そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
日記、雑談、戦国、FX・・・まだまだ増えるかも? 気の向くままに言葉をつづります。
【日常】もう半年です。

こんばんは。

蒸し暑い日が続いていますが、皆さんはお元気ですか?

地域によっては大雨の被害も心配されます。

台風も今年は発生していないようで、これも気がかりなところです。


さて、今日で6月も終わりということで、

2016年の半分が経過したことになります。

皆さんにとって、この上半期はどんな半年でしたでしょうか?


私の場合は・・・と少し思い出してみたのですが

職場と病院に通い、あとたまに実家に帰ったくらいで

これといって大きなイベントは無かったなぁ、と感じます。

逆にいえば、トラブルにも巻き込まれなかったということですが。

熊本地震の被害をテレビで見て、少しショックを受けたくらいですかね。


あ、一つだけニュースを挙げるとすれば、ツイッターを始めたことです。

もう4カ月くらいになりますが、少しずつフォロワーさんが増えています。

何人かの方とはネット上での会話もしまして、結構楽しかったです。

今後もブログと並行して、運営を続けていきたいと思います。


ということで、明日からは7月、下半期の始まり。

年末に振り返ったとき、後悔しないような過ごし方ができれば良いです。

それと、このブログの方も、今後ともよろしくお願いします。



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【お楽しみ】ネタ出し祭り。

こんばんは。

今日は6月29日ということで、皆様お待ちかねの・・・


謎の人X
「『アレ』を待ってる人なんて、いないでしょ。」

うっさいなぁ。

書いてみないと分からないじゃん、そんなの。

邪魔が入りましたが、今日はその『アレ』(笑)、つまり⑨の日です。


これもねぇ、お気楽に書いているように見えますけど

実はネタ出しに結構な時間を割いてるんですよ・・・。

ゲームのキャラを使うので、性格とかが公式設定からかけ離れてはまずいし。

まぁ、読んだ人が楽しんでくれれば、それが一番なのですが。


それでは、本題に入りましょう。

梅雨に入ってしばらく経ち、雨が降る日も増えてきました。

もうすぐ7月ですけど、なかなかすっきり晴れないですね。

電(いなづま)なのです
「そんな時は、てるてる坊主を作るのです!」

お、久しぶりに登場の電(いなずま)ちゃん。

でも、今日はそんなに時間が無いし・・・

「心配ないのです、もう作ってあるのです!」


(ジャーン!)


なんと、いつの間にか窓に吊るしてあったとは。

しかも全部で4つ、これってもしかして。

「みんなで協力して、作ったのです!」

そうか、どおりで一つだけ『怪獣』みたいなのが混ざってるのか・・・。


暁(あかつき)さん
「何よ、レディーが心を込めて作ったのに、文句あるの!?」

響(ひびき)だよ
「どうどう、コレはいわゆる『お約束』だから」


あれ、遠くの方から暁(あかつき)と響(ひびき)の声が聞こえた気が。

・・・まぁいいや。ツッコむとややこしくなりそうだし、スルーで。


で、この時期といえばホタルが河原に飛んでいたりするよね(唐突)。

そうそう、ホタルといえば・・・



ムシの人
「あれ? ボクの事、呼んだかな?」

ん? あぁ、キミは確か・・・


という所でお時間となりました(なんでやねん)。

この続きは、次回の⑨の日をお楽しみに。

(単にネタができていないだけ、ともいう) ←いや、それ言うたらアカン!



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【関心事】スポーツと世界。

こんばんは。

今朝起きてから、少し喉が痛いまこな。です。

寝るときの室温を低くしすぎたかな・・・?

