頑張る」ことは無条件にいいことだと思っていました。

勉強も仕事も頑張れば頑張るほど、いい事が待っていると信じていました。 実際、いい事もいろいろありましたから。

自分の体や心が疲れていても、「頑張らないのはダメなことだ」と自分を追い立て、頑張ることをやめられませんでした。

誰かに負けるのが嫌だったのもあるし、別の誰かから『ダメな奴』と思われたくなかったからかもしれません。

その結果、限界を超えた心が折れて仕事や生活に支障をきたし、ついにはお医者さんの世話になる状態になりました。

頑張って頑張って頑張って手に入れた学歴や知識、お金などには替えられない『大切な何か』が壊れてしまったのかもしれません。


そうして今は、自分が頑張りたいと思える時にだけ頑張ればいいのでは、と思えるようになりました。

でも本心では、『頑張る』という表現じたいを見直してもいいんじゃないか、とも思っています。

『がんばる』って、響きからしてめっちゃ力入れてないといけない感じがするじゃないですか。

『が』『ば』ってどちらも破裂音(はれつおん)で、相手に強い印象を残す音ですし。

聞く方からすると、一瞬身構えてしまうようなフレーズだと思ってしまうのは、私だけでしょうか。


それに、自分の中で頑張る状態がデフォルト(標準)になってしまうと、本当に頑張らないといけない場面はどうするのでしょうか。

以前の記事にも書きましたが、「もっと頑張らないと」で乗り切ろうとすると、いつかどこかで行き詰まります。

「ここぞ」という場面でもう一段階自分にブースト(加速)をかけられるだけの力は、「いつでも頑張る」状態からは生まれづらいです(自分の経験から)。

同時に、他人に対しても「(自分はこんなに頑張っているんだから、お前も)もっと頑張れ」というプレッシャーを無意識にかけていないか、振り返るのもアリかもしれません。


「頑張ること」そのものを否定はしません。 ツイッターの「今日も頑張りましょう」が嬉しい時もあります。

でも、あまりにも気軽に乱発しすぎると、いつか誰かがそのツケを払うことになるよ、ということを言いたかったので書きました。


今日は以上です。 ありがとうございました。

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【雑感】痛みに耐えさせるより、手当ての仕方を身につけさせるのが教育ではないか、と。

こんにちは。

今日言いたい事はタイトルの通りなんですけど、説明が必要ですよね。

うまく伝わるかどうか分かりませんが、6連勤の4勤目で考えていたことを書きます。


例えば、転んでひざを擦りむいた子どもがいるとしますよね。

泣きわめいているその子を見て、あなたはどうするでしょうか?

「知らない子だから」と見て見ぬふりをして立ち去る人もいるでしょう。

「大丈夫?どこが痛いの?」とすぐさま駆け寄って頭を撫でてあげる人もいるでしょうか。

親であれば「何やってるの! 泣いてないで立ちなさい!」となるかもしれません。

どれが正解とか不正解とかはないのですが・・・  子どものひざの傷は誰が手当てするのかな?


大人は子どもに対して、痛みとか苦しみを「我慢しなさい」と言うことが多い気がします。

自分が子どもだったとき「自分も、親や周りの大人から『それくらい我慢しろ』と言われて育った」からかもしれません。

あるいは「大人になったらもっと痛いこと、苦しいことがあるから耐える力をつけなさい」ということを教えたいのかも。

その気持ちも分からないではないですが、それで本当に子どもは痛みや苦しみに立ち向かえるでしょうか?

痛みや苦しみを我慢すること、そしてそうするしかない自分自身が嫌になって、挑戦することを諦めてしまわないでしょうか?


確かに、世の中に出れば理不尽な痛みや苦しみは、いつでもどんな場所でも降りかかってくるものです。 

それを「自分が我慢していれば、いつか解決する」と必死で耐え忍ぶ大人の姿は、哀しいと思います。

RPGの戦闘中に「防御」を選び続けても敵には勝てない(敵が逃げることもありますが、経験値は手に入りません)ように、

どこかのタイミングで「攻撃」なり「回復」をしないと、いつかはこちらのHP(ヒットポイント)が0になって倒れてしまうのではないでしょうか。

特に大事なのは、自分自身で「回復」する方法を知っておくことだと思います。

美味しい物を食べる、好きな音楽を聴く、好きな場所に出かける、あえて苦手な人としっかり話をしてみる(高難度)など、

「我慢する」以外の行動オプションをいくつか持っておくと、ストレスとの付き合い方が少しでも良い方に変わるはずです。

できたら、私も含めた大人たちがその事を子どもや若い世代に伝えていってほしいと思っています。


こう言うと「子どもを甘やかすな!」と反論も受けそうですが、

甘えを許されなかった子どもは甘えを許さない大人に育つ気がします。 それでは多分何も変わらないし、何も生まれません。

自分はどういう生き方をしたいのか、どう生きるのかを選ぶのは子ども自身ですが、その選択肢の大半は大人が与えるものです。

人生の厳しさや苦しさだけでなく、どうやってそれを乗り越えた(やり過ごした)のかを伝えることは、甘やかしでしょうか。


・・・ちょっと堅苦しすぎましたかね。

日曜の夕方で『笑点』の大喜利を見ながらする話題でない事は、確かなんですけどね(←本当だよ)

まだまだ暑い日が続きそうですが、なんとか乗り切っていきましょう。

では、また。

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【雑感】仕事を通して考えた、『言うことを聞く』と『言いなりになる』は違うという話。

