そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
日記、雑談、戦国、FX・・・まだまだ増えるかも? 気の向くままに言葉をつづります。
【日常】セーフかアウトかで言ったら、余裕でアウトだよね(一般的な見解)。

こんにちは。

今日は月曜日、お盆休みの週も終わってお仕事の方も多かったと思います。

私も2日ぶりの仕事に出て、それはもう腹を空かせて帰ってきました。

夕食用の白ごはんを炊くのも時間がかかるし、何か食べてしまおうかと思って家の中を探したら

賞味期限が半年近く過ぎているカップラーメンが出てきました。

紙のフタがパンパンに膨れ上がっていて、一瞬『ヤバいかな』とは思いましたが

捨てるのもしのびなく、一応フタを開けてみたら中身には問題なさそうなのでお湯を入れて食べました。

味もにおいも普通のしょう油ラーメンで、おいしく頂きました。 明日これで腹でも壊したら、ブログで報告と謝罪をします。


今回に限らず、私は賞味期限はおろか消費期限を過ぎたものでも食べてしまうことが多いです。

賞味期限:割と保存がきくものが美味しく食べられる期限。  
 消費期限生鮮食品などが安全に食べられる期限。 過ぎると腐ったりカビが生えたりする。

一人暮らしで他人に食べさせるわけでもないので、ある程度日にちが過ぎてもあまり気にしません。

先日は賞味期限が2か月ほど過ぎたレトルトのハンバーグを食べましたが、何ともありませんでした。

3個パックが安かった時に買って、2個はすぐ食べたんですがその後忘れてて、ずっと冷蔵庫で眠ってたんですね・・・

もちろんメーカー保証はありませんので、できるだけ真似しないでください。 身体に何かあったら、食べる判断をした自分の責任です。

せっかく買った食べ物を残したり捨てたりするのはしたくないんですけど、ちょっと考えて買い物をしないといけないと思いました。


うん、仕事して寄り道せずに帰ってきただけの一日だと、このくらいしか書くことがないよね(苦笑)

近いうちに何かネタを仕込むかもしれません。 以前やっていた『⑨の日』的な何か。

それでは、また。

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【雑感】『安定した生活』を手に入れるには、何が必要なんだろうね。

こんにちは。

今日もいつものグダ話ですが、しばしお付き合いください。

しかし、今年の(今年も?)高校野球は面白いですね。

今日は準々決勝4試合ということで、ほぼ1日中テレビで観戦しています。

全国およそ4000校の中からベスト8まで勝ち上がってきただけあり、どのチームも本当にレベルが高いです。

誰もが狙うのはもちろん優勝だと思いますが、勝っても負けても悔いのないプレーをしてほしいものです。


で、本題。

今の仕事に就いて3か月。 ひとまずお給料ももらえて、生活もどうにか回せています。

とはいえ、それは自分一人が生きていく分というだけで、配偶者や子どもがいればまた違ってくるでしょう。

先日、ネットのニュースサイトで「年収1000万でも、都会で妻子を養うには足りないくらい」という記事を見ました。

住宅ローンまたは家賃の支出、自家用車があればその関連出費、子どもがいればその生活費や教育費など

仕事の能力を身につけ、一生懸命に働くことで収入が増えても、ひと昔前までの『人並み程度の生活』を送るには不足なのでしょうか。

世の中がこういう感じだと『働かなくても月収ウン十万!』みたいなうさんくさい広告が増えるのも、わかる気がします。

その仕事?サービス?で報酬を提供する会社は、普段どれだけ儲けがあるというのでしょう? そのお金は一体どこから湧いてくるの??


