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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【関心事】テレビで見てなきゃ知らなかった、山陰の”珍名さん”第2弾。

こんばんは。

今日は、朝食をとっていた時に偶然見ていたテレビ番組から、ネタを引っ張り出します。

その番組で『あなたは読めますか? 全国各地の珍しい苗字』という企画があって、鳥取からも1つ出題されていました。 こちら。


 さん


・・・って、読めるか読めないか以前に『こんな字は人生で初めて見たよ』という方も多いかもしれません(当然ブログ主もです)。

しかしながら、この苗字が生まれたエピソードが紹介されると、(自称)歴史好きとしては食いつかざるを得なかったのですよね・・・

残念なことに(!?)ブログ主が一番好きな戦国時代からは少しズレるのですが、興味のある方は答え合わせも兼ねて少々お付き合いください。


時は今からおよそ700年前、鎌倉時代の末期。

当時の日本における政権・鎌倉幕府に反感を抱き、その打倒を狙って計画を練っていた後醍醐天皇

秘密にしていたはずの計画が漏れたために幕府の討伐軍を迎え撃つハメになり、あえなく捕らえられ隠岐の島(島根県)に”島流し”となります。

しかし、この困難にもへこたれない後醍醐天皇はわずか1年後に隠岐を船で脱出、対岸の伯耆国(現在の鳥取県西部)に流れ着いた際に

近くの大きな屋敷にかくまってもらうよう頼み、その屋敷の主人は屋内の目立たない場所に隠れ場所を作ってしばらくかくまったそうです。

もちろん天皇を捕らえるため追手の役人(?)もこの屋敷を捜索しましたが、肝心の隠れ場所は『これは鶏の”ねぐら”だ』と説明して中を見せませんでした。

そのうち、地元の有力武士だった名和長年(なわ・ながとし)が後醍醐天皇への協力を表明し、天皇の一行は名和氏の城に移ることになりますが

身の危険をかえりみず自分をかくまってくれた屋敷の主人に対して、後醍醐天皇はこのように言葉をかけたそうです。


『よくぞ私を助けてくれた。 感謝の証として、これからお主の一族は”塒(ねぐら)”の姓を名乗るがよい。』


それからおよそ700年、この”塒(ねぐら)”という苗字は脈々と受け継がれ、現在では鳥取県内を中心に全国に(推計)20名ほどの”塒さん”がいるそうです。


・・・という逸話がテレビ番組で紹介されていたのですが、ブログ記事にするためにもう少し掘り下げたいと調べたところ、こんな事も分かりました。

・ この屋敷の主人には、もともと『戸屋(とや)さん』という苗字があった。

・ ”塒”という字も、当時は「とや」と読まれていた(「ねぐら」は明治時代以降に名乗るようになったらしい)

・ その上、”塒”という字には「鳥の小屋」という意味が当てられている

・ 江戸時代の末期に、鳥取藩がこの故事を後世に遺そうと、この屋敷の前に石碑を建立した

・ 某放送局の”落語家さんがぶっつけ本番の旅をする番組”で、この屋敷と主人の子孫が紹介されたことがある


上から3つを考えると、後醍醐天皇が単なる”思い付き”で苗字を与えたわけではなかったのでは・・・という推測もできるのですが、いかがでしょうか。

ともあれ、偶然知る事になった山陰の”珍名さん”第2弾、皆様にも知って頂きたく記事にしてみました。 ちなみに第1弾は『美柑(みかん)さん』


では、今日はこのへんで。

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