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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【その他】2017年を振り返る・・・ほどの時間も無いので、取り急ぎ感謝の気持ちを込めて。

こんばんは。

2017年12月31日。 大晦日の夜を迎え、今年もあと6時間足らずとなっております。

私は今日、日帰りで実家に顔を出してきました。 正月は仕事で帰れないので、せめて挨拶だけでもしてこようと。

まぁ実家までは車で2時間もあれば帰れる距離なのですけども、大晦日で車も多いだろうと思い、本音は家でゆっくりしていたいなぁとも。

しかし久々に家族が揃って楽しい話もできましたし、帰りの道路も思いのほか空いていたしで、結果的には帰って良かったと思います。


ただ、帰ってくるのがこの時間になってしまい、明日の仕事に備えて早めに寝ないといけないので

ブログで今年を振り返るだけの時間的余裕が無いのが惜しまれます・・・

とはいえ、5月にブログを再開してからほぼ毎日小出しに出来事や思った事を出力していたら

いざ思い出そうとしても『今年はこれ!』という出来事がそんなに思い浮かばない・・・ 仕事が替わったことくらいですかね。

でもそれは逆に言えば、大きなトラブルや災害に巻き込まれることもなく、おおむね平穏な一年だったといえる気も。


もちろんそうであったのは自分ひとりでどうこうできる部分だけではなく、大きな”運命の流れ”みたいなものもあるのでしょう。

それに加えて家族や友人、職場の方、仕事で関わった方、ブログやツイッターで交流がある方、

買い物に行くスーパーのやコンビニの店員さん、ネットで頼んだ荷物を届けてくれた郵便屋さん、などなど・・・

挙げればキリがないですが、自分と関わりがあった多くの人との”縁”があったからこそだとも思えます。


この場で伝えられる範囲は限られますけども、『一年間、いろいろとありがとうございました』が今年の総括として一番ふさわしい言葉なのかも。

そして、間もなく訪れる(読むタイミングによってはもう訪れている?)新しい年も、人々との良い”縁”に恵まれる一年でありますように。

月並みな結びではありますが、これをもって2017年のブログ納めといたしたいと思います。

2018年の『そのブログ、雑食系につき』も、もしよろしければよろしくお願い申し上げます。

ひとまず元日の明日も通常営業の予定ですので、テレビの特番や初売りセールの”箸休め”的な感じでどうぞ。


ではでは、皆さまに良き年越しのひと時が訪れますように。 私はこれから寝ます・・・zzz。

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【戦国時代】シリーズ「落日」第3章・8 不如帰の涙 ~一振りの刀に託す、室町幕府再興の夢~

こんばんは。

年末の慌ただしい中ですが、シリーズ「落日 ~室町幕府、終焉への道~」の記事が始まりますよ。

今回は第3章中盤のハイライトとも言うべき、室町幕府が存亡の危機に立たされる大事件のお話です。

・・・え、今までもさんざん煽って結局滅んでないじゃないか、って? まぁ確かにそうですけど、今回のはヤバイんですって。

何しろ、今回室町幕府とその将軍・足利義輝(よしてる)が敵に回したのは、”戦国最強の極悪人”とも称される・・・

いかん、また煽り気味になっておる。 ここらでちょっと冷静になって、順を追ってお話ししましょうか。


前回の記事でもお伝えした通り、幕府と将軍をほぼ手中に収めて政治を意のままに動かしていた

三好長慶(みよしながよし)率いる三好家でしたが、その家臣・松永久秀(まつながひさひで)による数々の破壊工作によって(諸説あり)

長慶が頼みにする兄弟や縁者が次々と不慮の死を遂げたあげく、長慶自身も失意のうちに帰らぬ人となってしまいました。

三好家は長慶の養子・義継(よしつぐ)が当主となりましたが、彼自身まだ若かったこともあり、家中の実権は久秀と”三好三人衆”に移ることになります。

一方の室町幕府にとって、長年の脅威であり続けた長慶の死は”室町幕府による政治の復権”へ向かう好機でもありました。

特に、父で先代の将軍だった足利義晴が細川氏や三好氏に翻弄され続け、将軍の役目を果たせなかった無念を誰よりも知っている義輝は

今こそ三好氏の支配から脱し、本来あるべき”日本の統治機構”としての幕府の姿を取り戻そう、と決意を新たにするのでした。


ところが・・・ 幕府を立て直そうとますます張り切る義輝の存在は、久秀や”三人衆”にとって苦々しいものに映っていました。

彼らとしては、直接的に幕府を滅ぼすつもりはないにしろ、将軍自らが政治を取り仕切るようになっても困るわけで。

あくまで将軍は”お飾り”として、自分たちの言いなりになってくれる”(ある意味で)素直な人物”である必要があったのです。

そして、久秀たちにはその心当たりがありました。 皆さんは覚えていらっしゃるでしょうか?

