FC2ブログ
そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】続・戦国武将の名前事情。

こんばんは。

今日は昨日の予告通り、戦国武将の名前に関する話題です。

前回お話しした「諱(いみな)」について少し掘り下げます。


「諱」というのは例えば「信長」や「家康」など、現代人の名前に相当する部分です。

会話の中で使うことは失礼に当たる、というのは前回お話しした通りですが、

戦国武将の中にはこの「諱」をよく改名した人物がいる、というお話です。


例えば、越後(えちご、現在の新潟県)などをを治めた上杉謙信(うえすぎけんしん)

歴史に詳しくない方でも、その名前は聞いたことがあるという方が多いでしょうか。

一方、戦国時代が好きな方なら次のような名前も浮かんでくると思います。

「長尾虎千代」 「長尾景虎」 「上杉政虎」 「上杉輝虎」

これらは全て、上杉謙信と同一人物を指します。

なぜ謙信は、こんなにたくさんの名前を名乗ったのでしょうか?

一つずつ、整理して見ていきましょう。


まず最初の「長尾虎千代(とらちよ)」ですが、これは「幼名(ようみょう)」といって

元服(げんぷく、今で言う成人式)を迎える前、子どもの時につけられた名前です。

元服を迎えると、正式な名前である「長尾景虎(かげとら)」となります。


と、ここで「そもそも苗字が違うじゃん! 『長尾』って誰よ!?」と思った方。

そうなんです。 謙信の『上杉』という苗字は、実は他所からのもらいものです。

そして、この「名前をもらう」という行為こそ、戦国時代の特色の一つといえます。


謙信のように苗字までもらってくるのは珍しいケースですが、

「名前の漢字を他者からもらってくる」というのは、戦国時代にはよくあることでした。

これを「遍諱(へんき)」といい、

特に君主や上司から名前の一字をもらうことは、大変な名誉とされていました。


そして、謙信は二度もその「偏諱」を受けていました。

一度目は、関東管領(かんとうかんれい、室町幕府の役職の一つ)であった

「上杉憲政(うえすぎのりまさ)」から「政」の字をもらい、「政虎(まさとら)」。
(このとき、先に述べた『上杉』の苗字も譲り受けています)

そして二度目は、室町幕府将軍「足利義輝(あしかがよしてる)」に謁見し

その際に「輝」の字をもらい、「輝虎(てるとら)」と改名しました。


謙信はもともと室町幕府に対して強い忠誠心を持っていたといわれており、

幕府の要人から名前を頂くことを大きな名誉と感じていたのかもしれません。

そして、最後の「謙信」は法号、つまり出家した僧侶としての名前です。


こうして見ると、戦国武将も好き勝手に名前を変えていた訳ではなく、

その時の政治や社会の状況によって改名をしていた、というのが分かります。

少しややこしいですが、武将の改名の裏にはこうした事情があったというのを

知っておくと、歴史を学ぶのが面白くなるかもしれません。


さて、最後に名前に関する小ネタを一つ。

先ほどの話に出てきた室町幕府将軍・足利義輝ですが

彼は謙信(輝虎)だけでなく、全国各地の大名や武将に名前を譲っています。

譲るというより、「売りつける」と言った方が正しいでしょうか。


実はこの時代、幕府は収入の減少で深刻な財政難に苦しんでおり、

それを解決する方法の一つとして義輝は、自分の名前である

「義」や「輝」の文字を与える見返りに、相手の武将から金銭を受け取っていたというのです。

(この方法は、義輝の父・足利義晴の代にも行われたといいます)


もちろん、(名目上は)幕府の最高権力者たる将軍の名前の一字を譲り受けることは

表向きには大変名誉なことで、その武将のステイタスにもなりますので、

売りつけられた側にもメリットが無いわけではなかったのですが、

お金のために自分の「名前」まで切り売りするとは、何と言っていいものやら…。


戦国武将の名前にまつわるお話は、ひとまずこのへんで。

また、何か思い出したら書きたいと思います。  それでは。


にほんブログ村





コメント
▼この記事へのコメント<(あれば表示)
今でも養子迎える事が有るけど、そういう話なんじゃないですか?
確か、近藤勇も元は郷氏で、剣術の先生に気に入られて近藤の家を継ぐ事になったはず。
2015/12/13(日) 00:07:21 | URL | by周 (#xkrNmXd.) [ 編集]
ちょっとしたことですが、こういうのが面白いんですよね。上杉謙信の凄さがなんとなくわかるような気がしてきました。
2015/12/13(日) 18:32:45 | URL | by丹後のきんちゃん (#-) [ 編集]
お返事です
コメントありがとうございます。
簡単にですが、お返事させていただきます。

>周 さん
続けてのコメントありがとうございます。
謙信が上杉憲政の養子に入ったかと言われると
確認がとれなかったのですが、結果的に関東管領・上杉家の
家督を継いでいるので、その可能性はあると思われます。

もっとも、この時の上杉憲政は北条家に城を追われて
いわば流浪の状態だったので、謙信の人格を見込んで、というより
助けてもらえるなら誰でも良かった、という事かもしれませんが。
(憲政は謙信の前に常陸の佐竹氏を頼って、断られたとか)

近藤勇の話は、聞いたことがあるようなないような…。
ただ、養子をとるのは割とよくある話、というのは同感です。
謙信自身も、実子がいなくて養子をとっています。
ただ、これが後にお家騒動に発展するのですが…。
それについても、いずれ詳しく書いてみたいですね。


>丹後のきんちゃん さん
いつもありがとうございます。

上杉謙信は、「軍神」と呼ばれるほどの強さを誇った一方で
人間らしさを感じさせる逸話も多く残っているんですよね。

城を追われた武将を保護して、彼らの敵と戦ったかと思えば、
配下の扱いに悩んだ挙句、城を抜け出して寺に籠ってしまったり
実は大の酒好きで、人生を酒に例えた詩を残したりしています。
そのギャップが、後世の人を惹きつけているのかもしれませんね。

余談ですが、「謙信は女性だった!?」というスゴイ説まであります。
こういう謎に包まれた部分も含めて、謙信については
深く掘り下げた記事を書いてみたいと思っています。
まだ先になるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。
2015/12/13(日) 20:01:51 | URL | byまこな。 (#-) [ 編集]

■ コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する