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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】戦国大名の出現~『なるはや』戦国・2章~
今回は、「戦国大名」という存在について見ていきます。

前回紹介した「応仁・文明の乱」以降、幕府の支配体制は弱体化の一途をたどります。

同時に将軍の権威も低下し、周囲の有力者による泥沼の権力闘争に巻き込まれていきます。


1493年、幕府の重臣であった細川政元(ほそかわまさもと、勝元の子)が

当時の将軍・足利義材(あしかがよしき、義政の弟の子)を京都から追放し、

替わりに『かいらい(※1)』の将軍を擁立して、政権を掌握してしまいます。
※1:漢字で書くと『傀儡』。「他者に操られるだけの存在」という意味

この事件を「明応の政変(めいおうのせいへん)」といい、

戦国時代の始まりを象徴する出来事の一つとなります。


というのも、政元は後に自身の跡継ぎ争いがもとで暗殺されますが、

この一件以来、同様の権力闘争を勝ち抜いた重臣や守護大名などが

自分に都合のいい『かいらい』の将軍を擁立して実権を握るという流れが定着し、

幕府や将軍は完全に「有名無実」の存在となっていったからです。


このような状況の中、守護や守護代、ひいては国人(こくじん、地元の小規模領主)に至るまで

各地で実力を持つ者も「幕府の支配」という枠を離れ、独自の領国経営に乗り出しはじめます。

彼らは領内の徴税や土地開発、法律(分国法)の整備などを行い、勢力基盤を強化していきます。

こうして全国各地に誕生した独立勢力を「戦国大名(せんごくだいみょう)」と呼びます。


戦国大名となったのは、守護や守護代だけではありません。

例えば、もとは僧侶とも商人ともいわれる斎藤道三(さいとうどうさん、※2)は

美濃(みの、現在の岐阜県南部)のある武将の家に仕え、政敵を次々に倒したのち

最後は守護の土岐(とき)氏を追放し、戦国大名として名乗りを上げました。
※2:道三はその生涯のうちに、松浪庄五郎・長井規秀・斎藤秀龍など多くの名前を名乗っています

手段を選ばぬ成り上がりぶりから「美濃の蝮(まむし)」と恐れられた道三ですが、

最近の研究では、父親との二代にわたる業績であったという説が有力となっています。


こうして、社会的な地位よりも実力がものを言う時代が到来したのです。

一方、京から遠く離れた関東の地でも、一人の英雄が出現しようとしていました。


次回  第3章 関東地方の動乱 を読む

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