そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
日記、雑談、戦国、FX・・・まだまだ増えるかも? 気の向くままに言葉をつづります。
【真田丸】第43話視聴。

こんばんは。

先週から旅日記をお送りしているこのブログですが

月曜日はこれまで通り、大河ドラマ「真田丸」のレビューをお送りします。

気づけば今日で10月も終わり、今年も残り2か月となりました。

ドラマの方も大詰めという感じで、レビューする身にも力が入ってきます。

では、第43話「軍議」のあらすじを見てみましょう。


・真田幸村(信繁)が大坂城に入ったという情報は、信之らの元にも届いた。

 息子たちを徳川秀忠の軍に預けている信之は、意外な行動に出る。

 真田隊を大坂攻めの先陣から外してもらうよう、姉の松に文書をことづけたのだ。

 「敵に身内がいれば、幸村は本気が出せない。それでは大坂に入った意味が・・・。」

 弟には思う存分戦い、九度山での無念を晴らしてほしいという兄としての想いであった。


・一方、大坂城では徳川軍を迎え撃つための軍議が開かれていた。

 幸村は、父・昌幸が死に際に託した「豊臣が徳川に勝つ策」をアレンジし

 京や近江などを押さえるため進軍することを提案したが、賛同は得られず。

 大坂城の上層部は「籠城こそ最善の策」と考えて疑わず、

 なおかつ「将兵は自分たちの指図に従えばよい」と根回しまでしていたのだ。

 だが「自分の実力をこの戦で試したい」と大坂に入ったという毛利勝永が

 幸村の策に興味を示したことから、次第に風向きが変わり始める・・・。


・再び開かれた軍議の場で「籠城では勝てない」と主張する幸村に

 勝永をはじめ長宗我部盛親や明石全登(てるずみ)も同意を示し、

 さらに最後まで渋っていた後藤又兵衛までもが幸村の策に乗ると言い出す。

 幸村はその勢いで、籠城を主張していた豊臣家の武将・木村重成も説得し、

 ついに秀頼自身から「徳川を城外で迎え撃つ」という判断を引き出した。

 ところが、これを土壇場でひっくり返したのは、まさかの人物の一言だった・・・!



さて、総勢20万という徳川軍に対し、大坂城の将兵はおよそ10万。

当時の合戦において、2倍の兵力を持つ敵が攻めてきた際には

城や砦が無い場所で迎え撃つ、いわゆる「野戦」では勝ち目が薄く

このドラマでも主張された通り「籠城して持ちこたえる」のが基本でした。

戦国時代には、2倍どころかそれ以上の兵力だった攻撃軍を撃退した籠城戦もあります。


まして、当時の大坂城は豊臣秀吉が巨額の資金と実戦の知識・経験を注いで作らせた

「天下一の城」であり、同時に「豊臣家の象徴」といえる最強にして最後の砦です。

まだ若く、実戦経験もない秀頼に代わって豊臣家の意思決定を担う者たちが

「大坂城に籠城すれば、家康も怖くない」と本気で信じていたのも分かる気がします。


しかし、彼らの本音は別のところにあったようです。

「寄せ集めの将兵は信用できないから、その意見など聞く耳持たぬ」という感じでしょうか。

実際、大坂城に集まったのは関ヶ原の戦いで領地や勤め先を失った牢人(ろうにん※)や

後藤又兵衛のように勤め先を解雇され、他の家にも仕官できないという流れ者ばかり。

それを雇った豊臣家の重役たちから見れば、言葉は悪いかもですが

「飯や住む場所の面倒をみてやるんだから、余計なことを考えず戦え」という意識があったのかもしれません。

(※)「浪人」という字があてられることもあるが、これは江戸時代以降に生まれた表記らしい


一方、幸村が主張した「出撃策」にも、一理あります。

まず「籠城で勝つには、城の外から援軍が来ることが不可欠」という幸村の説明。

前述した籠城戦での逆転勝利も、ほとんどは援軍の到着で戦況が変わったものです。

しかし、今の大坂城は又兵衛の言葉通り「日本中を敵に回している」状態で、援軍は期待できません。


さらに、片桐先生が家康に伝えた「大坂城の兵糧は半年も持たない」という問題。

敵に囲まれた城に籠れば、外からの補給が絶たれ食糧や水の貯えが減っていきます。

(兵や領民の餓えに耐え切れずギブアップ、という籠城戦の決着も多くあった)

それも10万人、今なら1つの都市に匹敵するような人口を抱えた

大坂城に今あるだけの食糧で、2年も3年も食いつなぐことができるのかどうか? 