かつて、細川氏の一族による骨肉の争いに巻き込まれ、京から阿波へと逃れてきた「足利義維(よしつな)」という人物の名前を。

詳しくはこちらの記事で書いていますが、義晴とは血のつながった兄弟で、義輝の”おじ”にあたる人物です。

一時は”堺公方”と呼ばれて権力を握ったこともありましたが、病気のため政界を引退し、息子である足利義栄(よしひで)が跡を継いでいました。

久秀と”三人衆”は、阿波で生まれ育った義栄が中央政治に疎いのをいいことに、彼を義輝の代わりの”素直な将軍”に仕立て上げてしまうことを画策。

かくして、事態は風雲急を告げることになるのです・・・。


1565年5月18日、三好義継と”三人衆”、さらに久秀の長男・松永久通(ひさみち)らは、約1万の兵を率いて上洛。

翌19日の未明、彼らは義輝の居所であった二条御所(にじょうごしょ)を取り囲み、義輝への面会を求めます。

しかしそれはもちろん方便で、門が開くと同時に御所内へとなだれ込む三好軍の兵たち。

その騒ぎで目を覚ました義輝。 近習から『三好殿、ご謀反!!』の急報を告げられ、事の重大さを悟ります。

鎧兜を身につける暇も与えられず、寝間着のままの義輝を十重二十重に取り囲まんとする三好軍。

功を焦った一人の兵士が義輝めがけて斬りかかりますが・・・ 次の瞬間、倒れていたのは兵士の方でした。

枕元に置かれた愛刀で造作もなく兵士を斬り捨てた義輝は、遠巻きに自分を囲む兵たちを一喝します。

「この義輝を”剣豪将軍”と知っての狼藉(ろうぜき)か! 命が惜しくば下がっておれ!」


実はこの義輝、室町幕府の最高権力者でありながら、当代随一の剣術の使い手でもあったのです。

当時の武将なら誰もが護身のため、また武士の務めとして、幼い頃から剣術や兵法を一通り学ぶものですが

やはりそこは武家の頂点に君臨した足利家のこと、そのレベルも他の武士の家より高いものだったようです。

特に義輝は剣術にかけては並々ならぬ素質を持っていたようで、彼が剣の教えを乞うた人物というのが

世の人々から”剣聖”と称えられたという剣術の達人・上泉信綱(かみいずみのぶつな)であり、

後にはその信綱からも”優れた剣の使い手だ”と認められるほどの腕前だったといいます。

(余談ながら、戦国時代をテーマにしたゲームでも、義輝自身が戦う際には部隊の戦闘力にボーナスがつくことがあったりします)


・・・話は二条御所に戻ります。

どれほどの時間が流れたか、義輝の周りには自身が斬り捨てた兵の屍が無数に横たわっています。

兵たちの血や脂で刃が汚れるたびに新しい刀に持ち替え、絶え間なく襲い掛かる敵兵をひたすら斬って捨てた義輝。

しかし相手は1万もの大軍、加えて義輝自身の体力も消耗が激しく、まさに多勢に無勢。

ついに自分の命運が尽きたことを悟った義輝は、後世に”辞世の句”と伝わる一首を口ごもります。


『五月雨(さみだれ)は 露か涙か 不如帰(ほととぎす) 

                   我が名をあげよ 雲の上まで』



次の瞬間、義輝の四方から覆いかぶさってきたのは、部屋の畳でした。

正攻法ではいつまでも義輝を討ち取れない、と三好軍の兵たちが思いついた、苦肉の策です。

あえなく畳の下敷きにされた義輝。 その上から、無数の刀と槍とが突き刺され・・・


こうして、室町幕府13代将軍・足利義輝は、彼が夢見た幕府の復権を果たすことなく力尽きました。 享年30。

室町幕府の現職将軍が殺害されるのは、6代将軍・足利義教(よしのり)が暗殺された『嘉吉の乱(1441年)』以来のことでした。

義輝を亡き者にした三好義継と”三好三人衆”は、自身の手駒である足利義栄を”(傀儡の)14代将軍”にすることを画策するのですが・・・


え、今回はやけに描写がクサすぎるんじゃないかって? 現実にこんなドラマみたいなシーンがあったのか、って??

まぁ、義輝はブログ主が好きな戦国武将の一人でもありますし、今回紹介したような勇ましい逸話も後世に残っている人物なので

これまでの回より若干話を”盛った”というか、史実(とされる学説)からは外れる部分もあったかもしれません。 そこはお詫びします。


それともう一点。 二条御所での義輝襲撃の場面に、松永久秀が登場していなかったことにお気づきでしたでしょうか?