『お金があって安定した生活』とはよく言いますけど、それに必要な具体的な金額は人それぞれですかね。

私の現時点での収入は多くはないと思いますが、ひとまず生活は回っているので安定してはいる気がします。

逆に、もっと欲しいものがあるとか、もっとお金がないと生活が回らないという状態は、安定とはいえないのでしょう。

そうなると、もっと長い時間仕事をして、あるいは自分の意識や能力、市場価値を高めて”稼げる人材”になって

今よりも良い収入、良い生活を得ようと努力する。 あるいは、副業や起業という別の手を考える場合もあるでしょう。

でも、経済成長が頭打ちになり、人口もこれから減っていくであろう日本で、今までと同じ方法が通用するだろうか?という不安もあり。

私自身も30半ばとなり、今の職場で10年20年と雇ってもらえる訳でもなく、生活を維持するアテをいつ失ってもおかしくない。

こういう境遇にある人、あるいはこれから陥るかもしれないという人も、決して少なくはないと思うんです。


たぶん人生でもなんでも、上り調子の時は誰がやっても結構何とかなるんです。 

下り坂だと自覚した時に、そのままの生活を続けるか、リスクを覚悟で今までとは違うことをやってみるのか

『安定』を勝ち取るためにはどこかでその人なりの決断をしないといけないんだと思います。


私もまだまだ迷いまくりの惑いまくりですが、そういう時にはこの動画を見て考えるようにしています。(宣伝みたいでごめんなさい)



「お金が欲しい」というのは、生活のこともありますが「他人から認められたい」という思いもあるかもしれません。

あるいは「お金持ち⇒お金を稼げる自分は優れている⇒そうなりたい他人からさらに金を巻き上げる」と、意識高い系ビジネスを勧めてくる人にありがちな動機とか。(※個人の見解です)

お金は値打ちが変わるけど、お金を使って身につけた知識や能力は新しいものを生み出す力になる。 自分はどちらを手元に置いておきたいだろう?

