そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
日記、雑談、戦国、FX・・・まだまだ増えるかも? 気の向くままに言葉をつづります。
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【日常】おっさん化。

こんばんは。

今日で9月も終わり、今年もあと3か月となりました。

外はだいぶん涼しくなり、日が落ちるのも早くなっています。

「食欲の秋」とか言って喜んでいた私ですが、ちょっと悲しい事が・・・。


端的に言うと、「食べられる量が減ってきた」と感じるのです。

私は一人暮らしなので、食事はお店で買ってくることが多いのですが

「今日はこのくらい食べられるかな?」と思って買ってきた量が、食べきれない。

食事中、まだ量が結構残っている段階で満腹感を感じるようになりました。


もちろん、心理的に「食べたくない」と思っているわけではなく

(極度にメンタルが落ち込んだ時以外は、食べることにはいつも前向きです)

食べた後に気分が悪くなるほど食べることもないのですが、

自分の身体が必要としている量が、減ってきているのかもしれません。

やはり30代も半ばにさしかかると、望まない変化も訪れるようです。

ちょっと体重を減らせということかも・・・


とはいえ、気持ちまで老けこむわけにはまいりません。

実はこの10月には、ある場所へ一人旅をする計画を立てています。

時期が来たら、ブログでも紹介できると思うのでお楽しみに。

以上、9月最後の記事でした。



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【お楽しみ】再起へ。

こんばんは。

今日は9月29日、⑨の日ですね。

そういえば、前回は⑨の日をすっとばしていました。

確か、月曜日で真田丸のレビューとぶつかってしまったんだと思います。

以前であれば無理やりねじ込むこともできたんでしょうけど、

最近の気分の落ち込みや忙しさなどもあって、実現しませんでした。


そんなこんなで、今日の⑨の日も別段ネタがありません。

どうにか仕事の忙しさは一段落つきそうなので、次回はどうにかなりそうですが。

やはり、自分が書いていて楽しいと思えないと、このブログの意味がないのかな、と。

読みに来てくださる方が、このブログに何を求めているのかはそれぞれだと思いますが

何度も書いているとおり「まず自分自身が、このブログの一番のファンでありたい」と考えて

立ち寄って楽しんでもらう、あるいはホッと一息ついてもらうブログを目指していきます。


多摩だにゃ
「難しく考えず、のんびり行くにゃ。」


電(いなづま)なのです
「なのです!」


では、今日はこのへんで。



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【戦国時代】同一人物?

こんばんは。

今日は久々に、戦国時代ネタ(というかゲームネタ?)を書こうかな、と。


まずは、この2枚の写真をご覧ください。


義元さん・1


義元さん・2


この2人、実は同一人物です。


戦国時代やその手のゲームに詳しい方には、説明は不要かもしれませんが

この人物は、戦国時代に駿河・遠江(現在の静岡県)などに勢力を誇った大名・今川義元氏です。

写真は、ともにコーエーテクモゲームスの作品からお借りしました。

(①→戦国無双4 Empires、②→信長の野望・創造withパワーアップキット、いずれもPS3版)


で、何が言いたいのかというと・・・

「ここまでギャップの激しい戦国武将は、他にはいない。」


義元氏は「2万5千の兵を率いながら、桶狭間で3千の織田軍に敗れた」ために

「愚将」というありがたくない評判が常について回ってきた人物でした。

その人物像は、義元を討ち「天下布武の英雄」となった信長のイメージと反比例するかのように

「武将のくせに公家かぶれで、馬に乗れないほどの肥満体」などと悪いほうに膨らんでいきます。

まさに、①の写真のような義元像が、人々の間に定着していったのです。


しかし、信長に討たれるまでの義元は「海道一の弓取り」という評判を持ち、

駿河・遠江・三河(愛知県)の3カ国にまたがる領地を、巧みに経営したことでも知られています。

また、今川家は足利将軍家と同じ源氏の一族で、幕府や朝廷とのつながりも強く

当時は「将軍家に何かあれば、今川家が助けに入る」とまで言われたといいます。

公家の格好は、義元のような有力戦国大名の言わば”正装”。 決して軟弱なわけではないのです。

こうした点が最近になって再評価され、②のような義元像がゲームでも描かれるようになりました。


さて・・・皆さんの中の義元像は、①と②のどちらに近いでしょうか?