私もこの記事を書くために調べて初めて知ったのですが、この事件に関して広く知られていた

”義輝を討った首謀者は、松永久秀である”という情報は、実は現在では否定されつつあるようなのです。

当時の資料によると、義輝が襲撃された日に久秀は京におらず、大和(やまと、現在の奈良県)にいたと記されており、今風に言えば”アリバイ”があるのです。

もちろん、長男の久通を襲撃軍に随行させていたことから、”全く知らぬ存ぜぬ”であった可能性も限りなくゼロに近いのですが

少なくとも”久秀が率先して犯行に及んだ”という従来の説とは食い違いが生じ、言ってみれば『グレー』の域を出ない話になってきます。

いずれ新たな発見や学説も出てくるかもしれませんが・・・ 今のところは諸説あり、あとはそれぞれの興味と想像にお任せ、としておきましょう。


といったところで、ついに”将軍殺害”の凶行に及び、これも今風に言えば”レッドライン”を超えてしまった久秀(と三好一派)。

このまま日本はまたしても混沌の渦に飲み込まれてしまうのか、はたまた救世主となる存在が彗星のごとく現れるのか?

室町幕府の栄枯盛衰(”枯”と”衰”だけ?)をたどってきた歴史の旅もいよいよ佳境、次回は年明けの更新となります。 乞うご期待。

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【関心事】年が明ける前なのに来年の干支(えと)の話・・・ 鬼が笑ってなきゃいいが。

こんばんは。

今年も残すところあと2日とちょっと(ここ数日同じような書き出し)、いかがお過ごしでしょうか。

今日はタイトルの通り、来年の干支の話からちょっとばかし飛躍していろいろ妄想します。

”来年のことを言うと鬼が笑う”なんて申しますが、もう3日もすれば来年が今年になることですし

鬼さんも”半笑い”くらいで勘弁してくれませんかねぇ・・・。 むしろ、下らなさ過ぎて”苦笑い”だったりして(汗)

それではいってみましょう。


ご存じのことと思いますけども、来年2018年の干支(えと)、いわゆる”十二支(じゅうにし)”の割り当て(?)は【戌(いぬ)】です。

十二支って、日本人なら当然(?)のように覚えているようにも思えますけれども、いざ言ってみようとすると難しいですよねぇ。

私ですか? もちろん言えますよー。  ねー、うし、とら、うー、ふじ、なみ、たつ、みー・・・ (←いらんのが二つ入ってるがな)


・・・という冗談はさておき、そもそも”十二支”とか”干支”ってどんな意味があるの? と疑問に思ったことはありませんか?

そんな疑問にすっきり答えてくれそうな動画を見つけましたので、まずはこちらをどうぞ。



これを見てもらえば、今日の私が言いたいことは一通り説明してあるんですけど、それではブログとして面白くない。

というわけで、こっからはこの動画を見てもらったことを前提として、補足というか蛇足に近い情報をお伝えしていきましょう。


大昔の中国でどうたらこうたら・・・という話は置いておいて、12匹の動物を決めるくだりなんですけどね。

動画ではネズミ(子)が牛(丑)をうまく利用して一着ゴールを決めた、という説明だけでしたけど、他の動物にもドラマがあったようで。

例えば、ギリギリ12位で”最後の一枠”に滑り込んだイノシシ(亥)の場合。

”猪突猛進”の例え通り、最高速度に乗った状態での競争なら誰にも負けないはずのイノシシが、なぜ下位に甘んじたのか。

一説には、夜明け前から飛び出したはいいものの、途中で目の前に現れた大木に正面からゴッチーン!!

その拍子に自慢の”ツノ”が木に刺さって抜けなくなり、やっとの思いでツノを抜いて再び猛スピードで走った結果、12位に滑り込んだというのです。

その時13位だった動物との差は、わずか1秒だったとか・・・(まるで箱○駅伝のシード権争いだ・・・ もちろん私の妄想ですが)

他にも、相性が悪いことの例えに使われる”犬猿の仲”、サル(申、9位)とイヌ(戌、11位)。 両者の間でニワトリ(酉、10位)が仲裁に入っているのだとする説もあったり。


あとここから先は私の想像ですけど、ネズミと牛がゴールした後、他の動物たちは『後で虎(寅)に襲われるのは嫌』とビビッてゴールに近寄らなくて、虎が悠々と3位の座をゲット。

