そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
日記、雑談、戦国、FX・・・まだまだ増えるかも? 気の向くままに言葉をつづります。
【戦国時代】歴史好きの性。

こんばんは。

今日も、見にきてくれてありがとう。

2日前から自分の「歴史好き」観をつらつらと語ってますが

今日で一応の区切りをつけたいと思います。

結構好き勝手なことを書くかもしれませんが、そこはご愛嬌で。

私のように「学校の授業は苦手だったけど、歴史が好き」というのは

割とよくある話なのでしょうか。

これが数学だと「数学なんて、社会に出たら使わないでしょ?」てなもんで

社会人になってから学び直そう、とはなかなかならないですね。

その点、歴史は巻き返しがしやすい分野だと思うんです。

ドラマやゲームなど、入りやすい入り口が増えていますし

ネットの普及で話題が合う人も見つけやすくなっています。

それでいて、一生かけても極めきれないほど奥が深いときている。

趣味としてハマるのに、遅すぎるということはないと思います。

しかし、人の好みや考え方はいろいろあるわけでして

私の親戚のように「好きになれない」人もいるんですね。

実は私自身も、ブログやツイッターで自分より格段に物知りで

しかも情熱を込めて歴史を語っている人を見ると、正直へこみます。

「自分ごときが歴史好きを自称していていいのか?」みたいな。

ひょっとしたら、歴史が好きになれないと思っている人の中には

それに似た思いを抱えている人もいるのでは?と思ったのです。

歴史好きに限った話ではないのかもしれませんが、

人は自分が正しいと信じていることをしゃべりますよね。

それだけでは飽き足らず「お前の知識は間違っている!」と

他人の意見を否定してまで自信を保っている人もいそうな気がします。

もちろん、私が知る限りそうではない人が大部分ですが

自分の知識を「正しいか間違いか」だけで評価されるのは、

学校の試験と同じで、やる気に繋がりにくいと思います。

それでも、私だって一歩間違えると聞いてくれる人に対して

一方的に「自分の思う正解」をしゃべってしまっているかもしれない。

せっかく歴史に興味を持って聞いている相手に対して、

逆に「歴史って難しい・・・」と思わせているとしたら、申し訳ないです。

私がブログやツイッターで知識や情報を発信しているのは

『一人でも多くの方と戦国時代の魅力や奥深さを共有したい。』

そんな思いからなので、戦国時代や武将に少しでも興味がある人には

怖がらずにどんどん絡んできてほしい、と思っているのです。

専門的な知識や情報は、あとからいくらでも補うことができます。

まずは、自分の中に物語を作っていく楽しさを感じてみてほしい。

そのお手伝いができるなら、これからも喜んで(?)語らせていただきます。

そのためにも、まずはパソコンを買い換えないとな・・・(苦笑)

スマホ入力も慣れてきたけど、どうしても時間がかかるので。

ご清聴ありがとうございました。

【戦国時代】続・歴史はお好き?

こんばんは。

今日も、見にきてくれてありがとう。

今回は、昨日の続きの話になります。

親戚が「歴史を好きになれない」と私に言ったことから

自分語りをしたくなったので、恐縮ですがお付きあいください。

実を言うと、私は歴史の授業が好きではありませんでした。

もともと数学や理科の方が得意だった、というのもありますが

一番は覚えなければいけない事が多すぎて、テストで点がとれなかったからです(苦笑)

ある日、よく出入りしていたゲームショップで

何気なく手に取った戦国時代のシミュレーションゲームが、私の運命を変えました。

どうしても欲しかった訳でもなく、ワゴンセールで500円だったから買ったのですが

いざ始めてみると、色分けされた日本地図や数値化された武将の個性に引き込まれて

「この県は、昔はこういう呼び名だったのか」とか

「この武将は、戦では強いけど政治は苦手だったんだな」とか

全国統一はそっちのけで(おい)情報を頭に叩き込みました。

やがて、私の知識欲はゲームの中の情報だけでは満足できなくなり、

ゲームの攻略本や武将ファイルを片っ端から読みあさりましたね。

今でも、私の知識の大半はゲーム由来ではないでしょうか。

評論書や小説等を読むようになったのは、社会人になってからです。

こんな程度で、歴史好きを名乗るのも微妙かもしれませんが(汗)

