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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】シリーズ「落日」ホントの最終回 この際だから書いておきたい、あとがき的な何か。

こんばんは。

平成29年度の最終日、3月31日(土曜日)にお送りするのは「落日 ~室町幕府、終焉への道~」の最終話。

思えば、去年の6月から『毎週土曜日は連載記事を書く!』と決めて臨んだ、このブログ始まって以来の大型企画。

途中、いろいろあって休止を余儀なくされる週もありながら、投げ出すことなく”いちおうの完結”までたどり着くことができました。


そもそも第1回から全部で何記事書いたのか、自分でもすぐに分からなかったので調べたところ・・・

プロローグ3話 + 第1章6話 + 第2章10話 + 第3章16話 + 幕間3話 + エピローグ1話 + この記事 = 40話

某放送協会の大河ドラマ(今年は”○○どん”)にはちょっと及ばないですが、結構頑張りましたでしょ。

それだけ取材に時間もかけましたし、題材や人物への思い入れもあるので、本編には載せられなかったアレコレを語っちゃいます。


実のところ、今回の連載のテーマにした”室町幕府と足利将軍家”には、前々から興味と関心を持っていました。

ブログ主が歴史と戦国時代を好きになったきっかけといえる、『信○の野望』的なシミュレーションゲームにおいて

(特に初期の作品では)足利将軍家は織田家や武田家といった戦国大名家と同列に扱われることが当たり前(※)でした。

(※)もっと言えば、連載にも登場した『石山本願寺』や『長島願証寺』の一向一揆も、作品によっては”戦国大名”としてプレーできたりする。

むしろ有力な大名家に比べて家臣の人数も能力も頼りなく、すぐに三好家か織田家に滅ぼされる運命をたどる(ゲームの中の)室町幕府。

それでも最近の作品では、”足利将軍家だけが使える特権”がゲームに実装されたりして

プレーヤーの腕と戦略次第では、戦国乱世を”室町幕府の名のもとに”統一することも、決して難しくはなくなっているのですが。

ただ、多くのプレーヤーは信長や信玄、謙信といった有名な戦国大名や、思い入れのある地元の大名を選ぶことになり

好きこのんで『足利将軍家で天下を取るぞ!』とプレーする人は、決して多くはないと推測します(私も地元の尼子家推し)。


そんな世の流れもあって、戦国時代の物語はたいていが”有名な戦国武将”の視点で描かれることがほとんどで

すでに実権の無い将軍・義輝や義昭は『古びた権威にすがる身の程知らず』として、いわば”引き立て役”に甘んじてきました。

しかしながら、これも最近のゲーム作品では彼らが人生の大半を傾けた『室町幕府復権のための精力的な活動』が徐々に認められ

義輝や義昭のゲーム内での能力値、またゲームファンからの評価も肯定的な方向に変わりつつあるように思います。

そして私自身も『義輝や義昭の目線から見た戦国時代は、どんなだっただろう?』と思ったことが、今回の連載につながりました。


・・・とはいえ、調べれば調べるほど、話はそう簡単じゃないことが分かり。

義輝が将軍だった時代には、すでに幕府の実権が三好長慶に奪われていたことは知っていましたが

その三好氏もかつての主君・細川氏を追い落としており、その細川氏は将軍を補佐する”管領”の家柄で・・・という感じで

『いもづる式』に歴史的事件や人間関係を洗い出してみたら、なんと”応仁(・文明)の乱”まで来てしまいました。

そして連載を始めた当時は、世間で”応仁の乱”が大ブーム。 ブームの火付け役になった本を私も購読して情報収集に使ったり。

結果として、3章構成のうちの第1章をほぼまるまる”応仁の乱”で使ってしまう事態になりました。 でも後悔はしていない

それに実際は後ろの章に行くほど回数と内容の厚みが増したので、全体のバランス的には良かったのかもしれませんが。

欲を言えば、事前に連載全体の構成を入念に練って、行き当たりばったりではない更新をしたかった・・・ 次の連載への”宿題”ですかね。


最後に、今後の”戦国ネタ”について展望的なものを。

以前も書きましたが、この連載を続けている間は『他の戦国ネタを挟むのは控えよう』と思って書いていました。

およそ9か月間、いわば”室町幕府縛り”で書いてきたので、それ以外のネタを語りたい”欲求不満”感はあります。

かといって「したらこれから1か月ぶっ続けで、溜まった戦国ネタ書くからな!」というほどのネタも気力もありませんし

やはり戦国時代が好きな身としては、ろくに取材もせずに”自分勝手な思い込み”だけをつづった記事は書きたくないので

いつもの”グダグダ日常話(苦笑)”に紛れ込ませる形で、多くても週1~2のペースで書ければ御の字かな、と。

そして、また今回のような大型連載のテーマにしたい武将や新事実が見つかれば、あるいは・・・ まずブログが続いてることが大前提ですが(苦笑)