いずれにせよ、お金や承認欲求だけに縛られる人生というのも寂しいので、じっくり考えて後悔の少ない選択をしたいと思いました。

それでは今日も、どうもありがとうございました。

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【戦国時代】シリーズ「落日」幕間 御家騒動多発の背景 

こんにちは。

今日は土曜日ということで、例のシリーズ企画を進めます。

戦国時代の室町幕府について見ていくシリーズ「落日 ~室町幕府、終焉への道~」ですが、

前回で第1章のキリが良いところまで来たので、今日は番外編的なお話しを一つしたいと思います。


第1章でお話しした「応仁(・文明)の乱」というのは、

つまるところ「将軍家や守護大名(管領)家の跡継ぎ争い」が至る所に引火して起こったものでした。

将軍や大名の跡継ぎの座を巡って、子ども(養子含む)同士が家を二分して争う「御家騒動」は、その後の戦国時代でも数多く発生しています。

この背景には『相続に関する慣習の変化』があったのではないか、というお話です。


まずはこちらの図をご覧ください。


武家の相続方法の変化


簡単に言いますと、鎌倉時代までと室町時代以降で相続の方法が大きく変わったという内容です。

まず鎌倉時代まで一般的だったのは『分割相続』といって、

一族の当主が亡くなった後に、その子どもたちに均等に遺産(領地など)を配分するという方法です。

家そのものを継ぐのは『惣領』と呼ばれる長男で、次男以下(庶子)との待遇の違いはありましたが

子どもたち皆が自分の財産を持てるので、不公平感が出にくい相続方法でした。

この方法で鎌倉時代の武士たちは一族の結束を高め、いざという時には力を合わせて戦ったのでした。


しかし、鎌倉時代の終わり頃になると、この方法の弱点が見えてきます。

それは『代が下るほど、分け前が少なくなってしまう』という点です。

例えば、ある武将が2人の息子に遺産を分けると、一人の取り分は最初の半分になります。

次の代でそれをまた2人の息子に分けると4分の1、さらに2人に分けると8分の1というように

何らかの形で資産が増えない限り、分ければ分けるほど細分化され、1人の取り分は少なくなってしまうのです。

鎌倉時代末期には、こうした理由で困窮した武家が多く発生したともいわれ

さらに元寇(モンゴル軍の来襲)による出費も重なり、鎌倉幕府を倒そうとする動きへとつながったとも考えられています。


こうした失敗を踏まえ、室町時代に入ると新たな相続方法が主流になっていきます。

それが『単独相続』で、一人の子ども(多くは長男)に財産と権力をすべて相続させるという方法です。

こうすることで財産が分散することがなくなり、家としての力も落ちることがなくなるという利点があります。

ところが、この方法にも問題がありました。 『財産をもらえない子どもはどうなるか』です。


一人だけが財産を全て相続するということは、それ以外の子どもには分け前が全くありません。

その家の新たな当主となった兄からわずかな領地を与えられ、それで家族を養うという形になる事が多かったようです。

あるいは近隣の大名家へ養子に出されたり、また名門の家に生まれた子どもであれば寺に入れられお坊さんになるなど

生まれ育った家を継げるか継げないかというのは、本人にとって『天国か地獄か』くらいの違いがあったのです。


そうなると、家を継げず『ただの人』になるのは嫌だという子どもも出てくるわけで、それが争いの種になります。

多くの場合、家を継げないことになっている子どもにも彼に仕えたり世話をしていたりする人間が家中にはいるので

そういう『自分の味方になってくれそうな人間』を集め、跡継ぎになる予定の本人やその父親(存命なら)にプレッシャーをかけるのです。

これがエスカレートすると、それぞれが自分に従う軍勢を動かしてぶつかり合うなんてことにもなりました(応仁の乱の畠山家がまさにそうです)。

こうした家中の争いが長引けば大名家は機能しなくなりますし、戦国時代においては他の大名家が攻めるチャンスにもなりました。

それでも、権力と財産が欲しい人間たちが引き起こす御家騒動は、応仁の乱の頃を皮切りに全国各地で起こるようになっていったのです。


最後に・・・御家騒動には様々なバリエーションがあります。

跡継ぎの座を争う子どもの母親が異なる(正室か側室か)とか、

母親が長男より次男のほうをかわいがり、そちらを跡継ぎにしようとしたとか、

長い間実子が生まれなくて、仕方なく他家から養子をもらったとか、

その養子をもらった直後に、実の子どもが生まれたとか・・・ どれもドロドロの権力闘争になること請け合いです(なんだそりゃ)。

織田信長や上杉謙信、伊達政宗など有名な武将にもそういったエピソードがありますので、興味のある方は調べてみてはどうでしょうか。


以上、『戦国時代と御家騒動』について1記事書いてみました。

次回の「落日」第2章『流浪する将軍』のスタートです。 細川政元が暗躍する「明応の政変」について書きます。

それでは、また。

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【日常】嬉しい誤算がありました。

こんにちは。

今日も晴れて暑くなったかと思えば、昼からはザッと雨が降って、よくわからない天気でした。

明日も朝から仕事になった(日曜は休み)ので、サクッと記事を書いて早く寝ようと思います。


私が勤めている会社は、給料が月末締めの翌月20日払いなんですね。

で、今月は20日が日曜日なので、銀行振り込みがいつになるかと労働契約書を調べてみたら

【振り込み日が休日の場合、翌営業日】とあり「あ、月曜になるんだな」と思っていました。

なので今日、週末分の生活費を手元に置いておこうと(土曜日は手数料がかかるので)銀行に行ったら、

なんと先月分のお給料が今日の日付で振り込まれていました。

『あれ、契約書の内容と違うじゃん・・・』とは思いましたが、ひとまず口座と懐が潤ったのでよしとします。

仕事のピークも無事に済んだようだし、勤続3か月のお祝いも兼ねて日曜日は何か食べに出かけようかな、と思ったのでした。


では、今日はこのへんで。 明日は土曜日の連載企画「落日」をお送りすると思います。

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【雑感】暑さ寒さも彼岸まで?と、常に頑張る必要もないのでは。

こんにちは。

昨日今日と、山陰は暑い日差しが復活しました。 外に出るとすぐに大汗です。

一方、東日本では8月に入ってから気温が上がらず、雨模様が続いているとテレビが報じていました。

「これは平年(平均値)並みとは違うから、今年は異常気象だ」と毎年のように言っている気がしますが

逆に「異常ではない気象」っていうのはどんな状態なんでしょう。 毎日同じような気温で、適度に雨が降って、自然災害も起こらなくて。

そもそも「平年」や「平均値」は一つひとつ山や谷があるデータを平らにならした状態に過ぎないので、

そのうちの一つだけを取り上げて見れば、平均値とぴったり一致することの方が少ないのでは。

基本的に言いっ放しのメディア報道に振り回されないように、自分の感覚や判断力を信じるのも大事かもしれません。

あと1か月もすれば、タイトルにも書いた秋の彼岸が来ます。 その頃には過ごしやすくなるのでしょうか・・・。


話は変わりまして、また仕事中にふと考えた事を。(もちろん、ちゃんと仕事はしてますよ?)