程度の差はあれ、趣味として何かにのめり込むのは「楽しい」です。

自分の中に知識や出来ることが増えていく喜びがありますけど

次第にそれは頭打ちになるし、現代は特にネットが普及したことで

常に「上には上がいる」「自分なんてまだまだ」となりがちです。

そんなときに、それを「好き」でいられるかどうか問われるのかな、と。

「他人に評価されたい、認められたい」だけがモチベーションだと

たまたまそれが得られなくなった時に、たぶん苦しくなりますね。

いかにして自分の中だけで保ち続けられるモチベーションを見つけるか。

一番分かりやすいのが「自分を楽しませられるか」だと思うのです。

実際、例のゲームにはまっていた時の私は、自分が操作しないで

コンピューターが勝手に進めてくれるのを見ているだけで楽しかった。

(もちろん、エンディングは見せてくれませんが)

画面の中で合戦が起こり、城が攻め落とされ、地図が塗り変わる。

無機質な二次元世界の中に、教科書とは異なる物語が展開されていく。

その記憶があるから、今も歴史好きの端くれでいられるのかもしれません。     なんてね。

ちょっと長く語りすぎました。

明日は、親戚の話に一応のオチをつけたいと思います。

【戦国時代】歴史はお好き?

こんばんは。

今日も、見にきてくれてありがとう。

いよいよ12月に入り、年末が迫ってきました。

このブログも年末年始の企画を考えないといけません。

歴史ネタになるのはほぼ確定なんですけど、

詳しいことは全然決まってないので、楽しみにして頂ければ。

で、今日はその流れで歴史の話。

といっても、武将や大河ドラマの話ではないのですが。

先日、姫路城で親戚に会った話をしましたよね。

その人は、私が歴史好きである事を知っているのと

本人も歴史について勉強しているらしいということで

私にいろいろ質問してきて、できる限り分かりやすく答えました。

ただ、別れ際に言われたことが少し心残りになっています。

「勉強はしてるけど、私は歴史が好きになれない。」

「嫌い」と違って、興味や関心が無い訳ではないと思うのですが

好きだから勉強している、という話でもないようです。

もしかしたら、私に話を合わせてくれているだけなのかな、と思ったり。

かく言う私も、歴史のどこが好きかと問われたらどう答えるだろう?

学校で習っていた時は、そんなに好きではなかったはずなのに、いつから?

どこまで知識や思い入れを深めれば、胸を張って「歴史が好き」と言えるのか?

そもそも、歴史は好き嫌いで語っていい性質のものなのか?

歴史ネタでブログを(たまにですが)書いている身として

自分の考え方を、一度はっきりさせておきたいと思ったのでした。

ということで、この話は明日に続きます。

【戦国時代】続・もしも、川中島で。

こんばんは。

今日は昨日に引き続き、もう少し戦国時代の話にお付き合いを。

昨日の記事はこちら → 【戦国時代】もしも、川中島で。


要約すると、武田信玄と上杉謙信の「川中島の戦い」を扱ったテレビ番組で

「もしどちらかが相手を討ち取っていたら、そのまま天下をとっていた」という

単純すぎる結論にちょっと異を唱えたくなって、「天下」とは何なのか、とか

戦国時代に「天下を取る」には室町幕府の存在を無視できない、なんて事を書きました。


では、今日は「もしどちらかがこの戦いで死んでいたら、何が起こるか」を想像してみます。

ちょっと専門的な用語も出てきますが、なるべく分かりやすく書きますのでご容赦ください。


ケース①【武田軍が勝ち、上杉謙信が討ち死に】

まずは、上杉謙信が武田軍に討ち取られたとしたら。

おそらく、信玄はその勢いで越後へ攻め込むでしょう。

信玄の領地である甲斐・信濃は内陸にあり、海がありません。

海に面した領地を得れば、領民の生活に不可欠な塩や、交易のための港が手に入ります。

越後は日本海側の海上交通の要所だったので、信玄にとっても重要だったはずです。


一方、謙信を失った上杉家は、衰退の一途をたどると思われます。

上杉家臣団を成す越後の国人衆はもともと独立性が強く、

謙信個人のカリスマ的なリーダーシップのおかげで一応まとまっていた状態なので

ここで謙信を失えば、正式な跡継ぎもいないため組織は崩壊せざるを得ません。

(史実でも、謙信の死後に上杉家の重臣が越後北部で反乱を起こし、独立している)