というところで、執筆開始から2時間。 思考力も集中力も尽きてきました。

最後になりますが、この連載記事に目を通して頂いたすべての方へ(たった1話だけ、チラッと見ただけでもいいです)。

ブログ主から精一杯の感謝を込めて。  ありがとうございました。


「落日 ~室町幕府、終焉への道~」   =完=


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【その他】いつぞやの伏線に使っていた、新年度の仕事の件ですが。 

こんばんは。

少し前の記事で「4月以降はどうなるかわからない」と言っていた、今の仕事について。

結論から言うと、明日3月31日をもって現在の職場を離れることになりました。

仕事についていけないとか、不満があるから辞めるとかではなく、単純に”契約期間満了で、更新をしない”という話です。

去年4月に離職して『急ぎで仕事を探している』と相談した知人から紹介された仕事で、正社員ではないことは知っていましたし

自分と同時期に似たような経緯で入った方も、半年もしないうちに姿を見なくなったので、頑張った方だとは思います。


まぁあまり突っ込んだ話はできないですけど、一番の要因は”経営側が人件費の削減を図った”からだろうな、と。

東南アジアからの実習生を雇い入れていたのも『日本人の派遣社員を使うより安上がりだから』だという職場内での噂もあって。

すでに日本国内でも”海外勢との(単純)労働の奪い合い”が始まっていて、転職市場でアピールできる職務経験を持ち合わせていない自分は

『このままだと、その争いの渦に飲み込まれてしまうのだなぁ』と危機感を覚えずにはいられません。


とはいえ、焦ってまた心身を壊すことがあってもいけないし、かといって最低限の生活費相当の収入は必要だし。 

世間が思い描く”理想の人生のレール”からはとっくに脱線しまくっている自覚はありますし

”30代半ばで専門的な職務経験無し”から正社員として迎え入れてくれる業界などあるはずもないので、見通しは明るくはありませんが。

それでも過去の無職期間には”引きこもり”に近い生活になってしまった反省も踏まえて、まずは一つでも行動を起こさないと。

役場なりハローワークなりの公共の場に出かけて、他者とつながるところから積み上げていこうと思います。


ブログに書くような話ではないような気もしますが、気にしておられた方がいるかもしれないので、一応ご報告ということで。

明日は今年度最後の土曜日、予告の通り”大型連載企画・完結編”を気合いを入れて書きます。 ではでは。

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【お楽しみ】久しぶりに”例の病気”が発動した休日。 何もできないよりはいいけどね。

こんばんは。

サブタイトルに『病気』なんて単語を使ってるから、驚いた方もいるとは思いますが。

いちおうカテゴリーが【お楽しみ】ですし、身体やメンタルに異常が起こった訳ではございません。

あくまで自分にとって”若干困った症状”という意味ですので、ご心配にはおよびま千円(←「すいま千円」のつもりか?)