メンタルを弱めてしまった頃から、「頑張る」という言葉に違和感というか抵抗感を感じるようになりました。

それまでは、「頑張る」ことは無条件にいいことだと思っていました。

勉強も仕事も頑張れば頑張るほど、いい事が待っていると信じていました。 実際、いい事もいろいろありましたから。

自分の体や心が疲れていても、「頑張らないのはダメなことだ」と自分を追い立て、頑張ることをやめられませんでした。

誰かに負けるのが嫌だったのもあるし、別の誰かから『ダメな奴』と思われたくなかったからかもしれません。

その結果、限界を超えた心が折れて仕事や生活に支障をきたし、ついにはお医者さんの世話になる状態になりました。

頑張って頑張って頑張って手に入れた学歴や知識、お金などには替えられない『大切な何か』が壊れてしまったのかもしれません。


そうして今は、自分が頑張りたいと思える時にだけ頑張ればいいのでは、と思えるようになりました。

でも本心では、『頑張る』という表現じたいを見直してもいいんじゃないか、とも思っています。

『がんばる』って、響きからしてめっちゃ力入れてないといけない感じがするじゃないですか。

『が』『ば』ってどちらも破裂音(はれつおん)で、相手に強い印象を残す音ですし。

聞く方からすると、一瞬身構えてしまうようなフレーズだと思ってしまうのは、私だけでしょうか。


それに、自分の中で頑張る状態がデフォルト(標準)になってしまうと、本当に頑張らないといけない場面はどうするのでしょうか。

以前の記事にも書きましたが、「もっと頑張らないと」で乗り切ろうとすると、いつかどこかで行き詰まります。

「ここぞ」という場面でもう一段階自分にブースト(加速)をかけられるだけの力は、「いつでも頑張る」状態からは生まれづらいです(自分の経験から)。

同時に、他人に対しても「(自分はこんなに頑張っているんだから、お前も)もっと頑張れ」というプレッシャーを無意識にかけていないか、振り返るのもアリかもしれません。


「頑張ること」そのものを否定はしません。 ツイッターの「今日も頑張りましょう」が嬉しい時もあります。

でも、あまりにも気軽に乱発しすぎると、いつか誰かがそのツケを払うことになるよ、ということを言いたかったので書きました。


今日は以上です。 ありがとうございました。

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【日常】1週間ぶりの完全休養日。 歯の治療もして、再始動です。

こんにちは。

昨日は6連勤を終えた開放感もあり、記事をお休みさせて頂きました。

仕事の方は無事にこなせました。 体力も気力もどうにか保ったようです。

夜風呂に入ったとき、腕が少し痛くて重く感じたのですが、今日はそれもとれています。

これで明日から、また仕事を頑張ることができそうです。


あと、歯医者の予約をしていたので夕方行ってきました。

奥歯の治療がもう少しで終わりそうで、次回には最後の詰めをするそうです。

この1本を治療するためだけに3年近く(!)通っていますが、それも決着がつくでしょう。

あとは、その隣の親知らずをいつ抜くか・・・という相談をしないといけませんけども。

歯医者に行くようになると時間もお金もかかるし、虫歯にはならないに越したことはないですね。

大人も子どもも、口と歯の健康を保つために小まめなケアを欠かさないようにしましょう。


それでは、また明日からもいろいろ書いていきたいと思いますので、よろしくです。

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【その他】小休止、いただきます。

こんにちは。

本日、6勤目が終わって自己記録更新です。

ちょっと頭と体をリセットしたいので、今日の記事はお休みということにします。


日本の歴史に新たな『終戦の日』が書き込まれないことを祈って。


2017年8月15日  まこな。拝

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【日常】5勤目が終わり、自己記録に並ぶ。明日の勤務を終えて見えるものは?

