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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】戦国時代の胎動~『なるはや』戦国・1章
1章では、日本が戦国時代に入ったきっかけを見ていきます。

戦国時代の前は、足利尊氏から始まる室町幕府が日本を治めていました。

室町幕府は、日本各地の国(※1)ごとに領地の管理者として「守護(しゅご)」を置き、

有力な武士の一族たちにその任を割り当てて日本を治めていました。
※1:当時の日本は、60余りの国に分けられていた

守護は本来『幕府に任ぜられた役職』という枠を出ない存在でしたが、

彼らは次第に自分の領地内の武士や農民を自らの支配下に置くようになり、

自前の財力や兵力を蓄えるようになります。

こうした存在を「守護大名(しゅごだいみょう)」と呼びます。


幕府や将軍の権力が安定しているうちはそれでも良かったのですが、

それらが衰え始めると、守護大名の影響力が政治を左右するようになります。

その最たる例といえるのが、1467年に始まった「応仁・文明の乱(おうにん・ぶんめいのらん)」(※2)です。
※2:「応仁の乱」とも呼ばれるが、近年ではこちらの表記が多いようです


当時の室町幕府将軍・足利義政(あしかがよしまさ)はもともと政治に無関心で、

跡継ぎについても、はじめは弟に後を継がせようとしましたが

後に息子が生まれたことで態度を変え、幕府に混乱を引き起こしました。

これに管領(かんれい、将軍の補佐役)を務めた畠山(はたけやま)家・斯波(しば)家などの内部抗争、

さらには有力な守護大名同士の対立感情などがからみあい、

全国の武士を巻き込む争いに発展してしまうのです。


東軍の大将・細川勝元(ほそかわかつもと)と西軍大将・山名宗全(やまなそうぜん)を中心として

京都の街をはじめ、日本各地で両軍に分かれた武将たちが戦闘を繰り広げました。

この戦いは両軍の大将が病死し、さらに義政の跡継ぎが決まったあとも続き、

最終的にはどちらが勝ったのかすらはっきりしないまま、終息していくことになります。


結局、足かけ11年にわたる戦いで京都の街は焼け野原になり、

京都に滞在していた守護や公家が自分の領地へ引き揚げたり、

守護代(しゅごだい、守護の代理として領内統治にあたった武士)が

守護の権限を奪って領主となる事例が相次ぐようになりました。


こうして発生した不安定な時代の空気が、

「戦国時代」と呼ばれる時代へとつながっていきます。


次回  第2章 戦国大名の出現 を読む





コメント
▼この記事へのコメント<(あれば表示)
はじめまして
面白かったです。
続き気になるのでまた拝見させていただきます!
2015/11/14(土) 17:23:07 | URL | byニカ (#-) [ 編集]
Re: はじめまして
ニカ さん
はじめまして!
コメントありがとうございます。

> 面白かったです。
> 続き気になるのでまた拝見させていただきます!
早速感想をいただき、ありがとうございます。
私はゲームから入った戦国時代ファンなので、
研究者や愛好家のような細かい話はできませんが
知識や考えを自分の言葉で発信できたらと思っています。

これからもよろしくお願いいたします。
2015/11/15(日) 18:46:08 | URL | byまこな。 (#-) [ 編集]

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