さて、その”病気”というか”症状”ってのが、以前ブログにも書いたかもしれんのですが

『過去に途中で投げ出したゲームを、もう一度始めから遊びたくなってしまう』というシロモノでして。

基本的にはゲームを買ったらエンディングまで遊びたいものですけど、難易度が高かったり時間がかかったりして

途中で断念してしまい、しばらくしたらまた別のゲームを買って古い記憶は忘却の彼方へ・・・なんてことがよくありました。

最近はスマホや3DSのダウンロードゲームばかりを遊んでいるせいか、『ゲーム機&ソフト』で遊ぶことがほとんど無かったのですが

今朝になって急に”数年前に投げ出した『あるゲーム』”の存在がどうしても気になって、朝食もそこそこに起動してしまったんです。

そしたら当然操作もストーリーも忘れていて、『はじめから』を選んでいろいろ思い出しながらプレイしてたら、あっという間にお昼前。

「しまった、貴重なフリーの時間が・・・!」と若干後悔はしましたが、久々にやっても面白かったので良しとします。

しかも実はこのソフト、『新品で購入⇒お金に困り一度売却⇒また遊びたくなって中古を購入』という流れを経た、いわくつきの作品。

今回こそは投げ出さずに遊び尽くせるといいけどねぇ。 ただ、36にもなってこんな事してる場合じゃないけどな。

一方でツイッターや動画投稿サイトではゲームをとことんやり込んでいる人を見かけるけど、一体どこにそんな時間と労力があるんだろう・・・

きっぱりゲームから足を洗うのも、ゲームをやり込んで実況動画や攻略サイトを立ち上げるのにも二の足を踏む、中途半端なゲーマーです。

まぁ逆説的に言えば、ゲームを遊ぶ気力すら起こらないのは、私のメンタルに”異常事態”が起きているサインなんですけどね。

ひと昔前、毎日ログインを欠かさなかったゲームにすら手が伸びなかった時は”自分はもうダメかもしれない”と思ったりもしましたし。

ゲームに人生捧げる訳にはいかんのですが、私にとっては『ゲームとの付き合い方も”自己管理”の一部』として、ゆるく”ゲーム道”を歩いていきます。

もちろん仕事や社会参加など、リアルな他者との関わりも忘れちゃいけませんけどね。 そっちも心身の調子と相談しながらやっていきましょうか。


ではそろそろ寝る支度をするので、今日はこれで。

3月もあと2日、万事ぬかりなく乗り切りましょう。

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【日常】暖かいというより暑い一日。 もう春ってことでいいでしょ。

こんばんは。

今日言いたいことは、もうサブタイトルだけで完結しているんですけど。

昨日に続いてよく晴れて、冬用の肌着を着込んで出かけたのを後悔するほど。

職場の玄関先に置かれた温度計に至っては、なんと25度を指していました。 3月なのに”夏日”って。

あと3日で4月だし、もう春ってことでいいんじゃないですかね。 ”三寒四温”はもう充分味わいましたので。

それでも朝方は肌寒かったりするので、こういう時に体調を崩しやすいんですよねぇ。 気を付けなければ。


・・・と書きながら、薬も飲んでいないのに”いい眠気”が襲ってきています。

帰ってからちょっと酒飲んだのもありますが、身体がいい具合に温まっているのでしょうかねぇ。

こういう時には、少しでも質の良い睡眠をとれるように意識して、夜更かしなどしないように心がけます。

仕事もプライベートも、健康があって成り立つ部分は大きいですから。 齢36にして、ようやくそれに気が付きました。

そんなわけで、このブログの味わいも若干変わりつつありますが、ぼちぼちやっていきたいと思います。


では、今日はこのへんで。

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【雑感】三十代も半ばを過ぎると、睡眠の質や量にも敏感になるのか。

