FC2ブログ
そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】秀吉の天下統一~『なるはや』戦国・9章~

『なるはや』で知る戦国時代、ついにあと2回まで来ました。

今回は、「本能寺の変」で織田信長が倒れた後の話になります。

この時代の主人公は、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)です。

農民(または足軽)の出身ながら信長にその才能を見いだされ、

織田家で出世していった秀吉が、ついに戦国時代の主役に躍り出ます。


中国地方の毛利氏と対峙する軍団の司令官として、

最前線の備中(びっちゅう、現在の岡山県)高松城で信長の死を知った秀吉は、

すぐに毛利軍と和睦すると、脅威的な早さで近畿へと戻ります。(中国大返し)

近畿の織田家臣も味方につけ、またたく間に明智光秀を打ち破りました。(山崎の戦い)

光秀は戦場から落ち延びる途中で、命を落としてしまいました。


謀反人・光秀を自ら討ったことで織田家中での発言力を増した秀吉は、

1583年に尾張・清洲城で行われた織田家の跡取りを決める会議(清洲会議)で

自身が推薦する信長の孫・三法師(のち秀信、当時まだ3歳)を跡取りにつけ、

その後見人になることで織田家の勢力を我がものとしていきます。


これに反発した信長の子・信孝(のぶたか)や織田家重臣の筆頭格・柴田勝家(しばたかついえ)らと対立しましたが、

賤ケ岳(しずがたけ)の戦いで勝家の軍を破り、信長の後継者としての立場を固めました。

さらに、信長の同盟者だった徳川家康との関係をも解決します。

家康は信長の子・信雄(のぶかつ)らと結んで伸長する秀吉との対決を決意し、

局地戦では優位に戦いを進めましたが(小牧長久手の戦い)

秀吉は水面下で信雄と和睦するなどして、家康の行動を封じこめたのでした。


こうして、名実ともに織田信長の後継者となった秀吉は朝廷に接近(※)、

朝廷から「関白」の地位と「豊臣」姓を与えられ、信長が果たせなかった天下統一へ乗り出します。
※秀吉は京都を追放され毛利家にかくまわれていた将軍・足利義昭の養子となって
  将軍職を手に入れようとしたが、義昭に断られたという


豊臣軍は中国地方の毛利家、四国の長宗我部家、九州の島津家、関東の北条家、奥州の伊達家など

全国の諸大名を次々に下し、ついに1590年、秀吉による天下統一が完成しました。


その後、秀吉は大陸への進出を目論み、明(みん)への侵攻を目指して

朝鮮半島へ全国の大名で編成した軍勢を送ります。

しかし、2度の作戦(文禄の役、慶長の役)はいずれも不調に終わり、

1598年、秀吉は幼い跡継ぎの秀頼(ひでより)を残して病死します。


この時を待ちに待っていた男がいました。

そう、徳川家康です。

今川義元や織田信長、そして豊臣秀吉の風下に立たされ続けた「忍耐の人」が、

『最後の勝利者』になるべく、大きな戦いを仕掛けるのです。


次回、ついに最終回です。 お楽しみに!


次回  終章 戦国乱世の終焉 を読む

前回  8章 天下布武の結末 へ戻る






コメント
▼この記事へのコメント<(あれば表示)

■ コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する