戦国時代に興味のある人それぞれが、自分なりの武将のイメージを描いているはずですので

どちらが正解ということはないですし、善し悪しを決めつけようというわけでもありません。

ただ・・・どうしても好き嫌いによる偏見や思い込み、美化したい願望などが出てしまうのが人間なので

一つの側面だけにこだわらず、より多くの視点から人物を見られるようにしたいですね。

同時に、過去を生きていた人達に対する「敬意」を、常に持っていたいと思います。


ちなみに・・・来年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」では

テレビ番組「笑点」でおなじみの春風亭昇太さんが、今川義元役を演じるそうです。

どちらの義元像に寄せてくるのか、楽しみにしたいと思います。

(その前に、「真田丸」を見届けなければ・・・)


では、今日はこのへんで。



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【日常】ソーリー。

こんばんは。

今日は週末の話題を一つだけ。


家で使っていた電動ひげそりの替刃を買うことにしました。

外側の刃(肌に当たる部分)が傷んでしまい、肌を傷つける恐れがあったためです。

さっそく、土曜日に近所の家電量販店に出かけて、替刃を探しました。

ひげそり自体は割と昔の型でしたが、それに合う替刃がありましたが、けっこう高い。

外の刃と中の刃がセットで、5千円もするんですよ。これが。

反対側の棚に目をやると、もっと新しく使いやすそうな形状のひげそりが。

ちょっと考えましたが、替刃より安かったので本体ごと買い換えることにしました。

思った通りそり心地もよく、毎朝のひげそりがちょっと楽しくなりましたとさ。


うん、オチは無いですよ。 え、ダメ?  ・・・アイムソーリー。

ひげソーリー。


今日は⑨の日!
「・・・さむっ。」


【真田丸】第38話視聴。

【訃報】元上田城主の真田昌幸氏が死去


1611年、前の信濃国上田城主で、戦国武将の真田昌幸氏が亡くなりました。65歳でした。


昌幸氏は甲斐・信濃などに勢力を広げた戦国大名・武田信玄氏に仕え、

優れた知略で信玄氏とその子・勝頼氏の2代にわたって武田家を支えました。

1582年、武田家が織田家や徳川家などの侵攻によって滅ぼされると、

織田家、北条家、上杉家、徳川家などを相手に臣従と離反を繰り返し、

本拠地である信濃に真田家の勢力を確立するため知略の限りを尽くしました。

特に、1585年には上田城に攻め寄せた徳川軍およそ7000を

わずか2000の兵で撃退する活躍を見せ、その名を世に知らしめました。


やがて、豊臣秀吉氏が天下の主導権を手中に収めるとこれに従い、

関東の北条家に対する攻略作戦に参加。忍城(武蔵国)の攻略に貢献しました。

秀吉氏の死後は、豊臣政権内で専横を強める徳川家康氏の姿勢に反感を抱き、

同じく家康氏を敵視していた石田三成氏の挙兵に呼応する形で徳川軍を離反。

1600年、再び上田城を攻めた徳川軍を迎え撃ち、これを撃退しました。


しかし、三成氏が関ヶ原の戦いで敗れ、敗軍の将となった昌幸氏は、家康氏の命令で上田城を退去し

次男の信繁さんやわずかな家臣とともに、紀伊国九度山村に幽閉されていました。

昌幸さんの長男で、現在の上田城主の真田信之さんが何度も家康氏に赦免を願い出ましたが