こんばんは。

今日は月に一度の『大きな病院』に行ってきまして、この時間の更新です。

幸い、ここのところは体調・メンタルともに大きな崩れはなく、薬の量もひとまず据え置きといったところで。

以前は”気持ちがしんどくなった時に飲む薬”をたびたび使っていましたが、もう半年くらい飲んでないですかね。

もちろん自分自身の考え方とか、心の持ち様が少しずつ変化してきているのも、要因としてあるとは思いますが。


それはそうと、薬ってだいたい飲むと眠くなる成分が入っていますよね。

睡眠を補助する薬に限らず、風邪薬とか今の時期だと花粉症の薬とかは、飲むと眠くなる種類のものが多いです。

これは、薬の効きをよくするために身体を『安静な状態にする=寝る』に持っていくためだそうですが。

今は新薬の研究が進んで、テレビCMやネット広告でも『昼間飲んでも眠くなりにくい!』という商品も見かけるように。

『体調が悪くても休めない!』なんて方には嬉しい進歩(・・・なのか?)ですが、具合が悪い時は休んでおいた方がいいと、個人的には思います。


いやね、私自身も30代後半になったからか、睡眠不足だと日中のパフォーマンスが落ちるのがはっきり分かるんです。

今は身体を動かす仕事ですから、眠気を感じてもある程度は我慢できるんですけど、デスクワークだったら確実に”ウトウト”してますね。

ホント、深夜から早朝までコンビニでバイトして、そのまま大学に行く元気があった二十歳そこそこの頃が輝かしく見える・・・

でもね、『睡眠負債』なんて言葉があるように若いうちの睡眠不足のツケは、年取ってから襲い掛かってくるそうですし。

なので、今は何を置いても睡眠時間を7時間は確保。 布団に入って10分くらいで眠りに落ち、気が付いたら翌朝という流れが理想です。


いずれは薬のチカラを借りずに、この状態がキープできるようになるのが理想ですが・・・ 果たしていつになることやら。

とりあえずは日中の眠気を誘うポカポカ陽気に負けないよう、夜はしっかり寝ようと思いました。


では、今日はそろそろお開きということで。

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【関心事】大相撲と人工知能。 今は全く接点がなさそうだが、もしかすると。

こんばんは。

日中はずいぶんと暖かくなって、不思議と気分も良くなります。

昔から『暑さ寒さも彼岸まで』なんて言いますが、確かにそんな感じになってますね。

昔の人が言うことも、時にはタメになるなぁと思います(普段から軽視してる訳ではないですけど)。


ところで。

昨日千秋楽を迎えた大相撲春場所は、横綱・鶴竜(かくりゅう)関の優勝で幕を閉じました。

先場所初優勝した栃ノ心(とちのしん)関も連覇こそ逃しましたが、鶴竜関に土をつける活躍で殊勲賞を獲得。

また、人気力士の遠藤(えんどう)関も好成績を挙げ、来場所は待ちに待った”三役昇進”となりそうです。

石浦関(鳥取県出身)や隠岐の海関(島根県出身)の成績は振るいませんでしたが、来場所の奮起に期待するとして。


この流れで、今日の本題なんですけど。

昨今、何かとニュースや情報番組などで取り上げられる、人工知能(AI)。

膨大なデータや情報を分析し、人間が持つ思考や学習の能力をコンピューターに持たせるという”ディープラーニング”とか

すでに囲碁のトッププロすら打ち負かす実力を備えたプログラム”アルファゴ(碁)”の出現など、話題は尽きませんが。

それより一般人が気になるのは”いま人間がしている仕事の半分は、人工知能が奪ってしまう”なんて未来予想図だったり。

特に、複雑な判断を必要としない単純作業や事務的な仕事は、すでに日本人と外国人、そしてAIで奪い合いが始まっているとも言われ。

そこにあるのは『嫌々働かなくても暮らせる社会』なのか、それとも『働きたくても働かせてもらえない社会』なのか。

もちろん『今はこの世に存在しない、全く新しい職業』が次々と誕生している可能性だってありますけど。


・・・おっと、相撲の話ですよね。

大相撲の世界の”お仕事”って、大部分が日本相撲協会に所属する親方や行司さんたちで行われているんです。

その中で特に私が『大変だなー』と思うのが”取組編成”、つまり「今日は誰と誰を対戦させるのか」を決める作業です。

大相撲の取り組みって、事前に決まっているわけではなくて、毎日会議をしてその都度決めているんですって。

プロ野球やJリーグなど、ほとんどのプロスポーツはシーズン前に日程が発表され、リーグ戦なら事前に対戦相手が分かるものですけど

大相撲の場合は、ある日の対戦相手が誰なのかは、1~2日前にならないと分からない仕組みになっておって。

その相手を決める基準は「同じくらいの番付で、成績(勝ち数)が近く、今場所まだ対戦していない、違う部屋の力士」という

分かりやすいんだかそうでないんだか、結構アバウトな感じのする内容で、あとは担当の親方たちが手作業で埋めていくんだそうです。


それに加えて、毎場所前に発表される”番付”を編成するのも、なかなか大変そうです。

編成の過程が一般に知らされることはないのですが、先場所の成績からある程度は予想できます。

とはいえ、”誰が幕内(十両)に昇進するか(残留するか)”など力士の肩書や待遇が懸かる部分の線引きは判断が難しい場合も多く

テレビやラジオで解説する親方も「”番付は生き物”といいますからねぇ・・・」と、言葉を濁すことも少なくないのです。


・・・将来、こういう作業を人工知能がこなすようになる可能性はあるのだろうか??(話がつながった!!)

