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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】真田家と徳川家康

こんばんは。

今日から12月です。

今年の流行語大賞が発表されましたね。

大賞は「トリプルスリー」と「爆買い」だったそうです。

皆さんの周りでは、聞くことがあったでしょうか?


さて、話題はガラリと変わって戦国時代の話。

昨日に続いて、真田幸村(ゆきむら)とその一族の歩みを見ていきます。

幸村の父・真田昌幸(まさゆき)は武田家に仕えていましたが

武田家が織田家に滅ぼされるとその配下に置かれ、

織田信長が本能寺で倒された後は北条家に降りました。

そして、ここからは真田家にとって最も因縁深い相手となる

徳川家康が関わってきます。 その過程を見ていきましょう。


以下、追記に続きます。
‐‐‐‐‐‐





戦に敗れて北条家に降伏した真田昌幸でしたが、

それまでに得ていた領地はそのまま残りました。

この時、真田家は本拠の信濃・上田城のほかに

上野(こうずけ、現在の群馬県)にも城を持っていました。

この状況で両者に介入してきたのが、徳川家康です。


家康は本能寺の変の後、もともとの領地に加えて

武田家の領地だった甲斐や信濃にも影響力を伸ばしていました。

家康は、同じく信濃を狙う北条家をけん制するため

真田家に協力をもちかけ、昌幸もこれに応えて徳川方につきます。


ところが、後に家康は北条家と同盟を結びます。

しかも、その条件として「(真田の領地を含む)上野は北条家のものとする」という

内容を勝手に決めたため、真田家は家康に対して反感を持ったのです。

昌幸は即座に家康の下を離れ、越後の上杉景勝(うえすぎ かげかつ、謙信の養子)を頼ります。

一方の家康も、真田家を力ずくで従えるために軍勢を信濃へと送りました。


徳川軍7000は、昌幸と2000の兵が守る上田城を囲みます。

兵の数では徳川軍が圧倒的に優勢でしたが、真田軍には地の利がありました。

さらに昌幸の巧みな用兵もあって、次第に徳川軍は疲弊していきます。

そこに、別の城から救援に来た昌幸の長男・信幸(のぶゆき)の軍も加わり、

戦意の低下した徳川軍に襲いかかったため、徳川軍は総崩れとなりました。


この合戦は、家康にとってみれば完全な誤算となり、それどころか

「真田あなどり難し」という印象を植え付ける出来事となったのです。

これ以降も、真田家と家康の因縁は続いていくのですが

それは本編のドラマでのお楽しみ、としておきましょうか(笑い)。


おっと、このまま終わると

「幸村はどこへ行ったんだ!」という声が聞こえてきそうです。

実は幸村は、昌幸が上杉家を頼った時に人質(ひとじち)として

越後の上杉景勝のもとに送られていたのです。

そのため、今回の上田城での戦いには参加していません。

拍子抜けかもしれませんが、幸村の活躍はもう少し後になります。


次回は、そんな幸村に関する小ネタを紹介して

この特集を一旦締めたいと思います。






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