これ以上ひどくならないように、今日は早めに休みます。


というわけで、ブログの方もさらっと更新。

先週末、イギリスがEUから離脱することが決定的になって

世界中がいろいろな面で混乱していますが、

スポーツ界の方には大きな影響は出ていないようです。


サッカーの欧州選手権はどの試合も盛り上がっていますし、

昨日はテニスのウインブルドン選手権も始まりました。

日本のエース・錦織選手もさっそく登場し、1回戦を突破しています。

8月にはオリンピックも控えているので、他のスポーツの話題も多いですね。


スポーツの世界が国際情勢や政治の動向と無関係ということはないのですが、

選手たちが勝利や記録を目指して一生懸命に戦っているのを見ると

見ている側もすがすがしい気分になれるというか、応援したい気持ちが湧いてきます。

こういう部分は、国や文化が違っても共有できるものではないかと思うのです。

もちろん、応援も度が過ぎればトラブルの元になるので、節度が大切ですが。


うまくまとまらないですが、今日はこのへんで。

あ、明日は⑨の日か。 一応お楽しみに。



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【真田丸】第25話視聴。


こんばんは。

月曜恒例、大河ドラマ「真田丸」レビューのお時間です。

第25話「別離」は非常に重たい内容の回となりました。

秀吉による天下統一が成し遂げられた前回のお祝いムードから一転、

豊臣政権内の暗部や脆さが次々と明らかになった今回のお話は、

果たして視聴者にどのように受け止められたのでしょうか?

