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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】足利義昭、京を追われても野望は果てず。 ~直筆の手紙が発見された件~

こんばんは。

昨日の強い地震も、今夜のサッカーの試合も気になりますが、今日は久しぶりに戦国ネタです。

「コイツはいつになったら歴史ネタを書くんだ!?」とやきもきしていた方、お待たせしてしまいました。

私もいつもより少しばかり気合いを入れて、【戦国時代カテゴリー】に属する”意地”を見せたいと思います。

日頃のグダグダ話とはちょっと色が違いますが、どうぞ最後までお付き合いのほどを。


さて。

今日の主役は、以前このブログでも大型特集を組んだ、室町幕府15代将軍・足利義昭(あしかがよしあき)です。

室町時代の最高権力者として産まれたはずが、僧侶・人質・流浪の身を経て将軍の座をつかみ取ったはいいものの

弱肉強食の戦国乱世を制覇せんとした英傑・織田信長に追い落とされ、流れ流れて備後(広島県)の地へ。

そこで毛利氏の援助を受けつつ京への帰還を夢見つつ、最後は信長の後継者・豊臣秀吉の傘下に収まった、室町幕府最後の将軍です。

・・・っと、この辺の詳しい話はぜーんぶ連載記事で書いてあるので、興味があったら読んでみてね(←露骨な宣伝すな)


で、ここからが本題。

朝の日課になっている、ネットニュースのチェック中。

やはり昨日の大地震関連のニュースがズラッと並ぶ中、ひときわ目を引く記事を見つけました。 


将軍足利義昭の手紙 福山で発見 19日公開、復権目指す内容 (出典:山陽新聞・YAHOOニュース)


リンク先のページがいつ消されるかわからないので、内容をかいつまんで書いておくと。

・義昭が信長に京を追われた後、身を寄せていた鞆の浦(現在の広島県福山市辺り)で書いたとみられる手紙が見つかった

・書いた時期は1576年9月9日頃と推測され、宛先は伊勢(三重県)の武将・北畠具房(きたばたけ・ともふさ)

・内容は『(自分を保護している)毛利輝元と連絡をとって、京へ戻るため力を貸してほしい』というもの

・相手の宛名に『殿』と敬称をつけるなど、将軍の地位にあった義昭の手紙には珍しく、低姿勢な文面になっている

・具房は信長の次男・織田信雄(のぶかつ)を養子に迎え、父・北畠具教(とものり)も朝廷に縁が深かったことから、協力を依頼したのではないか



・・・といったところですが、これだけでは歴史ビギナーには『何が重要なのかさっぱり分からん』でしょうし

上級者からは『コイツは何も分かっとらん!』と突っ込まれそうですので、ここからは補足説明を。


まず、この手紙で義昭が協力を頼みこんだという、北畠具房とはどんな人物なのか。

北畠(きたばたけ)氏は足利氏と同じ源氏の一族で、戦国時代には伊勢の『国司(こくし)』として、伊勢国の大部分を支配していました。

『国司』というのは当時の朝廷から与えられる役職の一つで、幕府から任ぜられる『守護』とは定義が違いますが(※)、その国を治める役割を持っていました。

(※)もともと北畠氏は”南北朝の戦い”で敗れた南朝と関係が深く、北朝を支持した室町幕府と後に和解して『伊勢守護』も兼務することになった

そうした背景からか、代々の北畠家当主は若くして朝廷から高い官位を与えられることが多く

具房の父・具教も『正三位』や『権中納言』(詳しくは各自調べてネ)に叙任されるなど、他の戦国大名とは一線を画す存在でした。


しかしながら、皆様ご存知のように時代は下剋上の嵐が吹き荒れる戦国乱世。 官位や名声の高さだけでは、生き残れません。

北畠氏も例外ではなく、伊勢の隣国・尾張(愛知県)から美濃(岐阜県)までを制圧した織田信長の侵攻を受けることになります。

1569年に起こったこの戦いで、約8万の織田軍に対して北畠軍はわずか1万。 多勢に無勢とはまさにこのこと。

それでも北畠軍は各地に籠城して必死の防戦を試み、織田軍を押し返す場面もありましたが、最終的に具教と具房は降伏。

信長は次男の信雄(のぶかつ)を具房の養子として(※)北畠家に送り込み、当主の座に就かせることを条件に降伏を受け入れました。

(※)本によっては「具教の養子とした」という記述もあり、『信○の野望』の武将解説だと「北畠家に養子に入った」とぼかした表現になっている。


・・・信長にしてはずいぶん甘い処置のようにも見えますが、これは完全な『乗っ取り作戦』ですよね。 (今風に言えば『完全子会社化』?)

あるいは、すでに義昭との対立が始まっていた時期でもあるので、伊勢だけに兵力を割くのは得策ではないと判断したのか?

いずれにせよ社長の首をすげ替えられ、事実上『織田株式会社・伊勢支店』と化した北畠一族の悲劇は、これで終わりではありませんでした。

そして、歴史上ではほとんど”無名”といってもいい北畠具房に、”将軍”義昭が頭を下げて協力を頼みこんだ真意とは!?


・・・気力も時間も尽きたので、今日はここまでにいたしとうござりまする。  また近いうちに、ありがとうございました。

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