聞き入れられることはなく、近親者に看取られて亡くなったということです。


関係者への取材によると、昌幸氏は自分の死期が迫ったのを知ると

信繁さんに自らの兵法をまとめた書物を託した上で、天下が再び乱れることを予測し

家康氏を倒すための策を信繁さんに授けたということですが、その詳細は分かっていません。

また、昌幸氏は信繁さんに真田家代々の「幸」の字を使う名前への改名を

打診していたということで、信繁さんの今後の動向が注目されます。


以上、第38話「昌幸」を某局のニュース風に振り返ってみましたの巻。



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【雑感】立ち直るために。

こんばんは。

この土日で、どうにか立て直す方法を考えていた私です。

仕事のことを忘れて、少し気分は楽になって過ごせたと思います。


ところで、大相撲秋場所は今日が千秋楽でした。

昨日の時点で初優勝を決めていた大関・豪栄道(ごうえいどう)関が今日も勝ち、全勝優勝を飾りました。

車のラジオでインタビューまで聞いていましたが、これまでの苦労が報われたという感じがします。

「努力はいつか報われる」と信じて、自分にできることをしていかないと道は開けないでしょうか。


あと、ラジオで解説をしていた親方の言葉ですが

「力士も人間なので、体調が悪かったり、集中できないこともある。

 そういう時でも自分のやるべき事ができる人は、後で必ず伸びる。」

これは、今の自分に一番必要な言葉ではないかと思いました。

このブログが有名になることとか、他人に認められることはさして重要ではない。

自分を表現すること、自分の知識や考えをまとめることがこのブログの目的ではなかったか?

大したことのない、日々を振り返るだけの文章でも、いつか自分の力になると信じて。


どんなに頑張っても一気にゴールまでは行けないから、まずは一つづつ乗り越えていこう。

ということで、ブログの更新は無理をせず続ける方針で行きます。

お騒がせしましたが、これからもよろしくお願いします。



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【メンタル】感情を失くした。

こんばんは。

仕事が忙しくなると、こうも変わるものなのか。

この1週間、ほとんど笑わず、また仕事以外の会話をしていないことに気付きました。

そのせいか、「楽しい」とか「悲しい」みたいな感情が湧きあがらなくなっています。

メンタルに不調が表れてから2年半、毎日飲み続けている薬のせいもあるかもしれませんが

最近感じるのは「疲れた」とか「むなしい」という、全く心を揺さぶらない気持ちばかり。

その結果、休みの時に何をしてもつまらないし、そもそも何をしたいのかも分からない。

好きなことをして楽しそうな人を見るたび、「どうして自分は」と落ち込む毎日。


いっそブログもツイッターも、辞めてしまったら楽になれるだろうか。


土日で、ちょっと考えます。



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【日常】昨日と今日と。

こんばんは。

昨日は仕事で帰宅が夜10時だったので、さすがに更新できませんでした。 サーセン!


