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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】真田家と武田家

こんばんは。

さて、今日からは昨日の予告通り

来年の大河ドラマ「真田丸」の主人公である

真田幸村(さなだ ゆきむら)について書いていきます。


真田幸村が歴史の表舞台にその名を知らしめたのは

戦国時代最後の戦いともいえる「大坂夏の陣」です。

今からちょうど400年前の1615年にあった戦いで、

幸村は兵力に劣る豊臣軍の一員としてこの戦いに臨み、

徳川軍の総大将・徳川家康をあと一歩で討ち取るかという

活躍ぶりを見せましたが、最後は討ち死にしました。

華々しく戦い、そして儚く散った幸村の姿は

当時の人々から後世に至るまで語り継がれ、

「日本一の兵(つわもの)」と称えられて、現代でも人気を集めています。


しかし、幸村が世にその名を知らしめるまでには

真田一族の長い戦いの歴史がありました。

このブログでは、そのあたりを整理しておきたいと思います。


真田家が戦国時代の歴史に登場するのは、

幸村の祖父である真田幸隆(さなだ ゆきたか)の頃です。

大坂夏の陣から、およそ70年ほど前になります。


もともと真田家は、信濃(しなの・現在の長野県)の国の中ほどに小さな領地を持つ存在でした。

この頃、信濃の北部では村上義清(むらかみ よしきよ)という武将が勢力を拡大し、

南部からは隣国・甲斐(かい、現在の山梨県)を治める武田家の勢力が伸びてきていました。


この両勢力に挟まれる形になった真田家は、一度は村上家に領地を奪われますが、

のちに幸隆が武田家の当主・晴信(はるのぶ、後の信玄)に仕えるようになると、

武田軍の一員として村上軍に立ち向かうことになります。


「戦国時代最強」とも言われている、信玄率いる武田軍ですが、

実はこの村上義清の軍には手を焼いており、合戦では2回も敗れています。

信玄がまだ若かったのもありますが、義清もかなりの戦上手だったようです。


そこで、幸隆は信玄がてこずった義清に対し、謀略を駆使して

軍勢を内部から崩壊させ、最終的には義清を信濃から追い出すという手柄をたてました。

これにより、信濃のほぼ全域が武田家の支配下に入ることになったのです。

もちろん、幸隆も真田家の領地を回復することができました。

(後に義清は越後の上杉謙信を頼り、これが川中島の戦いのきっかけになったとされています)


この後も、幸隆はその優れた知略をもって信玄を補佐し、

信玄からも厚い信頼を置かれるようになりました。


しかし、信玄が病に倒れ、その跡を継いだ勝頼(かつより)が

長篠の戦いで織田信長に敗れた頃から、真田家の運命も変わりはじめます。

次回は、幸隆の子で幸村の父でもある真田昌幸(さなだ まさゆき)について書きます。

お楽しみに。 (コメントには明日お返事しますね!)






コメント
▼この記事へのコメント<(あれば表示)
武田家と真田家。つながりがあったのですね。そして、関が原へと。戦国時代は生きるか死ぬかですから、いつも背水の陣で知恵が生まれていった時代でしょうから、確かに面白い時代ですね。当の本人は面白いということはなかったと思いますが。そうか、私は今が人生の戦国時代かもしれないなあと。(笑)
2015/11/29(日) 06:59:40 | URL | by丹後のきんちゃん (#-) [ 編集]

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