その噂を長い耳で聞いて、”脱兎のごとき”スピードで虎の後ろについてゴールに駆け込んだウサギ(卯)がちゃっかり4位に。

龍(辰、5位)は蛇(巳、6位)の親分みたいなものなので、蛇が先着したけど後から来た龍に先を譲ったのでは。

馬(午、7位)も走れば早いはずですけど、牧場で仲のいい羊(未、8位)にペースを合わせてこの順位に落ち着いたとか。 いろいろ想像(妄想?)できますね。


あ、あと一番大事なところを話しとかないと。

『なぜ(日本の)十二支に”ネコ”がいないのか』という話ですよ。

”なにせ昔からの決まり事で・・・”なんて言われても、昨今のネコブーム、ネコフィーバーを見るまでもなく

日本人は昔から猫と親しく付き合ってきたはずなのに、なぜ”落選”の憂き目を見てしまったのか、納得いかない方も多いのでは。

解説動画にもあった通り、寓話では”ネズミが嘘を教えたため、競争に参加すらしなかった”となっていましたが

一応猫好きでもある私なりに(例の競争の寓話にとらわれず)”ネコ氏、落選”の謎に対する仮説を立ててみます。


仮設① 実は過去に一度”神の使い”として人間界に遣わされたが、寝てばかりで”役目を果たしていない”として、呼び戻された。

仮設② すでにネコは地上に数多く生息し、人間にも可愛がられているため、”神の使い”としての威厳に欠けると判断された。

仮設③ そもそも神様も”大のネコ好き”で、例え1年間であってもネコが自分の側にいないことに耐えられなかった。


他にも”こんな考え方もできるんじゃない?”と思った方は、ぜひコメント欄からアイデアをお寄せください。


ということで、ここまで『ネコが”十二支デビュー”する可能性』について考えてみましたが、解説の多摩(たま)さん、猫の立場から何か一言。

多摩だにゃ©艦隊これくしょん
「別にどーでもいいんじゃないかにゃ? あと、何度も言ってるけど多摩は猫じゃないにゃ。」

ありがとうございました。


・・・というところで、丁度お時間となったようです。

明日は土曜日ということで、今年最後の連載ネタいきます。 個人的仕事納めの話は、大晦日ということで・・・

では、また。

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【関心事】世間的には今日が仕事納めとか・・・ まぁ私も去年まではそっち側だったけど。

こんばんは。

今年もあと3日と少し、いよいよ年末ムードも押し迫ってきた感じがします。

今日のネタというか考えたことは、タイトルに書いた通りであります。

ネットニュースやツイッターなどで『本日12月28日は仕事納めです』という内容が多数目撃されました。

私はというと、昨日もチラッと触れたのですが年内は30日まで仕事、大晦日だけ休んで新年1日・2日と仕事です。

まぁ今の職場というか、仕事をしている業界自体が365日休みなしで動いている分野なので、仕方ない部分もあるのですが。

去年までは世間並みに(?)12月29日~1月3日までの”6連休”を頂いていた身としては、ちょっと戸惑う部分もありそうです。


ところで、ひと昔前の年末年始って、もっと世の中ゆったりというか、”お休みムード”が行き届いていませんでしたっけ。

私の記憶だと、現在もある実家近くの大きなショッピングセンターなどは、大晦日は普段より早い18時で閉店し

新年の初売りは早くても2日、中には3日からの営業という時もありました。 その分、年末に食料などは買いだめしましたけど。

でも今はというと、元日(1月1日)に営業していないお店の方が少ないのではないか、と思うくらいになった気がします。

あと驚いたのが、去年スマホを買った携帯電話ショップからのメールで知ったのですが

そのお店は元日だけ通常より1時間早く開店して、お客さんの受付を始めるそうです。 で、閉店時間はいつもと同じだそうで・・・

うーん、何も元日に限っていつも以上に社員を働かせなくても・・・と感じたのは私だけ? それだけ需要があるからだとは思いつつも。

”世の中が休みの時こそ、稼ぎどきなのがサービス(接客)業”なんてことはよく聞きますが、『年末年始に休みなどない』というサービス業に従事する皆さま。

身体や心を壊さないうちに、休める時には休んでくださいねー、と声を大にしてお願いしておきます(ブログじゃ声は出せないが)。

私も接客業ではないにしても、あと数日間はいつも以上に忙しくなるので、心身に異常をきたさないように乗り切りたいと思います。

それでは、また。

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【雑感】正直これを書くのは迷ったが、今年の総決算としてブログに残しておこう。

こんばんは。

もう12月27日、今年も残すところあと4日と少しになってしまいました。

皆さんのところは、年越しと新年を迎える準備は進んでいますでしょうか?

