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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】”大坂城”はいつから”大阪城”になったのか? 調べてみたら色々出てきた。

こんばんは。

今朝の新聞を読んでいたら、『大坂』と『大阪』の違いについて書いている本の広告が出ていました。

戦国時代に詳しい方には常識なのかもしれませんが、現在の『大阪』という地名はかつては『大坂』と書かれていました。

1614~15年に徳川家康が大軍を率い、真田信繁(幸村)が大活躍した戦いも『大坂冬の陣・夏の陣』と書くことが一般的です。

しかし、その本の著者は広告の中で『昔の大阪のことを”大坂”と書くのはやめよう』という主張をしているようでした。

本そのものを読んだ訳ではないので何とも言えないのですが、気になったので詳しい経緯を調べてみました。


いきなり歴史とは関係ない切り口ですが、そもそも”坂”と”阪”はどちらも「傾斜のある地形」を表す”双子”のような漢字で

戦国時代から江戸時代ごろまでは、文書や手紙などで使うのは”大坂”でも”大阪”でも問題無かったらしいのです。

ただ、当時の文献などでは”大坂”と書いてあることがほとんどで、現在と同じ”大阪”が使われることは少なかったそう。

その傾向にならって、歴史(特に明治維新以前)の話題で”大阪”という地名が”大坂”と書かれがち、という現象が生まれました。


そんな”大坂”の優位が逆転したのは、江戸時代も後期になってから(おおよそ1800年頃)。

『大坂の”坂”という字は、”土に返る=死ぬ”を連想して縁起が悪い』という意見が世の中に広まったから、とか

幕末の時代に『”坂”という字が”武の謀”を連想させ、政治的に問題がある』とされたから、とか

その理由には諸説あるのですが、最終的には明治元年に『大阪府』が設置されたことにより、”大阪”が正式な表記となりました。

それでも庶民の間に定着するまでには時間がかかり、明治10年代頃までは”大坂”の字も使われ続けたと言われております・・・


で、大阪城についても『どちらが正解でどちらが間違い』ということは言えないにしても、歴史ファンの間では

『江戸時代までの話題では”大坂城”、明治時代以降の話題では”大阪城”』と使い分けている人が多いように思いました。

ちなみに、”ネットの百科事典”ことウィキペディアでは項目名が『大坂城/大阪城』と併記されていて

「どちらが正しいか間違いかは問題にしない」と言われているような、ネット社会ならではの配慮が伺えました。

ブログ主としては、戦国ネタでは”大坂”を使った方がしっくりくるので、今まで通りで行きます。 ”大阪”派の皆様、どうかご了承を。


では、今日はこんなとこで。

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