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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【真田丸】第4話視聴。
こんばんは。

月曜恒例「勝手に『真田丸』レビュー」の時間です。

昨日放送された第4話のサブタイトルは「挑戦」

織田信長に召し出され、緊張する真田信繁(幸村)の目の前で

信繁の父・昌幸徳川家康との頭脳戦・心理戦が展開されました。

これからの両者の激しい戦いを予感させるような演出でしたね。


それでは、まずは今回のお話を整理。

・織田信長の命により諏訪・法華寺に入った信繁と昌幸は、

 信長の同盟者である徳川家康と遭遇する。

 信繁にとっては、これが後に宿敵となる家康との初対面であった。

 家康はかつて三方ヶ原の戦いで「武藤喜兵衛(むとうきへえ)」という

 武田軍の武将に打ち負かされたことを話すが、昌幸は「そんな者は知らない」と切り返す。


・昌幸は、以前自身が謀略を駆使して織田家へ渡らせた上杉家への書状について

 信長の長男・信忠(のぶただ)の詰問を受けるが、言葉巧みに弁解する。

 これに対し、同席した家康も疑問を唱え、昌幸に詰め寄る場面もあったが

 昌幸は一貫して動じず、最終的に信長との面会と織田家への臣従を果たす。

 初めて見る信長の姿に驚きと感銘の色を隠せない信繁だったが、

 信長が明智光秀を厳しく折檻する様子を偶然目の当たりにし、言いようのない感情を抱く。


・一方、真田の郷に残った信幸は落ち着かない様子を見せる。

 そんな中、姉のや堀田作兵衛の妹・らがこそこそと動いているのを見て、

 郷に逃れてきた松の夫・小山田茂誠を今もかくまっているのでは、と疑う。

 業を煮やして作兵衛の家に乗り込み、松を問い詰める信幸だったが、

 高梨内記の娘・きりが機転を利かせ、最悪の事態は回避される。


・織田家への臣従を認められた真田家だったが、その条件は厳しいものだった。

 一つは上野(こうずけ)の沼田・岩櫃(いわびつ)などの所領を織田家に差し出すこと。

 もう一つは織田家の本拠・安土(あづち)城に人質を出すことである。

 郷に戻った昌幸は親族や家臣らを説得しながら、乱世の厳しさを痛感する。

 安土への人質はが行くこととなり、信繁は供をして安土へと向かう。

 (信繁の知恵により、茂誠も素性を隠して松に同行することとなった)

 信繁らが安土に着いたその夜、時代は大きな転換点を迎えようとしていた…。



毎回思うのですが、なかなかうまくまとめられないですね。

ドラマを見ていない人や、今回見逃してしまった人にも伝わるように、と

心掛けているつもりなのですが、全てのシーンを再現するのは不可能ですし、

要点だけをかいつまんでお話するというのも、難しいものです。

必要以上に私の主観が入るのも、読者が求めるものとは違うと思いますし…。


私の場合、どうしても歴史の大きな流れの部分に意識が行ってしまうので、

登場人物の心情とかは文章で表現しきれない部分が多いのです。

そこがドラマの面白いところだとは思っているので、もどかしいですけどね。

気になる方は、土曜日の再放送をチェックしてみてください(←逃げ)


追記では、今回の内容に関する裏話的な話題を少々。

知りたい方は、「続きを読む」からどうぞ。


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さて、今回のバックヤードは戦国時代好きならではの小ネタをいくつか。

「知らんかった!」という方も「そんなの常識だ~」という方も、どうぞお付き合いを。


まず、家康の口から出た「武藤喜兵衛」という名前。

もうお気付きだと思いますが、これは真田昌幸のことです。

昌幸が武田信玄に仕えていた頃、信玄から与えられた名前といわれています。

そのいきさつを紐とくと、昌幸と家康の因縁が見えてきます。


真田家は、昌幸の父・幸隆(幸綱とも)の代から武田家に仕えていました。

幸隆も知略に優れた武将で、信玄のもとで活躍したとされています。

そして、幸隆の三男であった昌幸も二人の兄とともに信玄に仕え、

父親譲りの知略を発揮して武田家を盛り立て、信玄に大変気に入られたそうです。

(信玄は昌幸のことを「自分の両目のように、戦に不可欠な存在」と評したという)


その証として、昌幸は武田家臣の中でも由緒ある家柄の「武藤」姓を与えられ、

「武藤喜兵衛」として各地の合戦に参戦します。

ドラマで家康が言っていた通り、三方ヶ原の合戦(1572年)当時は

昌幸が「武藤喜兵衛」を名乗った時期になっています。


その3年後の1575年、信玄亡き後の武田軍を率いる武田勝頼が

長篠の合戦で織田・徳川連合軍に大敗を喫します。

この戦いで、昌幸の2人の兄がともに戦死してしまい、

幸隆も前の年に亡くなっていたため、真田家は昌幸が継ぐことになります。

これを機に「武藤」姓から「真田」姓に戻り、「真田昌幸」となったのでした。

昌幸にとって、家康は「武藤喜兵衛」という名を知らしめた相手だったのと同時に、

その「武藤喜兵衛」の名を捨てるきっかけにもなった存在というわけですね。


思い返すと、これは「諏訪」姓から「武田」姓に戻った勝頼の境遇とよく似ています。

(勝頼の場合も、信玄の後を継ぐべき兄の死によって武田家に戻ってきました)

昌幸が外様(とざま、ここでは甲斐の外から来た家臣)の身でありながら

勝頼と武田家を守るために必死になったことと、関係があるのかもしれません(想像ですが)。


もう一つ、気になるシーンについての小話。

織田信長が家臣の明智光秀を厳しく折檻するシーン。

信長は光秀に「もう一度申してみよ!」「お主が何をした!」と何度も怒鳴ります。

信長をここまで怒らせた光秀の失言(?)とは、どんなものだったのでしょうか?


実はこれも、歴史好きには割と有名なエピソードとして残っています。

武田家討伐が無事に終わり、戦勝に気を良くしていた信長に対して

光秀がこう言ったと言われています。

「我々も、骨を折った(苦労した)甲斐がありました。」

この何気ない一言が信長の逆鱗に触れ、ドラマでのシーンにつながるのです。


もちろん、これは後の「本能寺の変」につなげるために

「光秀が信長を恨んでいた」と印象つけるための作り話である可能性もあります。

他にも、自分が担当した家康の接待に不手際があったことを非難されたとか、

「(自分より立場が下の)秀吉の応援に行け」と命じられてプライドが傷ついたとか、

信長が何かにつけて光秀の恨みを買っていた、というエピソードは数多くあります。

当時の書物には記述が無い以上、作り話と片づけられても仕方ない話ばかりなのですが、

これらを理由に「光秀が信長を襲ったのも無理はない…」と考える人も多かったようです。

私個人としては、光秀が個人の感情だけで謀反を起こしたようには思えないのですけど…。


とにかく、それから間もなく光秀は謀反を起こし、信長は本能寺の炎と消えました。

長男の信忠も運命を共にし、織田家に非常事態が訪れます。

そうなると、次回は羽柴秀吉が登場してくるでしょうか。

(今回は名前だけでしたが、直江兼続もそろそろ出てきますかね?)

主を失った安土城は、信繁と松は、そして真田家はどうなるのでしょうか?

それは、来週の第5話で。

今日もお読みいただき、ありがとうございました。


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