こんにちは。

今日もどうにか無事に仕事をこなすことができました。

忙しく動き回っていたせいか、お腹はしっかり空いています。 夏バテはどこへやら。

これで6連勤のうち5勤まで終わり、この職場での自己記録タイとなりました。

入った次の週くらいに、まだシフトが固まっていなかったこともあって5連勤があったのですが

この時の5勤目がとんでもなくしんどかったことを思えば、今回はかなり状態が良いです。

仕事を3か月続けて、スポーツ選手じゃないけれど「身体の使い方が分かってきた」という感じに近いかもしれません。

同時に、(余計な)力を抜いていい場面も見えてきたので、体力の温存もできて気持ちにも余裕が出てきました。

明日は自己新記録となる6勤目となります。 果たして、無事に乗り切ることはできるのか?


そういえば、今日帰るときにタイムカードを見て分かったのですが、8月は1日から15日までで休みが3日間だけでした。

15日間で12日も仕事をしていたと分かり『相撲で言ったら12勝3敗だな、優勝はムリでも敢闘賞くらいもらえないかな』なんて思いました。

明日を無事に乗り切れたら、何か自分にご褒美を出すのもいいかなと思ってます。(よくある「千秋楽に勝ったら」という条件です)

今はいい流れで仕事ができているので、明日も変に張り切らずにいつも通りの気持ちで臨んできます。

では、これから飯食って少し休んで、眠くなったら寝ます。  願わくば、また明日。

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【雑感】痛みに耐えさせるより、手当ての仕方を身につけさせるのが教育ではないか、と。

こんにちは。

今日言いたい事はタイトルの通りなんですけど、説明が必要ですよね。

うまく伝わるかどうか分かりませんが、6連勤の4勤目で考えていたことを書きます。


例えば、転んでひざを擦りむいた子どもがいるとしますよね。

泣きわめいているその子を見て、あなたはどうするでしょうか?

「知らない子だから」と見て見ぬふりをして立ち去る人もいるでしょう。

「大丈夫?どこが痛いの?」とすぐさま駆け寄って頭を撫でてあげる人もいるでしょうか。

親であれば「何やってるの! 泣いてないで立ちなさい!」となるかもしれません。

どれが正解とか不正解とかはないのですが・・・  子どものひざの傷は誰が手当てするのかな?


大人は子どもに対して、痛みとか苦しみを「我慢しなさい」と言うことが多い気がします。

自分が子どもだったとき「自分も、親や周りの大人から『それくらい我慢しろ』と言われて育った」からかもしれません。

あるいは「大人になったらもっと痛いこと、苦しいことがあるから耐える力をつけなさい」ということを教えたいのかも。

その気持ちも分からないではないですが、それで本当に子どもは痛みや苦しみに立ち向かえるでしょうか?

痛みや苦しみを我慢すること、そしてそうするしかない自分自身が嫌になって、挑戦することを諦めてしまわないでしょうか?