私は今日が(実質)年内最後の休日ということで、食材の買い出しと大掃除(的な作業)をしました。

”実質”と書いたのは、一応『大みそか』の31日も休みなんですけど、この日は実家に顔を出すことにしているので・・・(なお、元日は仕事です)。

普段行っているスーパーも正月モードというか、おせち料理の食材や縁起物の料理などが広い特設コーナーで売られていました。

特に『かまぼこ』ってなんで正月になるとあんなに大量に仕入れるんですかね・・・? 普段はほとんど食卓にものぼらないのに。

それはともかく、一人暮らしだと重箱に入ったおせちを買っても持てあますのは目に見えているので

割と好きな”なますと厚焼き玉子”くらいは作ろうと材料を買っておきました。 大学の頃は”栗きんとん”を手作りしたが、あれは手間がかかった・・・


ところで。

今日やることがある程度終わって、休憩がてらツイッターをのぞいていたら

ある絵描きさんが自身の体験談を語っていて、身につまされたのでリツイートしました。

内容としては『同人誌(※)を作るコストを下げるため、自分ひとりで徹夜もいとわず頑張り続けたら

完成直後に体調を崩して緊急入院、結果的に浮かせたお金より治療費の方がよっぽど高くついた』
という話です。

(※)漫画家さんなどが、仕事とは別に個人で制作・販売を行うマンガ等の本。 
    毎年夏と冬の2回、東京で大規模な即売会(通称”コミケ”)が行われるほか、全国各地で様々なイベントも行われている。


もちろん私は漫画家ではなく、ただマンガやイラストの世界に興味があってこうした方をフォローしているのですが

”身につまされた”というのは、実は私も今年、似たような経験をして”お金のために身を削るのは良くない”と痛感したからです。

以前の記事などでご存じの通り、私は今年半ばに転職をし、すでに半年以上が経過しております。

今は作業を問題なくこなせるようになり、職場の方からもある程度の信用を得ている(と思っている)のですが

入社して2か月くらい経った頃だったか、”もっと頑張らねば”と自分を追い込みすぎてオーバーワークになり

仕事中に立ち上がることすらできなくなって、職場に救急車が来て病院に運ばれるという失態をさらしたことがありました。


”お金のために”とは少し違うのかもしれませんが、今の仕事は時給制で休みを削ればその分稼げると思ったのと

以前の職場でもあった”自分はこの職場で必要とされていないのではないか?”という思い込みから、

『頑張るのはもうたくさん』と心の底では思っているにも関わらず、取るべき休憩も取らずに頑張りすぎてしまったのでした。

その後の病院での診察では異常は見つからず、2日ほど休みをもらって職場に復帰することはできたのですが

診察代が想像以上に高かった(多分脳のCTを取ったのが原因)のと、有給がとれない(シフト制)ので2日分の給料がなくなったのが痛かったです。


”一度メンタルを壊している人間が、お金や他者からの承認を得るために無理をすると、ロクなことはないよ”っていう教訓かもしれません。

分かってはいるつもりでも、『お金持ちになりたい』とか『周りの人からチヤホヤされたい』という欲求は、時に人間をあらぬ方向に導いてしまうようです。

それが身に染みて分かったのが、今年一番の収穫なのかな・・・   来年は私も年男(歳がバレちゃうよ)、地に足をつけて行きたい(生きたい)ものだと思いました。


では、今日はこのへんで。  どちら様も、年末の手はずはぬかりなく。

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【日常】本当にどうでもいい事だけど・・・ 火曜日に温泉行ったら、この話題しかない気がして。

こんばんは。

今日は12月26日、今年最後の”風呂”の日でした。

というわけで、昨日もちょっと予告してましたが、仕事終わりに行きつけの温泉施設に行ってきました。

ここは(原則)毎月26日は”風呂の日感謝デー”として、普段は別料金となるサウナに通常料金のみで入れるのです。

ここぞとばかりに湯舟で疲れを流し、サウナで汗を流してリフレッシュしてまいりました。

明日は仕事が休みだし、開放感も半端なくて、今が今年1年で5本の指に入るくらい幸せな時間かもしれない・・・(やっすい人生やなー)


それでもブログは書かないと寝覚めが悪いし、「何書くべかなー」と考えてたら、思い浮かびました。

これが本当にくだらない話なんですけど、お付き合い頂けますかね?? よろしくお願いします。


ロシアかどこかの民謡に「一週間」って歌があるじゃないですか。

例によって著作権うんぬんが絡むのでボカシますけど、確かこんな歌詞がありますよね。

『月曜日にはお風呂を沸かして~♪ 火曜日に入浴しました~♪』

いや丸1日放置しといたらとっくに冷めてるやろ、と子どもの頃から思っていたのですが

考えてみたら、そうならない論理的な方法があったことに気づいたんです。

それは・・・ 『月曜日の23時30分くらいからお風呂を沸かして、日付が変わったと同時にお風呂に入る』

・・・わざわざ太字にまでする必要があるか?? と言われるかもですけど、自分の中では割と大発見だと思いまして。

一日ごとの仕事(?)を曜日ごとに歌った歌詞の中で、”一日のうちのどの時刻にやったか”は言及されてないじゃないですか。

だとしたら”風呂沸かしと入浴を、日付をまたいで連続して行った”と考えるのが、一番矛盾が少ない説明だと思うのですが。


・・・うーん、熱く語れば語るほど、なんか虚しくなってくるのは何故だろう。 この辺でやめます。

間違いなく言えることは、こんなくだらない事を日々考えている三十路の男が山陰地方に生息しているということです。

なんて事を言いつつ、そろそろ夕飯の片付けもしないといけない時間なんで、今日はこのへんで。

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【関心事】クレーンゲームで”ぼろ儲け”・・・ 悪い事言わんから、ぬいぐるみくらいで我慢しとき~。