「籠城ならすぐには負けない、だが勝つ見込みもない」と幸村は考えたのでしょう。

「京に攻め上り家康を討ち、橋を落として援軍を絶つ」のは、あくまで勝ちにこだわった戦略でした。


ですが、最後の決め手となったのは秀頼の母・茶々の「籠城です。」の一言でした。

茶々本人も人生で2度の籠城戦を経験し(浅井長政の小谷城と、柴田勝家の北ノ庄城)

その結果として大切な人を失い、心に傷を負ったはずなのに、なぜ籠城にこだわったのか。

「秀頼を危険な目に遭わせたくない、城にいれば安全だ」という母の想いか。

「牢人たちは信用できない、大坂城だけは信じられる」という豊臣家の人間としての意地なのか。

それとも・・・ 「あなたと私は同じ日に死ぬの」の予言に縛られて・・・?


どうあれ、この決定が後の世に語り継がれる「真田丸」の戦いにつながっていきます。

次回、第44話「築城」をお楽しみに。



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【旅日記】長野旅・4話「散策」

こんばんは。

なかなかコメントのお返事ができず、すみません・・・。

返事が今後のネタと被りそうな内容になりそうで、考えています。

2,3日以内にはお返事できるとよいのですが・・・


さて、今日は旅日記の第4話「散策」。

旅は早くも2日目に突入、早速いってみましょう。


ホテルの5階にあるお部屋から、朝の長野の街並み。

心配していた天気もまずまずで、一安心です。

それでも、やはり冷え込みは強いと思いましたが・・・。

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朝の散歩を兼ねて、ある場所に出かけてきました。

親に長野へ出かけることを告げた時、あることを教えてもらっていました。

「昔住んでた家の近くだから、時間があれば見てきたら?」


実は、私は幼い頃に長野で2年間ほど過ごしたことがあります。

もう30年も前のことで、当時の記憶はほとんど残っていませんが

どんな町だったのか興味があったので、行ってみることにしたのです。


スマホの地図アプリを頼りに、教えられた住所の近くへ。

よく買い物をしたという大型スーパー、「イトーヨーカドー」が目印です。

鳥のマークの看板がイメージとしてあったのですが、

今はセブンイレブンと同じロゴマークになっているんですね・・・

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大通りから路地に入り、商店街を歩きます。

年季の入ったお店も多く、私がいた頃からあったのでしょうか。

あと、私が通っていた保育園前も通りました(写真は載せていいか迷ったので省略)

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そして、当時の自宅近くにあって、よく遊んだという公園を見つけました。

住宅街の一角にある、小さな三角形の公園です。

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母は「この公園にはタヌキの遊具があった」と言っていましたが

30年経った現在は、カエルとザリガニに替わっていました(笑)

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そして、いよいよ自宅の集合住宅前に到着。

今から考えてみると、便利の良い場所だったんだなと思います。

もちろん当時は、向かいに見えるセブンイレブンも無かったでしょうが(苦笑)

(母いわく「すぐ近くにパン屋があった」そうだが、確認できず)

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かつて暮らしたという町を歩いてみて、感じたのは「自分が成長した」ということ。

前の自宅からスーパーまではほんの1kmくらいの距離しかなかったのですが、

幼児だった時の感覚では、隣町まで出かけるくらいの大イベントだったと思います。

目線が高くなるというか世界が広がった今では当たり前に見えるものが

当時の自分には世界の全てだったのだな、と実感しました。


以上で朝の散歩は終わり。

次回はいよいよ旅の目的の一つ、「真田丸」のルーツを訪ねにいきますが

明日は本家の「真田丸」レビューのため、火曜日をお楽しみに。

それでは、ドラマを見ますのでこのへんで。



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【旅日記】長野旅・3話「絶望」

こんばんは。

今日は大河(?)ブログ「長野旅」の第3話「絶望」をお送りします。

昨日の予告で「いったい何があったんや!?」と心配した方もいると思いますが

命に関わる事態ではないので、そこはご安心を。(ちゃんと帰ってきてますし)