人間が”あーでもないこーでもない”と言いながら、『まぁこんなとこでしょう』とあいまいさ(ファジー?)を残した結論を出すのも味がありますが

人工知能に過去の対戦や番付の編成のデータを学習させて、深めていった結果としてどんな編成をするのか? 研究する価値はあるのかも。

そうすれば親方の手をわずらわせる仕事も減って、本業である力士の育成に専念でき、結果として力士の不祥事も減る・・・かも(こらこら!!)

そんな相撲界の未来、見てみたいようなみたくないような。 皆さまはどうでしょうか?


という感じで、別に人工知能に詳しくもないブログ主がお送りしました。

今日はこのへんで。

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【日常】”春のお彼岸”ですので、それらしいことをしてきました(短信)

こんばんは。

今日は朝から実家に行って、いろいろ用事をして先ほど帰りました。

一番の用件は、タイトルにもある通り”春のお彼岸”期間ということで

家族と一緒に、実家の近くにあるご先祖のお墓参りをしてきました。

実家を出て一人暮らしを始めてから、よほどの事が無い限り行かなくなっていましたが

5年ほど前に祖父が亡くなった時からは、お盆と春秋のお彼岸にはだいたい顔を出しています。

お花と線香をお供えして、「こちらは元気でやっています」と報告もしてきました。


・・・特にオチもないですが、明日も仕事で寝る時間が迫ってますので、今日はここまでにします。

良い4月を迎えるために、3月最後の1週間も心にぬかりなく参るとしましょう。 では。

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【戦国時代】シリーズ「落日」終章 義昭アフター ~歴史には残らなかった後半生~