それでは、今回のあらすじを見てみましょう。


・小田原征伐が終わり、豊臣秀吉に抵抗する戦国大名はいなくなった。

 乱世は一応の終結を迎え、豊臣家による天下統一の完成である。

 しかし、運命は秀吉を快く迎え入れようとはしなかった。

 秀吉の跡取り息子・鶴松(2歳)が重い病に侵され、生死の境を彷徨っていたのである。


・「鶴松重体」の報に対し、大坂城の人々の間である噂が流れていた。

 小田原討伐の後に秀吉から切腹を命じられた、千利休のたたりではないか、と。

 豊臣政権の中枢にいた利休が、なぜ切腹にまで追い込まれたのかについては諸説あるが

 小田原攻めの際、敵方の北条家に弾薬用の鉛を売って私腹を肥やしていた、との疑いや

 大徳寺の山門に自身の木像を飾らせ、秀吉にその下をくぐらせた、という逸話のほか

 政権の調整役であった秀吉の弟・秀長が亡くなったことも、遠因として挙げられている。

 茶人であり商人、そして政治の黒幕。利休の本当の顔はどこにあったのか、真相は闇の中である。


・鶴松の見舞いと称し、妻の薫を連れて大坂城に駆けつけた真田昌幸。

 豊臣家臣・片桐且元と薫に鶴松への薬を作るよう依頼する一方、

 信繁(幸村)の制止を振り切り、出浦昌相に命じて佐助に城内を探らせるあたり

 彼にとっての戦国時代は、まだまだ終わっていないようであった。

 そして、同じく見舞いのため大坂城にいた徳川家康も、鶴松死後の展開を見据えていた。

 さらには石田三成と大谷吉継、加藤清正と福島正則。秀次ときり。そして秀吉と茶々。

 それぞれの願いや想いが交錯し、大坂城の長い夜が更けてゆく。


・だが、夜が明けるより前に、その時は訪れてしまった。

 縁者や家臣らが見守る中、沈痛な表情で鶴松の元を後にする茶々。

 眠るように横たわる亡骸の耳元で、寂しくでんでん太鼓を鳴らし続ける秀吉。

 部屋から出た信繁は、寧の胸に抱かれて号泣する茶々の姿を見つめていた。

 しかし、この悲劇はこれから豊臣家を待ち受ける運命の、ほんの序章に過ぎない・・・。



・・・うーむ、私も書いていて気分が重くなってしまいました。

それでも、こういう「歴史の裏側にあるドロドロしたもの」をドラマで描く価値は、あると思います。

このブログでも何度か書いていますが、私たちが知る歴史というのは

決して「英雄や偉人たちの輝かしい足跡」だけで成り立っている訳ではないんですよね。

その裏にある苦悩とか、失敗や挫折など、そういったものに心を惹かれる歴史ファンも多くいます。


私自身も「あぁ、歴史を作ってきた偉人にも、悩みや失敗はあったんだなぁ」みたいな感情というか

「『完全無欠なヒーロー像』とは少し違う、生身の人間らしさ」が垣間見える部分に、ホッとすることがあります。

そして、それに立ち向かった方法や考え方から、現代の私たちにも通じる教訓を得ることもできるでしょう。

「歴史を学ぶ」、もっと言うと「歴史に学ぶ」というのは、本当はそういうことではないかと考えています。


その一方で、こういう話の中にも和める場面を盛り込むのが、三谷さんの脚本ですね(何を偉そうに)。

豊臣家を襲う激流の中、真田家の人々が織りなす人間模様は興味深いものでした。


城を勝手に改造する矢沢の爺さんや、なかなか心を開いてくれない稲姫に

日々翻弄されながらも、真田家のため懸命に城主の任を務める信幸兄さん。

おこうさんを抱き寄せ、心の安らぎを求めるシーンは、見ているこちらも安心させられました。

人は安心できる場所があるから、強くなっていけるのね・・・兄さんならきっと大丈夫だよ。


開城した小田原城から無事脱出し、ようやく信濃に帰ることができた小山田茂誠さん。

松姉さんとも再会し、真田家の人々からも暖かく迎え入れられて、本当に良かった。

思えば第1話で武田を裏切ることになってから、ずいぶん回り道をしたね・・・お疲れさま。


そして、真打ちは昌幸&薫の夫婦劇場(with片桐先生)。

薬に必要な薬草の煎じ汁を、片桐先生ったら捨てちゃった!(わっちゃー)

残り1本から作った貴重な薬を、昌幸パパったら飲んじゃった!(わっちゃー)

そして一言「わしが元気になってどうする!」(ダメだこりゃ!)

(薬ネタなら「健康オタク」の家康も絡んでくるかも・・・と思ったが、流石にそれは無し。)


こういう部分もあるから、全体として重い展開でも

深刻になりすぎずに見ていられるのかもしれないな、と思いました。

次回タイトルは「瓜売(うりうり)」、秀吉の朝鮮出兵に関するエピソードのようです。

まだまだ時代の荒波に翻弄される「真田丸」の行く末はいかに? 次回も注目です。

それでは、また。



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【日常】縁起良し?

こんばんは。

ここ数日は気合いを入れた記事を書いたので、

今日はちょっと小休止の意味で、あっさり味の話を。

みなさんは、縁起をかついだりすることはありますか?

ちょっとこちらの写真をご覧ください。


すりーせぶん?


ふぁいぶせぶん!?

これを見て、ちょっと嬉しい気分になった方もいるでしょうか。

実は私自身、ここ数日でこの2つに続けざまに遭遇して

テンションが上がらなかったといえば嘘になりますので・・・。


一応、それぞれの写真の簡単な説明を。

①は、数日前に私のブログで見る事ができた場面です。

親切なお客さんがコメントで教えてくれて、すぐにチェックしました。

Tuesdayさん、ありがとうございました。


②は、私が普段運転している車に関する画像です。

今日は用事があって車で出かけたのですが、

その途中でふと走行距離のメーターを見ると

「77776」になっていたので、少し先で車を路肩に停めて

決定的な瞬間(?)を写真に残すことに成功しました。


こんな「7並び」に2回も遭遇できるなんて、

来週は何かいい事があるということでしょうか?

逆にこれで運を使い果たしちゃった、だったりして・・・。

さぁ、まこな。の明日はどっちだ!?