まぁ、旅にちょっとしたトラブルはつきものってことでね、読んでやってください。


では、いきます。

運転を続けること12時間、ようやく長野市の近くまでやってきた私の車。

心配なのは、高速道路を降りてからホテルまで迷わずいけるかどうか。

山陰より確実に人も車も多い上、暗くなった知らない街中を走るわけですから

どこか1本違う道に入ってしまうと、たどりつけなくなる恐れもあったのです。


でも、今回の私には「スマホ」という武器がありました。

トップ画面からボタンひとつで、見たい場所の地図を表示してくれます。

降りる予定のインターチェンジから、どの道をどちらに曲がればよいかというのを

徹底的に頭に叩き込み、意を決して車に乗り込みました。


すっかり暗くなった夜の高速を走り抜け、ようやく長野市のインターに到着。

軽自動車で多少安いとはいえ、兵庫県佐用料金所からの料金はおよそ1万円。

精算所の職員の方からも「遠くからおつかれさまです」と労われましたよ。

(カーナビとETCをつければ、もっと安くなるらしいですが・・・)


で、ここからは記憶力が頼りの街中ナイトドライブ。

しかし、長時間運転で疲れている上、暗くて標識も見づらかったのでしょう。

5分ほど走ったところで、様子がおかしいことに気がついたのです。

「あれ、違うところで曲がったかな・・・ここはどこだ?」

車をバス停らしき路肩に停め、現在地を確認しようとしたのですが・・・


「え、ちょっと・・・ スマホはどこ!?」


前のサービスエリアでは確かに持っていたスマホが、見当たりません。

助手席の上に置いたはずだったのですが、そこにはなく。

走行中に落としたかと思い、座席の下もくまなく探しましたが、見つからない。

かばんの荷物もすべて出して、ひっくり返してみても出てきません。


「これは、人生で最大級にやばいことになった・・・」


自宅からも実家からも離れ、知り合いもいない場所で

唯一の通信手段兼ナビゲーションツールを失うという大失態。

ホテルにも連絡がとれないとなると、今日の宿泊すら危うくなります。

(チェックインに必要な情報も、全てスマホで管理していた)

そして、これから4日間をどんな気持ちで過ごせばいいのか・・・。


半ば泣きそうになりながら、できることを探してたどりついたのは

車で5分ほどの距離にあったコンビニエンスストア。

ここの店員さんに事情を話し、スマホへ電話をかけさせてもらうと・・・

「ただいま電話に出ることができません。 発信音のあとに・・・」

そうだ、運転中でマナーモードにしてたんだ。 これでは場所を特定できない。

「サービスエリアの駐車場に落とした」という最悪の展開が現実味を帯びてきます。


電話を返してコンビニの駐車場に戻り、祈るような気持ちで車の中を探します。

そして、最後まで見ていなかった「助手席とドアのわずかな隙間」に手をいれた、その時。

「あ・・・!!」

確かな手ごたえを感じ、しっかり握り直して引き上げると、それは確かにありました。

画面には、先ほど留守番電話になったコンビニの電話番号が表示されていました。

「良かった、本当に良かった・・・」

旅行初日にして訪れた最大のピンチを、どうにか切り抜けることができたのです。


これ以降、スマホは必ず上着のポケットにしまうことを心に決めた私は

ご迷惑をかけたコンビニの方にお詫びをし、お礼も兼ねて買い物をした後

スマホで改めて道順を確認し、どうにかホテルへ辿り着くことができました。

到着したのは、予定チェックイン時刻の15分前でありました。

この日1日で走った距離は、こちら。

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もちろん、自分の人生における最長記録を大幅に更新。

自分でもこれだけ長距離を運転できるんだなー、としみじみ思いました。


というところで、早くも波乱含みの旅行1日目は終了。

次回から、本格的な観光の様子をお伝えします。

明日の第4話「散策」にもご期待ください。



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【旅日記】長野旅・2話「快走」

こんばんは。

昨日から始まった長野旅行レポート、今日は第2話です。

やっと休める週末を迎えて早めに休みたいので(←おい)、今日はさくっと道中編。


出発からおよそ3時間半、兵庫県は加西サービスエリアにたどりついた私。

ここまでの走行距離は、この写真の通り約200Km。

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時速に換算すると60km弱ですが、思いのほか伸びないのは鳥取横断中に朝の通勤ラッシュに巻き込まれたり

途中でちょっと早めの休憩をとったりしたせいです。(私にはこれまで、1日に2時間以上続けての運転経験は無い)

