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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】戦国武将”いい夫婦”合戦、蛇足かもしれない後半戦。

こんばんは。

昨日の記事では『いい夫婦の日』にちなんで、戦国時代の”いい夫婦”について紹介しました。

もちろん戦国時代は現代と違い、本人同士が好意を持って夫婦になったケースばかりではありませんでして

今日の後半戦で紹介するのは『歴史的には有名だけれど、幸せだったのかどうか・・・?』という夫婦がメインになります。

引き続き『正妻(最も関わりが強かった妻)』を原則として紹介しますが、例によって異説もありますのでその辺はご承知おきを。


⑤ 織田信長と、帰蝶(濃姫)

戦国時代の尾張が生んだ”ヒーロー”織田信長の妻は、隣国・美濃の大名で『マムシ』の異名をとった斎藤道三の娘でした。

つまりは完全な”政略結婚”だったわけでして、仲が良かったことを示すエピソードはほとんど残っていません。

それどころか『本能寺の変』で信長が討たれた時に、彼女がどこでどうしていたのかすら諸説あって分からないという・・・

しかも信長さん、若い頃は奥様よりお気に入りの女性がいて、そちらばかり可愛がっていたそうですよ。 ヒューヒュー(謎)


⑥ 武田信玄と、三条夫人

信長と並んで人気のある戦国武将・武田信玄の妻として知られるのは、三条夫人なる女性。

もとは京に住むお公家さんの娘で、(公家と縁が深い)駿河の今川さんの紹介で甲斐に嫁いできたそうです。

その人となりは詳しくは伝わっていませんが、信玄との間に5人の子どもを授かっているので、良縁だったのでしょう。

ただ、長男で跡継ぎの武田義信が父と対立して死に追いやられるなど、”悲運の女性”として語られることもあります。


⑦ 毛利元就と、美伊の方

一代で中国地方を制した謀将・毛利元就は、”愛妻家”としても戦国トップレベルかもしれません。

というのも、元就は22歳の時に美伊の方を正室に迎えてから、49歳で死別するまで側室を一人も持たなかったのです。

いかに多くの子どもを残すかが”生存戦略”の一つだった戦国大名としては、珍しいことだったとは言えます。

”三本の矢”として毛利家を支えた息子たち(隆元・元春・隆景)の母として、一族の結束を象徴する存在であったのでしょう。


⑧ 明智光秀と、熙子(ひろこ)

再来年の大河ドラマ『麒麟が来る』で主役を務める、明智光秀についても少し。

1545年頃、光秀が美濃にいた時に知り合って結婚したらしいのですが、詳細はよく分かりません。

しかし『光秀が職を失い困窮していた時期に、自分の髪を売って家計を立て直した』というエピソードがあったりします。

ちなみに、妻の実家の苗字は”妻木(つまき)さん”だったそうで・・・ちょっとややこしい。 


⑨ 徳川家康と、瀬名姫(築山殿)

大トリを飾るのは、戦国時代を終わらせた”大御所”徳川家康。 さぞ円満な夫婦生活だったかといえば、なんのなんの。

今川義元に従属していた時代に、義元の養女として紹介された瀬名姫との縁談は、はっきり言って”悪縁”そのもの。

夫とはいえ養父の”部下”である家康を心の中で見下していたのか、互いに心を開くことができなかった上に

家康が信長と同盟すると”武田家と内通している”疑いを立てられ、息子の信康とともに処断されてしまいましたとさ。


・・・と、様々な夫婦を見てまいりましたが、最後はこの方にコメントを頂きましょう。

”生涯独身”の信念を貫き通した末に養子たちの争いを招き、果ては”女性説”まである上杉謙信さんにとって、『夫婦』とは何でしょうか。


謙信 『うるせぇよ。』


では、また。

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