そんな明日は「真田丸」レビューをお楽しみに。



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【戦国時代】嘘かまことか。③(完)

こんばんは。

「戦国三大『本当はなかったかもしれない』合戦絵巻」の最終回をお送りします。

前回、前々回のお話はこちらからどうぞ(別窓が開きます)

第1話 → 【戦国時代】嘘かまことか。①

第2話 → 【戦国時代】嘘かまことか。②


では、今日の本題にいきます。

今回は日本人の多くが知っているであろう有名な合戦、

「川中島の戦い」の真相にメスを入れます。


「(第4次)川中島の戦い」

【時期】1561年9月

【戦場】信濃(長野県)・川中島(八幡原)

【軍勢】武田軍約2万 対 上杉軍約1万3千
   (武田軍は本隊8千、別動隊1万2千)

【結果】痛み分け

【以下、よく知られる経緯】

・甲斐(山梨県)の武田信玄は、勢力拡大のため信濃へと侵攻を開始。

 信濃の村上・小笠原などの諸氏を駆逐し、信濃をほぼ制圧した。

 一方、信濃と国境を接する越後(新潟県)の長尾景虎(後の上杉謙信)は

 信玄に敗れた信濃の諸氏を保護し、彼らの懇願を受けて武田領へ侵攻する。

・両者は3度の小競り合いの後、1561年に4度目の対決を迎える。

 景虎改め上杉政虎は、川中島近くの妻女山に陣を構えた。

 対する武田軍の山本勘助は別動隊を用いた「啄木鳥(きつつき)戦法」を提案し、

 上杉軍を前後から挟み撃ちにする作戦を実行するが、

 政虎はこれを見破って夜のうちに妻女山を下り、八幡原の武田軍本陣に迫る。

・翌朝、霧が晴れた八幡原に対峙した両軍の本隊。

 策が外れ、予想外の展開に動揺する武田軍に対し、

 「車懸りの陣(上杉軍独自の波状攻撃法)」で猛攻を仕掛ける上杉軍。

 数でも劣勢の武田軍は、勘助や信玄の弟・信繁が戦死するなど苦戦を強いられる。

 この最中、政虎が武田本陣に切り込み、信玄と一騎打ちを繰り広げたと言われる。

・しばらくして妻女山から武田軍の別動隊が到着すると、戦況は逆転。

 挟撃により不利を悟った政虎は、被害を出しながらも八幡原から撤退する。

 信玄も必要以上の追撃はせず、両軍合わせて7千近い死者を出した大合戦は終わった。



この合戦は歴史の授業やテレビドラマ、ゲームなどでも

取り上げられることが多いため、以上の経緯はご存知の方も多いと思います。

実際、戦国時代を代表する2人の有力大名が直接対決をしたということで

歴史的にも、そして物語性としても戦国時代を代表する合戦と言えます。


しかし。

この「(第4次)川中島の戦い」の一部始終が「実は作り話かもしれない」と言ったら、どうでしょうか。

「そんなはずはない!本に書いてあったし、学校でもそう習ったんだから!」

反論したくなる気持ちも、当然分かります。


だが、しかし。

実のところ、この戦いが本当にこういう流れで行われた、という事を

証明する当時の資料は、ほとんど残っていません。

ここに書かれているのは、江戸時代に完成した「甲陽軍鑑」という書物の記載に基づくものです。

「甲陽軍鑑」は武田家武将・春日虎綱(高坂昌信)が書き残した当時の記録に

他の武田家臣や後世の学者が資料・伝聞を付け足して完成させたと言われており、

史実に沿った記録というよりも、前回説明した「軍記物」に近い位置付けの書物とされています。

つまり、後世の作り話である可能性も否定はできない、という結論になるのです。

「啄木鳥戦法は嘘だ!」とか「一騎打ちはありえない!」と主張する方も多いようですし・・・。


歴史学者や熱心な歴史ファンなら、より真実に近づこうと研究するところですが

私も含め、このブログを読む人でそれを求める人はほとんどいないと思いますので、

「作り話かもしれないけど、物語としては面白いよな」と受け止めるのもアリです。

(もっと詳しく知りたければ、ネットで検索すればいくらでも調べられるので)