まぁ急ぐ旅でもないし、暗くなるまでにたどりつければ良いかー、みたいな感じでおりました。

ここからは高速道路の案内標識に従って、一路長野を目指します。

運転中は当然ですが写真は撮れないので、休憩地とおおよその到着時間で振り返ります。

中国自動車道・西宮名塩サービスエリア(兵庫県)着・10時30分
(急にトイレに行きたくなったため、予定外の停車)

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名神自動車道・大津サービスエリア(滋賀県)着・12時

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同じく名神自動車道・養老サービスエリア(岐阜県)着・14時

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中央自動車道に入り、虎渓山(こけいざん)パーキングエリア(岐阜県)着・15時15分

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このあたりまで来て、「長野ってやっぱり遠いなー!」と改めて実感します。

名神自動車道が岐阜県から愛知県に入り、再び岐阜県に入ったあたりで日が傾いてきたので

「こりゃ、日が暮れる方が早いかもしれない・・・」と覚悟を決めたのも事実です。

結局、岐阜県と長野県にまたがる全長約9km(!)の「恵那山トンネル」を抜けた頃には、

すでに夕暮れを間近に迎え、ヘッドライトをつけざるを得なくなったわけです。


全く知らない道、しかも暗くて景色も見えない中ですから、心細いのなんのって。

でも、長野市までたどり着かないと宿も無いし、楽しみにしていた観光もできない。

とにかく意識を最大限に集中して、無我夢中の如くにハンドルを握りました。

そして日もとっぷりと暮れた午後6時過ぎ、辿り着いたのがこちら。

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長野自動車道・梓川(あずさがわ)サービスエリア。

直前の休憩から、3時間近くぶっ通しで運転するという(私にとっては)強行軍でした。

駐車場に停めた車から降りる時、少し足元がふらつくという初めての経験もしました。


ともあれ、ここまでくれば目指す長野市まであとわずか。

気を良くして夕食をとり、気持ちを上げつつ車に乗り込んだのですが・・・。

この後、恐ろしい事態に見舞われるのを、この時の私は知るよしも無かったのです・・・。


次回、第3話「絶望」にご期待(!?)ください。



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【旅日記】長野旅・1話「出発」

こんばんは。

今日から、本格的に旅日記を書きます。

昨日紹介した写真も、おいおい出てきますのでお楽しみに。

なお、毎回のタイトルは「真田丸」を意識して漢字二文字に統一(笑)

第1話はもちろん「出発」となります。


10月19日水曜日、午前6時。

夜もまだ明けきらぬ鳥取県西部、米子市の空。

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睡眠もしっかりとって、軽い朝食の後に荷物を車に積み込みます。

ガソリンも満タンにしてあります。 準備は万端でした。

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走行距離を分かりやすくするため、車のメーターもリセット。

5日間でどのくらい走ることになるのか、自分でも楽しみでした。

米子から直接高速道路に乗る方法もあったのですが、

少しでも高速料金を節約するため(苦笑)、鳥取市まで9号線を使いました。

鳥取からは、中国自動車道に接続する無料の自動車専用道路もあります。

米子からおよそ2時間、最初の休憩のため立ち寄ったのがこちら。

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道の駅「清流茶屋 かわはら」。

自動車専用道路から降りたすぐのところにあり、コンビニも併設されています。

あと、近くの山にはお城も建っていました。

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トイレも済ましてリフレッシュしたところで、運転再開。

鳥取市から南東へ進み、兵庫県の佐用ジャンクションから中国道へ。

後続車にどんどん抜かされながら(苦笑)、東へと走ります。

そして、次に立ち寄ったのは。

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中国自動車道・加西(かさい)サービスエリア。

今年5月に、別のサービスエリアに行ったこともブログに書きましたが

やはり高速道路の楽しみといえば、サービスエリアやパーキングエリアですよね。

まだ午前中ですが、ついつい買い物や軽食コーナーに足が向いてしまいます。

とはいえ、まだ旅は序盤なのでほどほどに。

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ちなみに、加西サービスエリアにあったレストランの店名は「官兵衛」。

例のドラマでは名字を「ナントカ」って言われましたけど、皆さんはご存じですよね?

