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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】桶狭間の戦い
どうも、まこな。です。

今日は、戦国時代のお話です。
※初めての方は、記事を読む前にこちらをご覧ください。

1560年の5月19日、

尾張(おわり、現在の愛知県西部)国で「桶狭間(おけはざま)の戦い」がありました。

尾張を支配下に置いていた織田信長が、

駿河・遠江(するが・とおとうみ、合わせて現在の静岡県の大半)などを治め、

尾張に攻め込んできた今川義元(いまがわよしもと)の軍勢を迎え撃ち、

義元を討ち取った戦いです。

この戦いには、三河(みかわ、現在の愛知県東部)の出身で

当時は今川家の支配下に置かれていた

徳川家康(当時の名は松平元康)も参加していました。


信長は、わずか3千の軍勢で敵陣に奇襲をかけ、

総勢およそ2万の今川軍を打ち破ったと言われています。

(双方の兵力や信長のとった戦法については諸説あります)

一般的に合戦においては兵力が多い方が有利なのは確かで、

これだけの兵力差をひっくり返した戦というのは他に例が少なく、

その点でも信長が世に出るきっかけとなった戦として知られています。


一方、思わぬ形で主を失った今川家はその後、

家康に三河で独立され、家臣の結束力も衰えたことで弱体化し、

この敗戦から10年もたずに滅びてしまいました。

義元の跡を継いだ今川氏真(うじざね)は、そのような状況でも和歌や蹴鞠にうつつを抜かし、

あげく家を滅ぼしたことから「凡将」と呼ばれることも多いのですが、

今川家滅亡の際には落ち延びて諸国を転々とし、

後に信長の前で蹴鞠の腕前を披露したというエピソードも残っています。


桶狭間の戦いに関しては、現在に至るまで

「桶狭間古戦場」と名のつく場所が2か所残っていたり、

今川義元の進軍の目的が上洛(京へ兵を進めること)であったのかどうか、

信長の作戦は本当に奇襲だったのか、などの議論がされてきました。


当然、時間をさかのぼって答えあわせをするのは不可能ですが、

当時の文献や記録を読みこむことで真実に近づこうとすることはできます。

また、小説やドラマ、ゲームといった自分にとって感情移入しやすい題材から入るのも、

歴史への興味や知識をつけるにはとても効果的な方法です。

(これらは作り手独自の解釈や脚色も入るので、すべて鵜呑みにするのは良くないですが)

私もまだまだ勉強中ですが、自分の文章を通して

戦国時代に興味を持つ人が増えてくれるとうれしく思います。


ちなみに、明後日5月21日にも大きな戦いがあったので、

記事を書くことを予告しておきます。

それでは、今日はこのへんで。




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