こんにちは。

今日のさんいんちほー(!?)は曇り空で、夕方からは雨が降り出しました。

車の点検を予約した時間と重なってしまい、ズボンのすそが結構濡れました。

やはり私は、雨が苦手なフレンズのようです(←アニメは見ていないので、うろおぼえ)


さて、本題は昨日の仕事中に考えたことから。

仕事をしていると、同じ現場の人からいろいろと指示や注意を受けます。

基本的には作業を安全に、かつ効率よく進めるため必要なことなのでそれを守るようにします。

ですが、中には「そこは私にも考えがあって、こうしたんですけど?」と言いたくなる指摘もあります。

こういうのは相手が年配者で自分より長く勤めている場合がほとんどなので、直接的に反論こそしませんが

相手が「アンタは新人なんだから、私らの言う通りに動きなさい」と内心思っているんじゃないか、と勘繰ってしまうんですね。


思えば、誰しも子どもの頃に親や先生など周りの大人から「言うことを聞きなさい」と言われてきたはずです。

もちろん、それを守らないと自分の命や身体に危険が及ぶ場合などは反論する余地はないですし、

大抵の場面では『人生の先輩』の知識や経験から学ぶべきことが多いので、素直に言うことを聞いた方がいいです。

しかし、中には「私はお前より年上(上司)なんだから、私の言うことを聞くのが当然だ」というように

年齢や地位による優位を誇示したいがために、どうでもいいことにまで口を挟む大人もいるように思います。

そういう人は、相手を成長させることより相手を自分の『言いなりにする』ことが目的なのかもしれません。


そして、『言うことを聞く』のは『言いなりになる』ことだと学習してしまった人は、かなり危ういです。

他人の指示や意見をそのまま受け取って行動することが習慣になってしまうと、自分で考えて判断する練習ができず

自分の意見やアイデアを否定されるのが怖くなり、小さな事でも相手の顔色をうかがわないと不安になってしまいます。

その結果、ますます自分より年上(上司)の言うことを聞くことで精一杯になり、自分の考えや自信を持てなくなってしまう悪循環。

そうなってしまった人自身の責任というより、無条件に『言うことを聞く』ことを求めすぎた大人たちの方が問題なのかも。

(子どもを自分の言いなりにする大人は『自分以上の人間を育てられない』大人ですから、社会全体としても損失です)


実は私自身も今までの人生の中で、『言うことを聞く』うちに『言いなりになる』ことを覚えてしまった一人なのかもしれません。

今でも自分の意見を言うのは怖いし、とりあえず相手の言うことを聞いておけば問題ないと判断してしまいがちですから。

それだけでなく、私が(非正規の)教員だった頃に子どもと接していた時も、相手の意見もろくに聞かずに

『○○しなさい』『○○しちゃダメ』ばかり言っていて、本当は子どもを言いなりにしようとしていたのかも、なんて。

ようやくこの歳になって、自分や他人を客観的な眼で見ることができるようになったような気がします。

昨日今日で変われることではないのですが、少しずつ軌道修正していければいいなと思います。

そして、子どもや後輩には『どうしたらいいのか、考えてごらん』と言える思考の余裕を持ちたいです。


では、また明日から仕事なのでこのへんで。

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【雑感】『覆水盆に返らず』とは言うけれど、こぼさないのが一番に決まっている。

こんにちは。

単刀直入に言います。 今日、仕事で大きなミスをしました。


内容は詳しく言えませんが、事業所が扱っている売り物をダメにしてしまい

今後の経過によっては損害賠償をしなければならないレベルの、”事故”です。

正直、帰ってきた今もかなり落ち込んでいます。

それでもブログに書こうと思ったのは、自分の気持ちの整理のためですかね・・・


今の仕事について2か月半、小さなミスはいくらでもありました。

そのたびに「ミスを引きずらないこと」や「同じミスを繰り返さないこと」を自分に言い聞かせてきました。

落ち込んでいると周りにも悪影響ですし、ミスの原因と対策が分かれば、それだけ自分が成長できるということですから。

しかし、今回のケースは明らかに事業所や他の従業員の方に迷惑をかけていますし

商品をダメにして金銭的な損害も出してしまっているので、どう頑張っても落ち込まずにはいられません。


そして一番キツイのは、周りから「アイツは使えねぇなぁ」とか「とっとと辞めればいいのに」と思われたんじゃないか、と

自分をひたすら責め、何の問題解決にもならない思考が堂々巡りしてしまうことです。

こうなると「つまらないミスで周りに迷惑をかける自分は、なんてダメな奴なんだ」というメンタルブレイクモード突入です。

誰かに「そんなことないよ」と慰めて欲しいわけではないんです。 ただただ、自分の存在が不甲斐なくて情けなくて申し訳なくて消えてしまいたくなるんです。



・・・半年前までの自分なら、ね。


自分を責めるのは、ここまで。 メンタルブレイクが確変モードに突入する前に強制終了です。 

この記事を書いているうちに、『他人の思考を想像して落ち込んでも、何も解決しない』と思えるようになりました。 ささやかな心の成長です。

なので、実際に「アンタもう辞めてくれない?」と言われるまではしぶとく居座るつもりです(笑)

でも、誰にでもできる仕事だからこそ『ミスや事故をせず、早く正確に』というのが付加価値になったりしますから

今回のことは深く心に刻んで、明日は一から出直すつもりで仕事に臨もうと思います。


・・・本州に接近中の台風が、想定外の事態を引き起こさないことを願いつつ。


明日はもっと明るい話題にしたいです。 乞うご期待。

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