やはり、その土地ゆかりの戦国武将はセールスポイントになるんですねー。

私の地元には全国的に有名な武将がいないので、少しうらやましいです。


というあたりで、今日はここまで。

次回、第2話「快走」をお楽しみに。



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【旅日記】長野旅・序章。

こんばんは。

そして、お待たせしました。

今日からようやく、先週の旅日記をお伝えできます。

先週の今頃は、長野にいたんですよね・・・もうずいぶん昔のようだ(←おい)

スマホに撮りためた写真は100枚をはるかに超えるので、どこまで紹介できるか。

本格的な旅日記など書いたことがない私ですが、ごゆるりとお楽しみください。


しかしながら・・・今日の私はやはり疲れております。

昨日の予告通り、歯医者で待たされまして。

椅子に座らされて先生を待つ間、うっかり寝てしまいそうになり。

終わって買い物に寄った帰りには、店に傘を忘れて取りに戻り。

あげくの果てには、アパートの隣の部屋のカギを開けようとしていました・・・(こらこら)

週末の休みまであと2日、気力と体力が持つのか心配であります。


というわけで、今日は長い文章を書く時間も余裕もないため

「こんなとこ行きました」的な写真を4枚ほど紹介するにとどめます。

それぞれの場所の細かい内容や、これ以外の名所も順を追って書いていきますが

まずはこれらの写真を見て、どんな旅だったのか想像してみてくださいな。

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なお、「長野旅」といいながら後半2枚は長野県ではありません。 帰りにちょっと寄り道しました。

鳥取県で地震があった後に行ったので、ツイッターにも上げていません。 (ここでしか見られない!)

自宅や職場が心配で、楽しくツイートする気分になれなかったの・・・ごめんね?


というあたりで、出発~長野到着までの1日目につなぐことにしましょう。

全部で何回分になるかも分かりませんが・・・ ぼちぼち書いていきます。

ではでは!



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【日常】遅れてキます。

こんばんは。

昨日の予告通り、今日は残業になってしまいました・・・。

旅行記は明日から、といきたいですが明日は歯医者の予約が入っていまして。

前回みたいに1時間待ちとかになるとしんどいので、早く終わることを願います。


さて、旅行という非日常から普段の生活に戻って2日目。

休んだ間にたまった仕事を片付けながら、忙しく過ごしております。

夕方ごろには、眠気とともに頭がボーっとする感覚に襲われました。

仕事のプレッシャーが無いとはいえ、土日も運転で集中力を使っていたので

少し遅れてその疲れが押し寄せてきたのかもしれません。

年をとると筋肉痛も2~3日遅れて来ると聞きますが、もう若くないってことかな。


若くないといえば、少し前までは「疲れたらガッツリ食べて栄養補給」だったのが

「栄養のあるものを少しずつ食べる」という方向に変わってきました。

ツイッターで「消化するのもエネルギーを消費するから、疲れた時は控えめに食べる」と

どなたかがおっしゃっていて、なるほど一理あるなと思ったのもありまして。

身体にとっての一番のごちそうが、スタミナ食から睡眠に変わりつつありますね。

上手に身体をいたわりつつ、残り3日間を乗り切りたいと思います。


明日は歯医者が早く終われば旅行記、そうでなければまた適当な話を。

では、また。



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【真田丸】第42話視聴。

こんばんは。

今日から、生活もブログも平常運転に戻ります。

「はよ旅行の報告せえよ!」という声も聞こえて来そうですが

今日は月曜日ということで、いつもの「真田丸」レビューにお付き合いください。

ところで、昨日は日本シリーズやフィギュアスケートの中継と重なっていたので

そちらを見たという方も多かったのではないでしょうか。

(午後8時から放送の、いわゆる「本丸」の視聴率が過去最低を更新したとか)

かく言う私も、ロッテが日本シリーズに出ていたら多分そっちを・・・ゲフンゲフン。

気を取り直して、第42話「味方」のあらすじです。


・大坂城に入った真田幸村(信繁)は、茶々らと再会する。

 幸村は茶々に「必ず徳川軍を打ち破ってみせる」と約束するが、周囲の反応は・・・。


・幸村と同じく、日本各地から大坂に駆けつけた流浪の武士たち。

 彼らはみな家康に一泡吹かせ、関ヶ原での無念を晴らしたい想いを持っていた。

 豪傑として知られる後藤又兵衛や毛利勝永、長宗我部盛親に明石全登など

 クセのある面々を前に、幸村は目立たないように振る舞おうとするのだが・・・。


・一方、幸村が大坂に入ったことを知った家康は、危機感を抱く。

 江戸からは徳川幕府2代将軍・秀忠が5万の兵を率いて出陣。

 真田家からは病気がちの信之に代わり、息子の信吉・信政らが参戦することとなった。

 その裏で、幸村からの手紙を受け取った堀田作兵衛らは大坂へ行く決意を固めるが、

 屋敷を出る寸前で信之に見つかってしまい、まさかの事態に・・・。


・再び大坂城、豊臣秀頼は諸将の前で幸村を総大将にする考えを伝えるが

 又兵衛や勝永がこれに反発、そこで幸村は秀頼に総大将を務めてもらうことと

 又兵衛に勝永、それに自分も含めた5人の主要な将を指揮官とすることを提案する。

 はたして、幸村は彼らの足並みを揃えて徳川に当たることができるのか・・・?