こんばんは。

昨日はクリスマスイブの夜にいろんな意味で”やらかして”しまい、すみませんでした。

そう言いながら、今日も今日とてちょっと物議を醸しそうな話題を選ぶ私であります・・・。


週末のニュースで、大阪のゲームセンターで『絶対に景品がとれない設定のクレーンゲーム』を大勢の客にプレイさせて

大金を稼いで(だまし取って?)いたとして、ゲーセンの経営者や従業員が詐欺の疑いで逮捕された、と伝えていました。

従業員によるデモンストレーション(実演)では、いとも簡単に景品がとれる様子を見せていたとのことですが・・・ どういう仕組みでしょうか?

職務に従っただけの従業員はともかく、元締めの経営者は『金のために良心を売った』末の所業のようにも思えます。

一方で、同じニュースを聞いて「店も悪いけど、何も考えずに大金をつぎ込む客も悪いよ」という知り合いもいました。

詐欺の話題で”だまされる側にも隙がある”と非難する人は必ずおり、確かに一理はあるのですが、私は正直なところ複雑な気持ちでおります。


実は私も(三十路になった)今でこそやりませんけど、10代の頃はクレーンゲームにハマった時期がありましてねぇ。

もともと近所のゲーセンには足しげく通っていたのですが、ゲームオーバーになったら何も残らない(せいぜいスコアとイニシャルだけ)普通のゲームより

うまくいけばお菓子やぬいぐるみなどの景品がもらえる、クレーンゲームの方が好きだったんですよね。

もちろん今考えれば分かるんですけども、お店の側も経営がかかってますから簡単には景品を取らせませんよね。

1回100円でも1回や2回で取れることはまずなくて、5回とか10回もやることになって、それでも取れなくて

気がつくと財布の中の100円玉がなくなって「この1000円札を両替するべきか・・・? いやでも・・・」という葛藤が起こって。

こうなると人間の心理は「損した分を取り戻したい」とか「ここで止めたら、今までの投資がムダになる」と考えてしまって(※)

ついつい止め時を見失い、最終的には景品をとれたとしてもそれ以上の出費をしてしまう、まさに”お店の思うつぼ”というわけです。

(※こういう心理を、専門用語で『サンクコスト効果』と言うらしい。 FXを解説するサイトでもよく登場してるっぽい?)


私の時みたいに、100円でお菓子やぬいぐるみを狙うくらいならまだ可愛いものですけども

今回の件のゲーセンでは、1回500円から1万円の料金で、電動自転車や限定生産のフィギュアなど数万円相当の景品をちらつかせていたとか。

私もいつかどこかで”最新ゲーム機がもらえるクレーンゲーム”を見たことがあって、今はここまで来たかと思いました。

でもその時は『お金貯めて買った方が確実やん』と思って、手を出しませんでしたが(←さすが”誘惑に強い”男)。

確かに”たった数百円で数万円相当のゲーム機を手に入れられるかも!?”というチャンスは捨てがたいのも分かりますけどねぇ。

巷にあふれるうまい話には、ほぼ確実に”ワナ”があると思ってかかった方が良いです。 自分の大事なお金や信用を損ないたくなかったら、ね。


そんなわけで、年末の何かと慌ただしい中でございますので、急な出費と夕方以降の外出にはどちら様も十分お気をつけあれ。

では、また。 明日は26(フロ)日だし、仕事帰りに日帰り温泉でも寄るかなー。

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【日常】クリスマスイブに雪は降らず。 『ぼっちは寂しい』と言うけど、価値観は人それぞれ。

こんばんは。

今日は12月24日、クリスマスイブですね。

仕事が休みで買い物に出かける途中、近くの洋菓子屋さんに長蛇の列ができていました。

ほとんどが子どもを含む家族連れで、今頃はケーキを囲んで楽しいパーティーでしょうか?

