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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】織田信長の出現~『なるはや』戦国・5章~
いよいよ戦国時代の主役ともいえる人物の一人、織田信長(おだのぶなが)が登場します。

その生涯はドラマやゲームなどで語りつくされている感もありますが、

改めてその足取りをたどっていきたいと思います。

この章では、「桶狭間(おけはざま)の戦い」までを見ていきます。


1534年、尾張(おわり、現在の愛知県)の守護代・織田氏の一族の家に生まれた織田信長は、

若いころから常識外れな言動を繰り返し、周囲から「うつけ(馬鹿者)」と呼ばれていました。

信長の世話役だった平手政秀(ひらてまさひで)は、信長の奇行を諌(いさ)めるために自害したともいわれています。


信長が生まれた織田家と尾張の情勢について、もう少し掘り下げておきます。

尾張は、もともと斯波(しば)氏が守護として治めていましたが、

応仁・文明の乱で斯波氏が衰退すると、守護代の織田氏が台頭するようになります。

守護代の織田氏にも2つの家があり、信長が生まれた織田家は

そのうちの一方、清洲(きよす)織田家に仕える奉行(ぶぎょう)という役職の家でした。

同じ苗字や似た名前の人物が多く、人間関係はかなりややこしいのですが、

要は信長が尾張を統一するためには、これらを全て倒さないといけなかった、ということです。


さて、父・信秀(のぶひで)の死後、織田家の家督を継いだ信長は

上司にあたる尾張守護代・織田信友(おだのぶとも)との戦いや

信長の「うつけ」ぶりに反発し、弟の信勝(のぶかつ、信行とも)を支持して

信長を家督の座から下ろそうとする一派との抗争を経て(最終的に信長が信勝を殺害する)、

1559年ごろには尾張一国をほぼ(※)統一することに成功します。
※ほぼ、というのは国境付近には今川氏の勢力が伸びてきていたため


その直後の1560年、駿河(するが)・遠江(とおとうみ)等を領有する大名、

今川義元(いまがわよしもと)が大軍を率いて尾張へ侵攻を開始します。

兵力に劣る織田軍は前線の砦を陥落させられるなど苦戦を強いられますが、

信長はわずかな手勢を率いて桶狭間(おけはざま)にいた義元の本陣へ突撃を敢行し、

天気の急変も幸いして、義元を討ち取ることに成功します。

これが信長が戦国の世に出るきっかけとなった「桶狭間の戦い」です。

この窮地を乗り切った信長は、尾張から天下を目指して踏み出していくことになります。


次回  第6章 織田家の急成長 を読む

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