学問としての歴史は、真実を追い求めることが目的なのかもしれませんが

歴史に興味を持つ人が全てそれを目指さなければならない理由はありませんし、

作り話が現代まで語り継がれているのも、決して悪いことだとは思いません。

これらを語り継ぐことで歴史に対して純粋に興味や関心を持つ人が増え、

様々な事象や人物について多面的に考えることができるようになれば

結果的に歴史好きが世の中に貢献することができるのかな、と考えています。



謎の人X
「そんな綺麗事いらない。『自分は学者になれない』って、限界を認めてるだけじゃない。」

うっ。(グサッ)


謎の人X
「結局アンタは、大したことない自分の知識を披露して、悦に入りたいだけでしょう?」

ぐぅっ。(ズバッ)


謎の人X
「いつまでもそんなだから、読者も増えないし、リアルの友達もいn」

もうやめてぇぇ!(ウワァァァァン!)


完!!



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【戦国時代】嘘かまことか。②

こんばんは。

昨日からお送りしています戦国ネタ企画。

「戦国三大『本当はなかったかもしれない』合戦絵巻」の第2弾です。

★第1話はこちら → 【戦国時代】嘘かまことか。①

今日紹介する合戦は「河越夜戦」

大河ドラマ『真田丸』でも話題になった関東の覇者・北条家にまつわる合戦です。


「河越夜戦(河越城の戦い)」

【時期】1546年4月

【戦場】武蔵(埼玉県)・河越城

【軍勢】北条軍 1万1千 対 反北条連合軍 約8万
   (北条軍のうち約3千が籠城)

【結果】北条軍の快勝

【以下、よく知られている経緯】

・北条早雲(伊勢新九郎)を祖とする戦国大名・北条氏は

 2代・氏綱の頃にかけて本拠地の相模から武蔵へと勢力を拡大した。

 これに危機感を抱いた室町幕府の関東管領・上杉氏や

 古河公方・足利晴氏などは過去の対立を捨て、反北条の意思で結束。

 氏綱の跡を継いだ3代・氏康に対して一大攻勢を仕掛けた。

・反北条連合軍は約8万の大軍で河越城を取り囲んだ。

 対する河越城には北条綱成(つなしげ)以下3千の兵が籠城する。

 氏康は8千の兵を率いて救援に駆けつけると、

 連合軍に偽の降伏文書を渡して敵の将兵を油断させた後、

 連合軍の陣に夜襲を仕掛けて散々に打ち破った。

 連合軍側の死傷者は1万人を超えたという。



この戦いは「日本三大奇襲戦」の一つとして数えられる有名なものですが

(残り2つは織田信長の「桶狭間の戦い」と毛利元就の「厳島の戦い」)

これを語る上で一番の問題は「現存する資料がほとんど無い」ということです。

敗れた上杉・足利両氏は間もなく衰退して、当時の公式な記録が残っていませんし、

勝った北条家にしても後に豊臣秀吉に滅ぼされてしまっているので、

この頃の詳細な記録というのが、なかなか見当たらないらしいのです。


ではなぜこのようなあらすじの記述ができるかといえば、

江戸時代以降に作られた「軍記物」と呼ばれる読み物の存在が大きいです。

今で言えば、歴史を題材にしたファンタジー小説のようなものでしょうか。

事実を土台にしながら、読む人の興味を引きそうな誇張や脚色を施して

多くの人に読まれ、また広まっていく読み物だったと考えられます。

以前記事にした「真田幸村」も、その流れで有名になった良い例です)