信玄が手を下さなくても、上杉家の影響力が越後から失われるのは時間の問題です。


そして、信玄の同盟者である関東の北条家は、長年悩まされた上杉軍の侵攻がなくなるので

よりスムーズに関東に勢力を拡大し、武田家の背後を固めてくれるでしょう。

ただ、桶狭間の戦いで当主を失った今川家を信玄が攻めない限りは、ですが。

史実でも、信玄が今川家を攻めたために武田と北条の関係は決裂したので

越後平定後、次に信玄が狙う場所によってその後の展開は変わってくると思います。

(越後で海を得て、駿河へ出ていく必要性が薄れたことも影響してきますが)


では、もう一つの関心事として「織田信長に勝つ可能性はあるか」について。

実際の歴史では、信長は信玄を警戒して度々贈り物をしていたといいます。

このため、勢力拡大の成り行きで両者が衝突する可能性は、それほど高くないと思われます。


史実では、室町幕府の将軍・足利義昭を奉じて上洛した信長が

後に義昭と対立し、信玄を含む「信長包囲網」の形成に発展しましたが

越後を征した信玄の名声や影響力が増し、自ら上洛して幕府を立て直す意思を見せれば

将軍は由緒正しい源氏である信玄の顔を立て、信長の出る幕は無くなるかもしれません。

この場合、武田軍の上洛の通り道となる美濃や近江で戦いが起こる気もしますが、

信玄と信長が直接戦ったらどちらが勝つのか、これは想像にお任せしたいと思います。



ケース②【上杉軍が勝ち、武田信玄が討ち死に】

ケース①とは逆に、上杉軍が武田信玄を討ち取ったとしたら。

謙信がまず行うのは、信玄に信濃を追われた地元の国人たちを元の領地に戻し

甲斐に引き上げた武田軍から彼らを守るための兵を置くことになるでしょう。


もともと、謙信が信濃に攻め込んだ動機が上杉家の領地拡大のためではなく、

信濃の国人の領地を取り返すためだったことは、よく知られています。

武田家の影響力を信濃から排除できさえすれば、本国・越後の安全も確保できるため

謙信は信濃の政略を彼ら国人たちに任せ、関東攻略に専念することになるはずです。

(謙信の下には信濃守護・小笠原氏もいたので、それを復活させる可能性も十分にある)