この一週間、月曜と今日が祝日で休みだったというのに、疲れはいつも以上にあります。

今日も、午前中はぐったりとして何も手につかない感じになってしまいました。

こういう時は、楽しいはずのことも面倒に感じて、何をやっても心にスッと入ってこないというか。

メンタルの不調が影響していることも考えられるだけに、無理をしないようにするしかない。

正直、ブログやツイッターで楽しそうにしている人を見るのが苦痛に感じることもあるのですが

他人のことをうらやましがっても自分の状況が変わる訳ではないので、

自分のペースを守りつつ、明日からの仕事をこなしていくことに集中したいと思います。


来月に入ったら、少し長めの休みをもらって旅行にでも行けたらなぁ・・・と思っているまこな。でした。



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【日常】脳に刺激を。

こんばんは。

昨日はコメントも頂き、ありがとうございました。

残業だったためゆっくりお返事できませんが、「真田丸」の再放送は見逃しません。 多分。

次回は一気に時間が進みそうなので、関ヶ原の余韻をしっかり味わわなくては・・・


ところで、この3連休は台風などの影響で荒れ模様でした。

私も出掛けることはせず、家の中でもできることを探しておりました。

で、その結果として行ったのは「戦国武将の解説書」作り。

もちろん、一日や二日で終わるものではありませんので

ほんの「さわり」の部分だけで時間切れになってしまいましたが。

とはいえ、しっかり時間をとって調べ物をすることが最近はなかったので

夢中になって作業を進めることができました。


普段と違うことをするのは、気分転換にもなりますし、脳の働きにも良さそうな気がします。

退屈になりがちな日常生活にスパイスを与えるのも、休みの日の有効な使い方でしょうか。

あ、ブログのネタ探しも忘れずに・・・ですね(苦笑)

それでは、また!



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【真田丸】第37話視聴。

こんばんは。

さて、今日はいつもの通り大河ドラマ「真田丸」について書きますが

残念なことに、後半をちゃんと見る事ができなかったんですよね・・・。

仕事場の上司から、急を要する電話があって、その対応をしていたので

最後の方は、ほとんど記憶が残っていません・・・  仕事が優先なので仕方ない。


というわけで、ちゃんと見ていた前半部分のみを振り返ってみます。

・関ヶ原の合戦はわずか1日で決着。昌幸は信濃で抵抗を試みるが・・・

・信幸は、戦前の約束通り昌幸と信繁(幸村)の助命を家康に嘆願するが・・・

・命は保ったが城を奪われる昌幸、城を得たが名前を捨てる信之。家康の高笑いが響く。


それにしても、今回は家康の『ラスボス』感が半端じゃなかったですね!

「生き地獄を味わうがよい・・・!」のセリフは、もちろん実際には言っていないでしょうけど

どこのRPGの魔王だよ!って感じで、本当に憎たらしく聞こえました。

武田信玄の時代から因縁のあった昌幸をついに従えた、という家康の本音が出たのかもしれません。


本音といえば・・・家康は、自分に二度も刃向かった昌幸と信繁に対して死を与えるつもりであったが、

信幸や本多忠勝の嘆願によって九度山への流罪にとどめた・・・というのは、広く知られているところです。

しかし・・・いくら二度も自分の邪魔をされたからといっても、関ヶ原の戦い全体でみれば

今回の真田親子への処分は、かなり厳しいものであったと見ることもできます。


関ヶ原の合戦後、家康の命令で処刑された武将は、石田三成以外の有名どころでは

三成と共謀したという肥後の小西行長と、毛利輝元を総大将に推した安国寺恵瓊(えけい)くらい。

総大将の毛利輝元や、戦前に家康を挑発した上杉景勝は領地を大きく減らされましたが、命は無事。

同じく五大老の一人で、西軍の主力だった宇喜多秀家も領地は没収されましたが、これも処刑は免れました。

まして、関ヶ原で東軍の本隊と直接戦った訳でもなく、さらに一族から信幸が家康方についていた真田家から

領地はともかく(上田領は信之に与えられたので、実質現状維持)昌幸らの命まで奪うのは、やりすぎでは・・・。


多分ですが、家康自身の個人的な感情が、昌幸らを許しておけなかったのでしょう。

本多忠勝が家康を止めたのは、信幸のためというよりは家康の独断専行を抑えるため。

(徳川家の他の重臣たちも、昌幸らを死罪にはしないように働きかけたという説もある)

『感情に任せて敵将を処刑しては、いたずらに敵を増やしてしまう』と諌める意味もあったと思います。

とはいえ、昌幸は放っておけば徳川家に何をしてくるか分からない危険人物ですので

手も足も出ない状態にして九度山に閉じ込めておく、というのが最良の策と判断したのではないでしょうか。


・・・っと、今日はちょっと熱く語ってしまいましたね(苦笑)

三成や大谷吉継の最期は、再放送で見届けることにします(汗)

ということで、今週も仕事頑張ってきます! ブログは・・・まぁできたらやります(小声)



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