こんばんは。

およそ9か月にわたってお送りしてきた大型連載企画「落日 ~室町幕府、終焉への道~」

今回の記事で、ついに終章(エピローグ)を迎えることになりました。

織田信長の軍勢に敗れて降伏し、京を追放されてしまった室町幕府最後の将軍・足利義昭

教科書やドラマでは決して語られない”その後”のお話です。


まず、誤解のないように最初に言っておきますと

京を追放された時点では、まだ義昭は『室町幕府15代将軍』の肩書きを失ったわけではありませんでした。

というのも、過去にも一度京を追い出された後に権力の座に返り咲いた例(10代将軍・義材⇒義稙)があったため、

当時の政治的にも世間的にも、『将軍の追放』が『幕府の滅亡』を意味するとは考えられていなかったのです。

また、「逆らう者は皆殺し」でお馴染み(?)の信長も、義輝の暗殺で非難を浴びた三好家の二の舞を避けるためか

”義昭の幼い息子を人質に取る”だけで、義昭自身の命は助けるという措置をとったのも、義昭にとっては幸運でした。

その一方で、信長は義昭を追放した直後、圧倒的な軍事力をもって越前の朝倉氏・近江の浅井氏を相次いで滅ぼし

およそ3年にわたって義昭が画策した”信長包囲網”は、ほぼ無力化されるに至りました。


この状況を見た義昭は『信長の領地に留まるのは危険だ』と察して、まだ信長の手が伸びていない地域へと動きます。

最初は河内(大阪府南東部)の三好義継(長慶の跡継ぎ)の城に入りましたが、ここも信長の侵攻が近いと知ると

次は紀伊(和歌山県)の畠山氏(室町幕府”三管領”の一つ)を頼り、さらに遠くへ逃げようとして助けを求めたのが

かつて日本有数の守護大名だった大内氏を打ち倒し、中国地方の支配者となった毛利元就の孫・毛利輝元(てるもと※)でした。

※ここまで読んでいただいた方にはお分かりかと思いますが、輝元の”輝”の字は足利義輝からの頂き物です。


輝元は、祖父・元就の遺言ともいわれる『毛利は天下を争ってはならない』の教えを念頭に置いて

「将軍を手元に置いていたら、天下の争いに巻き込まれるのでは・・・?」と考え、義昭の頼みを断ろうとしましたが

『ここがダメなら、もう行き倒れるしかない』とまで義昭に哀願されては断りきれず、

毛利家の領地であった備後国(広島県東部)は『鞆の浦(とものうら)』の地に屋敷を与えて迎え入れたのでした。


すると、たちまち不思議なことが起こります。

「義昭は備後にいる」との噂を聞きつけた幕府の家臣やその支持者などが鞆の浦に集まってきたのです。

実はこの鞆の浦、義昭の遠い先祖である足利尊氏(たかうじ)が、戦に敗れて京を追われた時期に滞在し

その後室町幕府を興したという、足利家にとって”縁起の良い”場所でありました。

要するに「義昭様も尊氏様のように再起なさるつもりでは!?」という期待が、この現象を生んだと言えそうです。


これに背中を押されてか、義昭本人も「何としても信長に一矢報い、京に帰るぞ!」とばかりに

越後の上杉謙信や甲斐の武田勝頼(信玄の子)、相模の北条氏政(氏康の子)といった、信長に対抗できそうな東日本の有力大名に

”長年対立してきた恨みを忘れ、『反信長』の姿勢で互いに協力するように”と呼びかける手紙を送ったといいます。

しかし、勝頼は”長篠の戦い”で信長に大敗を喫したばかり、上杉と北条もいわゆる”犬猿の仲”だったので、共同戦線は実現しませんでしたが

晩年の謙信が関東や信濃ではなく北陸地方に勢力を伸ばしたのは、信長の打倒と上洛を義昭に頼まれたから、とする説もあります。


そして、渋々ながらも(?)義昭の”スポンサー”となった毛利氏も、包囲網崩壊後も信長に抵抗して”籠城”を続ける石山本願寺

瀬戸内海から船団による兵糧・武器等の援助をするなど、結果的に『反信長』の立場をとることになります(※)。

(※)かつて元就が滅ぼした尼子家の残党(山中鹿介など)が、信長を頼って再起を狙っていたことも一つの要因といわれる

それでも、すでに一度窮地を乗り越えている信長はまたしても勝負強さを発揮し、この”第二次包囲網”もはねのけてしまいます。

義昭が希望を託した謙信は1578年に死去し、石山本願寺も1580年に信長と和睦(教団のトップ・顕如は寺を退去することになったが)。

毛利軍も尼子の残党を討ち果たしたまでは良かったものの、その後は織田家の重臣・羽柴(後の豊臣)秀吉の軍団に苦戦し、領地を削られていきます。

「やはり信長が生きている限り、京には戻れないのか・・・」落胆する義昭に、ついに運命の女神がほほ笑みます。


1582年6月2日、本能寺の変。


そう、かつて幕府と義昭に仕えた明智光秀が、幕府を(事実上)滅ぼした信長に謀反を起こしたのです。

信長は本能寺の炎と消え、各地を侵略していた織田軍は”謀反人・光秀”を討つべく撤退を始めました。

さらに、最近発見された当時の書物によると、光秀が「室町幕府の再興」という大義を掲げて支持者を集めようとしていたことも伺えます(注)。

あれだけ憎しみを抱いた”宿敵”は、もうこの世にいない。 義昭は、この知らせをどのような想いで聞いていたのでしょうか・・・?

(注)この情報は、記事を演出するために引用したものです。 
    ブログ主は、これを根拠に『義昭こそが”本能寺の変”の黒幕』と主張したいわけではありません。

・・・・・・。

・・・。


それから時は流れて、1588年1月。

『室町幕府15代将軍・足利義昭』は、実に15年ぶりに京に帰ってくることができました。

しかし、それは義昭があれだけ願った『室町幕府の再興』を意味するものではありませんでした。

そう。 あの”本能寺の変”の後、時代は室町幕府ではなく豊臣秀吉を選んだのです。


歴史に名高い”中国大返し”を経て光秀を討ったのち、織田家の重臣たちを押しのけて信長の勢力基盤を継承した秀吉は

”貴族階級の最高位”とされる「関白」の威光をもって(義昭や室町幕府の力を借りることなく)、毛利氏をはじめとする西日本の諸大名を次々と従えました。

また、生まれが武士ではない(とされる)秀吉は、自らが『武士のリーダー』たる将軍になることは考えず(異説もある)