ただ、信玄が亡くなっても武田家の勢力はおそらく甲斐に残ります。

信玄の長男・義信あたりが当主となり、今川・北条との同盟を維持しながら

再び信濃に侵攻する時期をうかがいつつ、力を蓄える状態になりそうです。

信玄という戦国時代屈指の名将を失った武田家が、再び輝きを放つのかどうかは

史実では父から死を賜った(とされる)義信の力量にかかってくるでしょう。


話を謙信に戻すと、信玄亡き後は関東の北条家との戦いが激化するでしょう。

信玄を破った謙信の名声が高まり、関東の多くの大名が上杉軍に味方すれば

かつて「河越城の夜戦」で8万もの大軍を破り、小田原城で反北条連合軍を跳ね返した

北条軍でも、以前とは比べものにならない苦戦になるかもしれません。


ただ「越後は雪国で、冬場の長期間の遠征はできない」という条件は残るため

「北条家滅亡」という最終決着まで持ちこめるかと考えると、微妙なところです。

史実と同様、武蔵や上野あたりで一進一退になる可能性もありそうな気がしますが

関東の諸大名の力を借りて北条家を相模に封じこめる結果になれば、上出来でしょうか。


そして、やはり気になるのは織田信長との関係。

北条軍と渡り合うことで「関東管領」という幕府の要職を務めあげる謙信には

室町幕府の将軍も、相当の信頼を置くことになると推測します。

謙信自身も川中島の戦いの前、1559年に上洛して将軍・足利義輝に謁見するなど

室町幕府を盛り立てる態度を明確にしており、幕府への影響力もあったので

「信長包囲網」への協力依頼が来れば、信玄がそうしたように手を挙げることでしょう。


史実では、信玄や北条家との争い、加えて越後国内での反乱鎮圧などもあり

幕府の権力を巡る畿内での争いからは距離を置いていた謙信ですが、

川中島で信玄を討ち、その後の北条家との戦いも優位に進めることができれば

完遂できなかった北陸路からの上洛、そして信長との戦いも実現したかもしれません。

織田軍との決戦の地は越前、あるいは近江あたりになるでしょうか。

こちらの勝敗のゆくえも、読者の皆様のご想像にお任せすることにします。


というあたりで、ひとまずスッキリしたので終わりにしたいと思います。

歴史ネタに限らず、知識を入れ続けるだけでは脳ミソが消化不良を起こすので

たまにはこうして知識や考えを吐き出すのも、このブログの使い方としてアリかなと。

読まされるほうは「知らんがな」かもしれませんが、毎日こんな記事が書ける訳でもないので

次があったら「まーた始まったよ」と思いつつ、なま温かい目で見守ってください。


それでは、明日は「真田丸」レビューでお会いしましょう。



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【戦国時代】もしも、川中島で。

こんばんは。

今日は、久々に戦国時代ネタでいきます。

ただ、今回の内容は史実というより想像に近い部分もありますので、ご注意を。


1カ月くらい前になると思うんですが、あるテレビ番組を見ていて

「もしも川中島の戦いに勝ち負けがついていたら、戦国時代はどうなっていたか」という話題が出ていました。

歴史学者や作家、郷土史の研究家などが出演して自論を述べていて、

その結論は「勝った方が織田信長を破り、天下統一を成し遂げただろう」というものでした。

(厳密には、信玄が勝てば「武田幕府」を開き、謙信が勝てば室町幕府が続いただろう、と)


みなさんは、この結論についてどう思われるでしょうか?

私自身の思いとしては「『天下統一』を単純化しすぎかも?」と感じたのです。

もちろん、これは視聴者にも分かりやすく、なおかつインパクトのある訴えだとは思うのですが

歴史に関して発言力を持つ人たちが簡単にこういう事を言ってしまうことに、疑問がわきました。

これについて、ちょっと自分の思うところを書いてみたいと思います。


そもそも、戦国時代における『天下統一』とは、何だったのでしょうか。

後世の私たちは「一人の大名が全国を支配し、戦争がなくなった状態」だととらえています。

「天下布武」を掲げた織田信長がそれを目指し、豊臣秀吉や徳川家康が成し遂げたことを知っているからです。

さらに、現代のドラマやゲームで「全ての大名が目指したもの」として描かれていることも、影響しています。


しかしながら、当にその時代を生きた武将たちに、『天下統一』の意識があったのかどうか。

もちろん、川中島で戦った武田信玄や上杉謙信など、有力な戦国大名であれば

自らが天下人となる新しい時代を視野に入れていた可能性も、ないわけではなかったと思います。

そこで問題になってくるのが、当時の統治機構である「室町幕府」の存在です。


言うまでもなく、室町幕府は(弱体化していたとはいえ)全国の武士を統括する組織であり、

戦国大名が日本全国に対する権力を掌握しようと思えば、幕府の存在を無視することはできません。

信長は当時の将軍・足利義昭と敵対した挙句に京から追放し、その権威を無力化しましたが

果たして信玄や謙信に、そこまでするビジョンがあったのかどうか・・・?


おそらくですが、信玄にしても謙信にしても信長のように室町幕府を滅亡に追い込むことはせず、

将軍を補佐して安定した政権基盤を作り上げようとしただろうと思います。

その先は、源氏の一族であり「征夷大将軍」になろうと思えばなれたであろう信玄と

「関東管領」として幕府に尽くしたいという気持ちが強かった謙信で違いはあるかと思いますが

こうした背景を説明した上でなら、最初の単純化された主張もある程度は納得できる気がします。


すでに一通りの知識がある人に対して話す時は、それを前提とした説明で十分なのですが

まっさらな状態の人に理解してもらうためには、真っ向から説明しても難しがられるし

単純化しすぎると表面的な知識しか伝わらず、本当に分かってほしいことが伝えられないしで

このブログでもどのように書くかを考えるのに苦労しているのですが、そこは勉強と発信を続けながら

「歴史に興味を持てる入口」となることを目指して、このブログを作っていきたいと思っています。

(その割には、普段は日常のことばかり書いてますけど~~??)


あ、一応この話は続きがあるので、明日書きます。 まぎらわしい終わり方ですいません。

それでは。



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