なので、この話を全て実話として扱うのは、少々無理がある気がします。


他にも「北条軍の武将に感状(手柄をたたえる賞状)が発行されていない」とか

「そもそも何で8万が1万に負けるのか!?」などツッコミどころはあるのですが、

それでもこの時期に北条家と反北条勢力の力関係が逆転したのは事実で、

このように大規模な夜戦ではないにせよ、両者の勢力圏の境界線上にあった

河越城をめぐる戦いは頻繁に行われていたと思われます。

それを乗り越えた北条氏康は、やはり優れた武将であったと評価されていいと思います。


ということで、ここまで「河越夜戦」について書いてみました。

真実がどうであったのかは、読む方の判断にお任せしたいと思います。

次回はこのシリーズのラストに相応しい、有名な戦いを取り上げます。

どうぞお楽しみに。



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【戦国時代】嘘かまことか。①

こんばんは。

昨日は久々に歴史について語ったので、

今日も戦国時代のネタで攻めてみたいと思います。

ややマニアックな話になるかもしれませんが、ご了承ください。


さて、戦国時代に限らず歴史の資料や解説本には

「本当かウソか?」と首をひねりたくなる部分が沢山あります。

歴史学者や熱心なファンが持論を展開して論争を繰り広げる一方、

それを見て「一体何を信じたらいいの?」と戸惑ってしまう人も多いと思います。


まぁ結局、歴史っていくらでも情報の後付けや一方的な解釈が可能だからねぇ・・・(ボソッ)

おっと、思わず本音が。


まぁ、学校のテストで満点をもらうための勉強ならともかく、

もっと広い意味で「歴史を学ぶのは面白い」と思えるようになるには

正解か不正解かより、自分なりに考えるきっかけを見つけるのが大事なんですよね。

ということで、今日から3回シリーズで戦国時代、特に合戦の「本当かウソか?」に迫りたいと思います。

(といっても、このブログで決着はつけません。歴史に「諸説あり」はつきものなので。)


というわけで、タイトルどーん。

「戦国三大『本当はなかったかもしれない』合戦絵巻」~!  ぱちぱちぱちー


戦国時代には、全国各地で大名や領主などによる合戦が繰り広げられました。

特に有名な合戦は「桶狭間の戦い」や「関ヶ原の戦い」のように

主に戦場に由来する名前がつけられて多くの人に知られるようになりましたが、

中には「本当にその記録の通りに戦ったの?」と疑問符がつくものもあります。

(長篠の戦いの「織田軍の鉄砲3千挺は多すぎ」とかですね・・・これはノーカウントで。)


そんな「本当かウソか?」と意見の分かれる合戦について紹介するのが今回の主旨です。

真相を求めることが目的ではないので、頭の体操程度に読んでもらえれば幸いです。


それでは、今日注目する合戦はこちら。

「手取川の戦い」

【時期】1577年9月

【戦場】加賀(石川県)・手取川

【軍勢】上杉軍 約2万 対 織田軍 約4万

【結果】上杉軍の圧勝

【以下、よく知られている経緯】

・越後(新潟県)の上杉謙信は、能登(石川県)の畠山氏が籠る七尾城を攻めていた。

 畠山氏の重臣・長続連(ちょうつぐつら)は、織田信長に救援を求める。

 信長はこれを受諾し、柴田勝家らと中心とする4万の軍勢を出陣させた。

・しかし、織田軍が救援に向かう途中で七尾城は畠山家臣の内応により落城。

 さらに織田軍の動きを察知した謙信は、迎撃のため加賀方面へ兵を進める。

 一方、織田軍は手取川を渡り終えたところで七尾城落城を知り、撤退を始めたが

 謙信率いる上杉軍の追撃を受け混乱、多数の戦死者および溺死者を出した。



文章で書くと意外にあっさりしたもので、「どこがウソ?」と思われるかもしれません。

実はこの合戦の流れは、合戦に勝利したとされる上杉家の記録に書いてあることがほとんどで、

織田家の記録には「七尾城落城を受け、加賀から撤退した」としか書かれていなかったりするのです。

両者の言い分が食い違っているので、本当に衝突があったのかは謎なんですよね。

(負けた側がわざと記録に残さなかった、という可能性ももちろんありますが・・・)


また、両軍合わせて6万もの兵が戦ったという割には

両軍とも有名な武将が全くと言っていいほど討ち死にしていません。

これは長篠の戦い(織田&徳川3万8千+武田1万5千)より多いのですが・・・。

この時敗れた武田軍が多くの将を失ったのに対し、織田軍の主力武将はすべて生き残っています。

(羽柴秀吉に至っては、合戦前に個人の判断で陣を離れていたという)