独身の方でも、愛する人とともに『一年に一度の特別な夜』を過ごす方も多いのでしょうねぇ。

え、私ですか?? そりゃもう、こんな時間(18:30)にブログを書いてる時点でお察しでしょうよ・・・(泣笑)


近年は『クリスマスなのに独りぼっち』⇒『クリぼっち』なんて”隠語”まで生まれているそうですが。

そういうのは『自分はぼっちじゃない(と思いこんでいる)人の勝手な”哀れみ”の感情』に過ぎず、多くの当事者は気にしてないのでは。

もちろん『クリスマスにひとりは寂しいぞー!!』必要以上に煽るマスコミやSNSの住人などの影響もあるのでしょうが、

嫌々ながら喧噪あふれる街中に出向いたり、浮かれ気分の他人に合わせたりして疲れを溜めてしまうのを避けて

自分自身と向き合う時間を大切にしたい人だっているわけですし、それを否定する権利など誰にもないはずで。


まぁサービス業者とか商売人から見たら『家で引きこもってないで、ウチの店で金使えよ!』というのが本音でしょうけど、そういう人は金もそんなに持ってないですって(個人の見解)

わざわざ冬の寒い中を『ウェーイ!!』とか言って練り歩いている連中の方がよっぽど金持ってるし、

浮かれ気分で財布のヒモも緩くなってるから、そっちにアタックした方が絶対効率がいい(あくまで個人の見解)

もちろん『人が苦手だから』と言って人付き合いを完全に遮断するのも、人生全体におけるリスクが確かに高いのですが

一年のうちのほんの一日、しかも日本の歴史や思想と直接の関係がない一日を一人で過ごすことに対して

『やーいぼっちぼっち』と言われなあかんのですか。 『カラスの勝手でしょ』じゃないけど、放っといてくれよ。 なんてね。


まぁなんぞかんぞグチグチ言いましたが、要は自分のプライドというか、いい歳して一人でいる事に後ろ暗さがある証拠かもしれません。

だからといって、一緒に過ごす相手がいる方に対して羨(うらや)みや妬(ねた)みがある訳でもございませんので

大半の地域では『ホワイトクリスマス』とはならないような感じですが、どうぞ大切な時間にして頂きたいと思います。

さーて、明日も仕事だし早めに寝るか・・・ っと、その前にスマホゲーのクリスマスイベントを完結させないと(一人の夜でも充分満喫している様子である)


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【戦国時代】シリーズ「落日」第3章・7 三好一族を襲う悲劇の連鎖 ~容疑者?松永久秀の事件簿~