確かに、世の中に出れば理不尽な痛みや苦しみは、いつでもどんな場所でも降りかかってくるものです。 

それを「自分が我慢していれば、いつか解決する」と必死で耐え忍ぶ大人の姿は、哀しいと思います。

RPGの戦闘中に「防御」を選び続けても敵には勝てない(敵が逃げることもありますが、経験値は手に入りません)ように、

どこかのタイミングで「攻撃」なり「回復」をしないと、いつかはこちらのHP(ヒットポイント)が0になって倒れてしまうのではないでしょうか。

特に大事なのは、自分自身で「回復」する方法を知っておくことだと思います。

美味しい物を食べる、好きな音楽を聴く、好きな場所に出かける、あえて苦手な人としっかり話をしてみる(高難度)など、

「我慢する」以外の行動オプションをいくつか持っておくと、ストレスとの付き合い方が少しでも良い方に変わるはずです。

できたら、私も含めた大人たちがその事を子どもや若い世代に伝えていってほしいと思っています。


こう言うと「子どもを甘やかすな!」と反論も受けそうですが、

甘えを許されなかった子どもは甘えを許さない大人に育つ気がします。 それでは多分何も変わらないし、何も生まれません。

自分はどういう生き方をしたいのか、どう生きるのかを選ぶのは子ども自身ですが、その選択肢の大半は大人が与えるものです。

人生の厳しさや苦しさだけでなく、どうやってそれを乗り越えた(やり過ごした)のかを伝えることは、甘やかしでしょうか。


・・・ちょっと堅苦しすぎましたかね。

日曜の夕方で『笑点』の大喜利を見ながらする話題でない事は、確かなんですけどね(←本当だよ)

まだまだ暑い日が続きそうですが、なんとか乗り切っていきましょう。

では、また。

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【戦国時代】シリーズ「落日」第1章・終 義尚の治世と、世襲問題再び

こんばんは。


さて、前回は金曜日更新となった連載企画「落日 ~室町幕府、終焉への道~」でしたが、今週は本来の土曜日に更新です。

畠山一族どうしの争いに端を発し、将軍家の跡継ぎ争いも深く絡む形で足掛け11年続いた「応仁の乱」が終息し、

今日の記事の主役は、8代将軍・足利義政から9代目の将軍に指名された、義政の子・足利義尚(よしひさ)となります。

果たして義尚は、応仁の乱で傷ついた室町幕府と足利家の威信を取り戻すことができたのでしょうか? 早速みていきましょう。


前回の記事でもご紹介した通り、義尚は応仁の乱において義政の弟・足利義視(よしみ)と次期将軍の座を争うことになりました。

1473年12月、義政が「次の将軍は義尚にする」と声明を出した時点で義尚陣営の勝利が決定的となったのですが、

当の義尚はわずか9歳(満8歳)であり、将軍になる意味や行使できる権力について、全くといっていいほど理解していなかったと思われます。

そのため、しばらくは義政やその妻・日野富子、そして富子の兄で幕府重臣の日野勝光(かつてる)らが幕政を動かしました。


それから数年経って応仁の乱がひとまず終息し、義尚も青年といえる年齢に成長したことで、幕府も落ち着きを取り戻しはじめます。

1479年、義政は義尚に将軍の本業を任せられる状態になったと判断し、義尚の「判始(はんはじめ)」の儀式を行います。

これは、将軍の後継者が自分の花押(かおう、今で言う署名代わりの印)を、幕府が発行する公文書に初めて添えることを言ったもので

後継者の「将軍としての独り立ち」を意味する、室町幕府が代々慣例として行っていた儀式のようです。

長いこと政治の世界から離れたいと思っていた義政も、ようやく政界から完全引退・・・とはなりませんでした。


なんと義政は、義尚が正式に将軍になった直後から、政治の進め方にあれこれ口出しをし始めたのです。

経験の浅い義尚を助けたいという思いからか、あるいは憧れの存在である祖父・義満のように裏舞台から政治を動かす『大御所』を演じたかったのか

その真意はわかりませんが、現役の頃はあれだけ『政治の世界から離れたい』と思っていたはずなのに

後進に道を譲って周囲からのプレッシャーがなくなった途端に介入したがるなんて、なんとも現金な話です。

これには義尚もありがた迷惑といった具合で、親子仲はあまり良くないものだったようです。

義政と義尚が同じ女性に惚れてしまい、その取り合いで親子ゲンカになったというエピソードも残っている)