命を懸けて戦う「合戦」というには、少し不自然な感じも残ります。

というわけで「本当に戦闘があったのか」、専門家の間でも意見が分かれている合戦なのです。


ちなみに、手取川の戦いは『織田信長と上杉謙信の唯一の直接対決』と説明されることもありますが

上記の説明の通り、信長がこの合戦で指揮をとったという記録はありません。

しかし、信長がこの時の上杉軍の勢いに脅威を感じていたのは事実のようで、

この翌年に謙信が病死したと知った信長は、胸をなで下ろしたと言われています。


謙信の死後、上杉家は跡継ぎをめぐる争いで急速に弱体化してしまいますが

上杉家としては「あの信長をも苦しめた謙信」の姿を後世に残したかったのでしょうか・・・。

そんな想像もできる、手取川の戦いについての考察でした。


次回は「河越夜戦」をピックアップする予定です。



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【雑感】夢がある。

こんばんは。

今日は雨がしっかり降って、蒸し暑かったです。

梅雨も本番という感じで、食中毒にも注意が必要ですね。


さてさて、私のブログでは時々

戦国時代に関する知識や考察などを書いているのですが

実際やってみると、これが結構楽しいものです。

もちろん、それ専門のブログにするほど詳しくはないですし

日常や他の話題も書きたいので、「時々」になっているのですが。


一方で、他の方が書いた戦国時代の記事を読むと刺激を受けます。

最近始めたツイッターでも、戦国時代の知識をつぶやく方が多数いて

「知らなかった」とか「なるほど」と思わされることも多いですね。

ただ、やはり自分で発信する方が楽しいのは間違いないです。


これは以前にも書いたかもしれませんが、

私の戦国時代に関する情報発信のやり方として

「多くの人は□□と誤解しているが、正しく〇〇である」というように

正解・不正解を決めつけるような言い方は好きではなくて、

「□□と広く知られているが、〇〇という説もある」のように

読む人によって幅を持たせることのできる書き方をしたいと思っています。


「学問としての歴史」では、前者の説明の仕方が正しいのかもしれません。

しかし、私のブログを読みに来る人にそれを求める人は基本いないと思いますし

何より自分自身からかけ離れた書き方を続けるのは、辛いものがあるのです。

読んだ人に「戦国時代(武将)って、思ったより面白そうだな」と興味を持ってもらえる、

「歴史には夢やロマンがある」ということを伝えられればと考えています。


教科書に書いてあることは知識として大事ですし、

多くの人が知らないことを調べて話せば優越感が得られます。

しかし、私が歴史を語る究極の目的はそれらを超えて、

歴史に対する「共感」のようなものを広めたい、ということかもしれません。

もっと言えば、私自身が歴史を語り継いでいく側の人間になりたい。

学者にならなくても「歴史はいろんな見方が出来る」と伝えていくことはできます。

「なに身の程知らずなこと言ってるんだ」と自分でも思いますが、

人生における一つの柱にするつもりで、これからも頑張ってみます。


今日は以上です。



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【日常】はつみみな話。

今日あった、職場での出来事。

電話をとった後の、相手の第一声。

「もしもし」

「わたくし、鳥取〇〇事業所のみかんと申しますが」

「はい・・・え、みかんさん、ですか?」

「はい、みかんです」


最初は「みかわ」の聞き間違いかと思ったが、確かに相手は「みかん」と言っている。

世の中には、そんな苗字もあるのか。 電話を切った後、しばし呆然とした。

家に帰っても忘れられなかったので、ちょっと調べてみた。

どうやら、この「みかん」さんは漢字で「美柑」さんと書くらしい。

鳥取県を中心に、日本にはおよそ100人余りの「美柑」さんがいることも分かった。


うーむ、日本は広い。そして、苗字は奥が深い。 また一つ、勉強になった。

こうなったら「りんご」さんや「いちご」さん、「ぶどう」さんも探してみるか、と思ったまこな。であったとさ。

おしまい。



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