こんばんは。

年末の慌ただしい空気の中、いつも通りお送りするのは「落日 ~室町幕府、終焉への道~」です。

ここ数回の主役は、室町幕府の実権をほぼ手中に収めた戦国大名・三好長慶と、その家臣で影響力を伸ばしていた松永久秀

そして今回は、そんな両者の確執とすれ違い(?)が生んだ悲劇について、ご紹介していきます。

『また三好の話か、信長登場はよ』というツッコミも聞こえてきそうですが、いましばらくのご辛抱を。


さて、室町幕府13代将軍・足利義輝を表向きは政治の中枢から追い出したものの

彼を亡き者にするまでの覚悟はなかった長慶は、これも形だけの管領・細川氏綱を影で操りながら

頼れる弟たちの力も借りて、畿内から四国東部にかけての三好一族の領国を支配していました。

織田信長が桶狭間の合戦で今川義元を討ち取った1560年の時点で、”最も天下に近い大名”であったことは間違いありません。


ところが・・・ 順風満帆に見えた三好政権に、”まさかの事態”が次々と襲い掛かります。

その”まさか”の端々に、松永久秀の関与が疑われる部分もあるのですが・・・ ひとつひとつ検証していきます。


”まさか”その①  兄弟一の武人・十河一存(そごうかずなが)死去  容疑度・☆☆☆

1561年4月、長慶を支えた弟の一人で、最も武勇に優れていたという”鬼十河(おにそごう)”こと十河一存

わずか30歳の若さで急死してしまいます。 死因は病死とも、乗馬中に転落したためとも伝わります。

一部の逸話によれば、一存は長慶の兄弟の仲でも久秀と特に仲が悪かったといい、久秀による暗殺説もあるようです。

いずれにせよ、三好一族の一人として影響力を持っていた一存の死は、結果的に久秀が三好政権に割って入るスキを与えたともいえます。


”まさか”その② 長慶の片腕・三好義賢(実休)が討ち死に 容疑度・☆

1562年3月、和泉国(いずみ、現在の大阪府南西部)は久米田(くめだ)の戦いにおいて

長慶のすぐ下の弟で、長慶にとって”片腕”とも言えた政権の重鎮・三好義賢(よしかた、別名”実休”)が戦死します。 享年37。

三好軍と戦ったのは、かつて名門守護大名だった畠山氏の生き残り・畠山高政と、紀伊を拠点にした傭兵集団・根来衆(ねごろしゅう)の軍勢で

その①で挙げた十河一存の死を”三好政権に対する反転攻勢の好機”と見て、挙兵したとみられています。

時を同じくして、京には高政とともに反三好の旗を掲げた六角氏の軍勢も攻め込んでいたとされています。

この戦いの前後における久秀の動向は明らかではないのですが、当時の記録にも”討ち死に”と記されていることから

久秀が義賢の死に関わった可能性は低いと考えられます。

しかし、この敗戦で和泉を畠山軍に奪われた長慶の権勢は、一気に失速していくことになります。


”まさか”その③ 長慶の跡取り息子・三好義興(よしおき)の早死に 容疑度・☆☆

1563年8月、長慶にとって唯一の息子であり、跡取りとして大事に育てていた三好義興が亡くなります。

享年はわずか22。 これも当時の記録によれば死因は”病死”ですが、ごく一部に”久秀による暗殺”とする説があります。

義興は長慶の優れた才能を受け継ぎ、一族だけでなく朝廷や幕府内からも将来を期待されていた逸材だったと言われています。

とうぜん父親である長慶の落胆は計り知れず、これを境に現代で言う”うつ”の症状を患った可能性も指摘されています。


”まさか”その④ 一族の生き残り・安宅冬康(あたぎふゆやす)を・・・ 容疑度・☆☆☆☆

長慶を中心に盤石の結束を誇った三好一族も、一存・義賢・義興と立て続けに中心人物を失ったことで

”櫛の歯が欠けたように”弱体化の一途をたどり、必然的に松永久秀の台頭を許すようになっていきます。

そして1564年5月、長慶の兄弟で唯一の生き残りであった安宅冬康が

『謀反の疑いあり』として長慶に呼び出され(※)、その場で自害させられてしまいます。 享年37。

しかし後に冬康の潔白が伝えられると、長慶は大いに嘆き、同時に自身の短慮を悔いたともいわれています。

(※)長慶に『冬康謀反』の噂を吹き込んだのが久秀であった、とする説が有力だが、もちろん異説も多々ある


こうして、散々なまでに食いちぎられてしまった三好一族の結束。

ついには1564年7月、心身ともに弱りきった長慶自身も死の床につき、そのまま帰らぬ人となりました。 享年43でした。

(こうしてみると、”人間五十年”といわれる当時の人々の寿命が、割と妥当性があることが伺えますね)

三好家を継いだのは十河一存の子で、長慶の養子になっていた三好義継(よしつぐ)でしたが

すでに三好家の実権は松永久秀と、いわゆる”三好三人衆”によって掌握されてしまっていました。


そして、長慶とは違って”目的のためなら手段は選ばない”久秀による、空前絶後の・・・(サンシャイン池崎の声で読まないこと)

もとい、室町幕府史上かつてない危機が訪れようとしていました。  次回”不如帰(ほととぎす)の涙”、 年内最後の更新をお待ちあれ。


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【関心事】今年もあと残すところ一桁の日数に・・・ 思い返せばテレビをほとんど見なかった一年。

こんばんは。

今日は12月22日、冬至の当日です(別にダジャレという訳ではない)

2017年もあと今日を入れて10日ほどとなり、いよいよ新しい年へのカウントダウンという感じです。

とはいっても、今年ほど年末という実感がない年というのも、記憶にないんですよねぇ・・・

毎年この時期になると、新聞で10大ニュースの記事を読んだりテレビの年末特番を見たりするのですが

今の私は家で新聞とってないし、職場でも読まない(そもそも置いていない)し、テレビも全くといっていいほど見なかったし。

特にテレビは、物心ついてから30年余り生きてきた中で、視聴した時間が最も短い一年だったかもしれません。


去年までだと起きて出勤までの間とか、仕事から帰って夕飯までの間などに大体テレビをつけていたのですが

出勤時刻が早くなったのと、帰ってもネットニュースを見てスマホゲームをすればすぐ寝る時間になってしまうので

日常の中に『テレビの電源を入れる』という動作が入る余地すらなくなってきたからではないか、と推測します。

それでも休みの日で気が向いた時には見たくなるし、天候や災害が心配になった時もリアルタイムの情報が欲しいので

”テレビを家から撤去する”ということは考えられないのですが(何かと物議を醸す”某テレビ局の受信料”もちゃんと払ってます)

例えば『ゴチで誰がクビになるか』とかを昔はドキドキしながら見ていたものですが、今はほとんど興味がなくなってしまって。

そういうの見ているヒマがあったら、寝るかブログのネタ考えるか、スマホゲームの経験値を稼ぎたいと思っちゃうんですよね。

一般的には働き盛りの年代の男がこういう生活を送っているのもどうかとは思いますが・・・ 来年は突破口なり糸口を見つけたいところです。


そういうわけで、今年の残りもこんな感じでダラダラ続くと思います。

あ、明日はもちろん土曜日の連載企画ですよ。

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