さてさて・・・今回の内容について、以前の記事にも書いたことですが

大坂の陣を豊臣方の目線から描いた大河ドラマは、「真田丸」が史上初になるんですよね。

秀吉や昌幸など大物が世を去り、残った家康らも年老いていくなど

戦国時代の「黄昏(たそがれ)」というか、一つの時代の終わりを迎える中で

登場人物の躍動感、あるいは活気に満ちた姿を描き出すのは、難しいと思います。


しかも、後世の私たちは「豊臣家の滅亡」という史実における結末を知っており、

加えて「大河ドラマ」がそれを裏切ることはない、ということも知っています。

そのために、先の見えない中で懸命に生きる幸村たちの姿はなおさらもの悲しく、

まさに「滅びゆく者たちの最後のきらめき」のように見えてしまうものです。


しかし、当時を生きていた彼らはそんな事を考えず、大坂に集まった者たちは

強大な徳川軍に何とか一矢を報い、あわよくば打ち破ることに本気になっていたのでしょう。

関ヶ原で未来を奪われ、「徳川の世」という時代の流れに取り残された彼らは

天下の大坂城、そしてその主である豊臣家に自らのすべてを賭けたのです。


もちろん「散り花を咲かせるため」と考えた者も、中にはいたかもしれません。

それでも、幸村のセリフにもあったように「この戦を生き抜き、再起したい」という

強い気持ちを持っていた者が多数だったのではないでしょうか。

「先が見えないからこそ、懸命に生きる」。このドラマでは何度も出てきた言葉です。


最近の「真田丸」について「最後は負けるのが分かっているから、面白くない」という声もあるようです。

歴史の教科書どおりの結果になるならドラマなど見なくてもよい、という気持ちも分からなくもないですが

その結果に至るまでの人々の思いや行動を感じることができるのが、歴史ドラマの良さです。

(そこに描かれるのが歴史の真実とは限らない、という点は注意が必要ですが)

「歴史好き」というのは、歴史の「結果」より「過程」や「物語」を楽しめる人たちなのかもしれません。


・・・すみません、ちょっと熱くなってしまいました。

予告編では真田丸での戦闘シーンも出てきましたので、クライマックスへ期待が高まります。

明日は旅行の報告ができればいいですが、残業になりそうなんですよね・・・。

ネタはそれなりにありますので、気長にお待ちいただければ。

それでは、また。



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【号外】帰還しました。

まこな。です。

ツイッターでもお知らせしましたが、無事に帰宅しました。

2日前の地震による周辺への影響は、今のところ出ていません。

自宅も物が落ちたり倒れたりということはなく、出かけた時のままでした。

心配のコメントやツイートを頂いた皆様、ありがとうございました。


今日はこれから少し休んで、定期更新をするかどうか考えます。

もちろん、8時からの「真田丸」は見るつもりですが。

取り急ぎ、ご報告まで。


【その他】旅の空から・4

こんばんは。

現在、私は滋賀県彦根市のホテルにいます。

長野での日程を消化し、山陰へ帰る途中です。

行きのように1日で移動することも

できなくはなかったのですが、土日になるので

日程に余裕を持たせて帰ることにしました。

土曜日でホテルの空室を探すのが大変でしたよ。

スマホがあって本当に助かりました。


他にも、現地の情報を集めるのに使えたり

移動の際に地図や道順をすぐに確認できたりと

ガラケーでは成り立たない場面も多くありました。

夕方は電池の残量との戦いになりますけど・・・


ともあれ、明日は本当に(?)移動するだけになるので

安全運転に集中して、帰宅の報告ができるよう努めます。

旅行の詳細報告やコメントへの返信は

帰ってからパソコンでやりますので、お待ちください。

地震で部屋が荒れてなければいいけど・・・


明日は帰り次第、簡易更新すると思います。

よろしくお願いいたします。