室町幕府と対立した三好長慶や信長のように『幕府や将軍の存在が、自分の権力の邪魔になる』こともありませんでした。

これは想像ですが、義昭と秀吉は損得勘定や利害関係ではなく、互いに「公人」としての付き合いができていたのではないでしょうか。

秀吉と付き合う間に、義昭は「もはや自分が、将軍の地位に固執する意味はない」と悟ったのかもしれません。


義昭は京に戻った直後、朝廷に「将軍職を返上します」と申し出て、ここに室町幕府はその役目を終えたのであります。

その15年後、徳川家康が江戸に幕府を開く(※)までの間、将軍の座は”空位”となりました。

(※)余談だが、江戸幕府初代将軍・家康の在位期間はわずか2年ほど。

   徳川家が将軍職を世襲する流れを盤石にするため、すぐに跡取り息子の秀忠に譲った。


将軍職の重圧と権力のしがらみから解放された義昭は、再び出家してお坊さんとなりましたが

同時に山城1万石の大名として秀吉に取り立てられ、穏やかな晩年を過ごし、1597年に亡くなりました。 享年61。

実は、歴代の室町幕府将軍の中で、最も長生きだったのがこの義昭でした。 

なお、人質として信長に預けられた義昭の息子とその子孫は、最終的に皆お坊さんになったため

武士としての”足利将軍家”は、実質的には義昭の代で断絶したといえるのであります。 諸行無常。


・・・というところで、およそ100年にわたる”室町幕府の栄枯盛衰物語”の結びとさせていただきます。

長らくのご拝読、本当にありがとうございました。

本編はこれで終わりですが、3月はもう1回土曜日があるので、あとがき的な記事を書いておこうと思います。

よろしければ、そちらもどうぞお付き合いください。


では、また。

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【日常】年に数回訪れる、自動車学校の教習車をよく見かける時期。

こんばんは。

今日はようやく暖かい日差しが戻り、思わず「春ですよー」と言いたくなる気分でした(ここは幻想郷か)

その反動で朝は冷え込み、出勤の時に車のフロントガラスが凍っているとは思いませんでしたが・・・。

昨日までの寒気が去れば、さすがにもう積雪や凍結の恐れはない気もしますが、タイヤ交換は4月に入ってからか? うーむ。

私は父親から教えてもらって覚えたのですが、確か自動車学校でも授業で習ったような気もします。


そうそう、自動車学校といえば、最近よく路上で教習車とすれ違います。

うちの近所(徒歩15分圏内)に自動車学校があって、そこの車だっていうのが一目でわかるんですね。

特に2~3月と8~9月にかけては、毎年かなりの確率で教習車を見かけるのです。

私の経験上、大学が長期休みになる時期と重なるので、地元に戻ってきた大学生が教習を受けているのかな?

さらに今の時期は、高校を卒業した人も加わったりしているのかな?? あーでも路上の前に仮免許の試験もあるから、時間的には厳しいか・・・?

なにはともあれ、自動車免許は基本一生の付き合いになるもの。 教習所時代の”初心”を忘れず、どなた様も安全運転でお願いします。


では、今日はあっさり目ですがここまで。

その分明日は張り切って書くので、お楽しみに。

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【関心事】センバツ高校野球の開幕直前に、私にとっての”甲子園”が消えるという報道。

こんばんは。

気付けば明日から”春のセンバツ”こと『全国選抜高校野球大会』が開幕するそうで。

今回は第90回の記念大会で、出場校がいつもより4校多い36校になっているとか。

にもかかわらず山陰地方からは1校も出ないので、全く関心がありませんでしたが・・・。

それでも、出場する選手にとっては一生の思い出になるかもしれない大舞台。 存分に力を発揮してきてください(優等生か)。


ところで・・・そんなニュースに胸躍る一方で、私にとっては大変残念なニュースが目に入ってしまって。

長年『全日本吹奏楽コンクール(中学校の部・高校の部)』の会場として”ブラスバンドの甲子園”とも呼ばれた

コンサートホール「普門館(ふもんかん)」が、今年の冬をめどに取り壊されることが決まったそうです。


中学から高校にかけて吹奏楽部に所属し、(本当に幸運なことに)1度だけ全国大会のステージにも立たせてもらった私にとって

やはりこの「普門館」というのは、高校球児にとっての「甲子園」とほぼ同じ位置づけだったと言えると思います。

2011年の東日本大震災の後、建物の耐震強度に問題があることが分かり、使用を中止されたことは知っていましたが

まさかそのまま「取り壊し」まで行くとはなぁ・・・ 正直なところ、今は”残念”としか感想が浮かんできません。

本家の「甲子園」がいつも通りの熱気と歓声に包まれる季節を前に、このようなニュースを聞くことになるとは、重ねて残念。


・・・なんて、思い出に浸ってばかりいても前には進めないですから、『これも時代の流れ』と割り切っていこうと思います。

いつの日か再び『ブラスの全国大会といえば○○』と語り継がれるような会場が現れることを願いつつ、今日はこのへんで。

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