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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【真田丸】第6話視聴。
皆さんこんばんは、まこな。です。


さ~て、今週の『真田丸』は?

・松、跳ぶ
・北条、動く
・昌幸、吠える


の3本でした!


「・・・何があったんや?」と思われた方、すみません。

さすがにレビューも6回目となると、

少しばかり味付けを変えてみたくもなるものでして・・・。

今回は、某・長寿アニメの次回予告風に仕立ててみました。


では、これらの説明を兼ねて、今回のあらすじ。

言い忘れましたが、サブタイトルは『迷走』です。


『松、跳ぶ』

・本能寺の変の後、明智勢に占拠された安土城を間一髪で脱出した

 真田信繁(幸村)らであったが、明智の追手に見つかってしまう。

 信繁の姉・松は追い詰められた挙句、一人で琵琶湖(?)に飛び込んでしまった。

 必死の捜索も虚しく松は行方知れずとなり、悲嘆する信繁と小山田茂誠。

 真田の郷に帰ってもその事を引きずり、自分を責め続ける信繁だったが

 信繁を慕う堀田作兵衛の妹・梅の言葉に励まされ、前を向こうとする。


『北条、動く』

・一方、信長の死が知れ渡ったことで、信濃を巡る状況も混沌の色を濃くしていた。

 上杉攻めに備えていた織田家臣・森長可(ながよし)などが信濃から撤退する中、

 上野・厩橋(まやばし)城の滝川一益も、明智光秀を討つべく出陣の支度を進めていた。

 真田昌幸は「留守中は自分が北条から上野と信濃を守る」と豪語するが

 昌幸を信用できない一益は、真田家から人質を出すよう昌幸に命じる。

 同時に、昌幸は弟の信尹を北条氏政のもとに送って時間稼ぎを試みる。

 氏政は表向きは了承しながらも、すぐに上野の奪回と信濃への進出を命令する。

 信濃の国衆も北条に味方することに同調し、真田家の立場は一層厳しくなった。


『昌幸、吠える』

・滝川家の沼田城への人質には、昌幸の母・とりが送られることになった。

 高梨内記の娘・きりもその世話をするために沼田城へ同行する。

 ところが、一益の出陣が直前に迫った6月13日、事態は急変する。

 毛利攻めで中国地方に行っていたはずの羽柴秀吉が、光秀を破ったというのだ。

 これで、一益が光秀を破って織田家中の主導権を握るというシナリオは崩れた。

 そればかりか、信濃を狙う北条軍は上野の国境付近まで迫ってきている。

 「味方した者がみな運を逃す。わしは疫病神か?」と自嘲する昌幸だったが、

 「この信濃で、父の子として生まれた事を誇りに思う」と語る信繁の言葉に背中を押され、

 「真田は誰の下にもつかぬ。信濃は誰の手にも渡さぬ!」と家中の者に宣言する。

 「大ばくちの始まりじゃ!!」  『策士・真田昌幸』が覚醒した瞬間である。

 その最初の一手は、北条と滝川の争いに乗じて旧領の岩櫃・沼田を奪回することであった…。



<おまけ・今日の徳川家>

・伊賀越えの疲れが抜けない様子の徳川家康。

 同盟者だった信長の仇である光秀を討つでもなく、

 対北条の援軍を要請してきた一益にも空返事のみ。

 早く出陣したい猛将・本多忠勝がやきもきするのを尻目に、

 参謀の本多正信は「のらりくらり」とやり過ごす家康の肩を持つのだった。



いやー、今回も盛りだくさんの内容でしたね。

他には、第4話で強烈な印象を残した明智光秀が、今回は出番無くそのまま退場…。

秀吉の初登場も1シーン(山﨑合戦の戦勝祝い?)のみで、ほんの顔見せ程度でした。

今後の展開は、映画「清洲会議」を見た方や戦国時代好きの方はご存知かと思いますが

秀吉の躍進で人生が狂った滝川一益の悲哀も描かれるのでしょうか? 気になります。


それと、次回はいよいよ本格的な合戦のシーンが登場するようです。

多くの大河ドラマ好き、戦国時代好きが注目するパートだと思いますので、

迫真の演技と演出を期待したいですね。


と、ドラマ本編の話題はここまで。

今回の追記は、ドラマとは関係無い戦国時代のお話です。

【追記に興味が無い方も、どうぞこちらを。】

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さて、今回の追記では

最近私が興味を持っている戦国武将について書いてみます。


今回の真田信繁(幸村)のように、人気のある戦国武将は数多いですが

「それなりに名前は知られているけど、何をした人かよく分からない」

「歴史上は重要でも、人気のある武将の影でほとんど注目されていない」


という武将も、当然ながら数多く存在します。(『知る人ぞ知る』っていうヤツですね)


そういう武将の中で、今私が特に気になっている人物が2人います。

「足利義輝(あしかが・よしてる)」「足利義昭(あしかが・よしあき)」です。

よく似た名前ですが、それもそのはず、この2人は兄弟です。

そして、「足利」という苗字でピンと来た方も多いでしょう。

この2人は、ともに室町幕府で将軍(征夷大将軍)を務めていました。


室町幕府の将軍で有名なのは、初代将軍の「足利尊氏」や3代将軍の「足利義満」、

そして『応仁・文明の乱』のきっかけを作った8代将軍「足利義政」などですが

義輝は13代目、そして義昭は15代目(最後)の将軍です。


幕府の将軍と言うと、鎌倉幕府の「源頼朝」や江戸幕府の「徳川家康」のように

『数々の戦を勝ち抜いた権力者』というイメージを持たれる方も多いと思いますが、

戦国時代に突入した頃の室町幕府というのは、政権としての基盤が弱まっており、

義輝も義昭も、周囲の戦国大名たちに翻弄される人生を送った人物なのです。


この2人は、小説やドラマ、ゲームなどで語られる際には

織田信長や武田信玄などの有名な戦国武将の人生における脇役として登場し、

中には「失墜した幕府権力にすがり続けた、身の程知らずな将軍」という

何とも無様な描かれ方をしている作品もありました。

特に、結果的に幕府を滅ぼした義昭への悪評は今でも多いようです。


しかし、今回のドラマやその関連番組で好感を得ていた武田勝頼のように

「人生で失敗した=その人物が無能だった」とは限らない場合もあります。

その人物が置かれた境遇や時代の流れによって、本人の意思や能力と関係無く

運命が決まってしまうことも、歴史にはよくあることです。

その人物が「有能」か「無能」かというのは、結果から見た後付けの評価ともいえます。

(「困難や変化に対応できたからこそ有能」という見方があることも理解していますが…)


義輝や義昭についても、その人生をいろいろ調べていく中で

「なぜ室町幕府は弱体化し、将軍は無力になったのか」

「室町幕府の将軍は、どんな権限を持っていたのか」

「そもそも、義輝や義昭は権力を欲していたのか」


など、時代の背景や仕組み、そして彼らがどう生きたのかを洗い直すと、

世間の評価とはまた違った印象を得られるのではないか、と考えました。


歴史というのは、一人の人間の言動だけで説明できるものではないですし、

逆に全ての人間の言動が後世まで語り継がれることもありません。

その空白を埋めていくのが歴史の学びであり、楽しみだと思っています。



現在は自宅にある資料を読み直し、2人の生涯について調べていますが

幕府の権力を争う構図がなかなか複雑で、まとめるのに時間がかかりそうです…。

目途がついたらこのブログでも紹介していこうと思っていますので、

興味がある方は、気長にお待ちいただけると幸いです。


長くなってしまいましたが、今日はこれにて。

ありがとうございました。


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