幕府内での不協和音だけでなく、日本国内でも応仁の乱を引きずる形で世の乱れがくすぶっていました。

京にほど近い山城国(現在の京都府南部)のとある地域では、まだ決着していなかった畠山一族の争いに嫌気が差した住民が

大規模な国一揆(くにいっき)を起こし、畠山政長・義就の両陣営の国外退去と国人による自治を求めて立ち上がりました。

また、京から離れた加賀国(現在の石川県南部)では、浄土真宗の僧・蓮如(れんにょ)の教えを守る本願寺の門徒たちが結束し

「一向一揆(いっこういっき)」と呼ばれる軍勢を結成、守護の富樫(とがし)氏を攻め倒すという事件も起きました。

世の安定を取り戻したい幕府をあざ笑うかのように、世相は混乱を深めるばかりの状況となっていました。


そんな中、将軍としての指導力を見せたい義尚はある行動に出ます。

それは『将軍自らが軍勢を率い、幕府に反抗する勢力を倒して威光を取り戻す』というものです。

そのターゲットは、近江国(現在の滋賀県)南部を支配する守護大名・六角氏に決まりました。

六角家は勢力増強のために領内にある寺社や公家の荘園を横領し、幕府による返還命令も無視し続けた、というのがその理由です。

約2万の幕府軍を率いて京を出陣する義尚の武者姿を一目見ようと、京の住民が沿道にごった返したともいわれています。


しかし、近江での戦いは一進一退の戦況となり、幕府軍の遠征は1年以上も続きました。

幕府軍の士気も下がり始めた1489年、まさかの事態が発生してしまいます。 それは・・・


義尚、陣中で病に倒れ急死(享年25)。


大将を失った幕府軍はどうにか京へと撤退しましたが、それより問題なのが『次の将軍をどうするか?』です。

まだ若かった義尚には跡継ぎになる子がおらず、例によって足利家の親族の中から適任者を見つけることになりました。

そして、次の将軍候補として名前が挙がったのは2人。

一人目は、義政の弟・義視の子で、父とともに美濃に滞在していた足利義材(よしき)

もう一人は、これも義政の弟・足利政知(まさとも)の子で、京の天竜寺に入れられ僧侶となっていた清晃(せいこう)

ちなみに、ここで初めて出てきた足利政知という人物は、義政の命令により関東地方に出張中。

後に『戦国大名の元祖』とも言われる北条早雲の出世物語にも関わる人なのですが、ここでは説明を省きます。


もちろんここも、将軍候補者本人たちの意思ではなく周囲の大人たちの目論みがものを言う場面です。

義尚の両親だった義政・富子夫妻は、義材を支持。 管領を長く務めた幕府の重鎮・畠山政長も、義材を支持しました。

出家している人物をわざわざ還俗させるより、幕府のことをよく知っている義視を父に持つ義材が有利であるのは確かです。

一方、清晃を支持したのは細川勝元の子で、若くして管領職を務めた経験もある細川政元でした。

応仁の乱で東軍の大将だった勝元を父にもつ政元は、西軍の中心人物だった義視の子どもが将軍になることに反対でした。

また、細川家と同じ『三管領家』の一つである畠山家の家長・政長が、これ以上発言力を持つのも面白くないと考えたようです。


結局、次の将軍は義材と決まり、義視と義材の親子は美濃から京へ戻ってくることになります。

ところが、この時期になって足利家に不幸が重なります。

まず1490年1月に、8代将軍・義政が死去。 同じ年の10月には、義材の母で富子の妹・日野良子が亡くなり、

翌1491年1月には義材の父である義視もこの世を去ります。 4月には清晃の父・足利政知も亡くなりました。

(余談ですが、しつこく畠山政長の首を狙っていた畠山義就も、1490年12月にひっそりと世を去っています)


足利家の中核を担ってきた要人が次々といなくなり、第10代将軍に就任して間もなく孤立する形となった足利義材。

そして、この時を狙っていたかのように、細川政元の前代未聞のたくらみが着々と動き始めていたのでした。

そして、室町幕府が存亡の危機に立たされる「明応の政変」へと進んでいくのです・・・。


というあたりで、本シリーズの第1章「滅びゆく権威」は結びとします。

第2章は「流浪する将軍」というタイトルで、戦国時代の荒波に翻弄され続ける将軍家の苦闘ぶりを見ていきたいと思います。

なお、次回の記事は章の変わり目の小休止として、「室町・戦国時代のお家騒動」をテーマに記事を書く予定です。

この後もどうぞご期待ください。

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