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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】毛利元就、その人となり~戦国時代の中国地方2~
※このブログの戦国ネタが初めての方は、まずこちらをご覧ください。


なんとなくタイトルで韻を踏んでみました。
どうでもいいですね…。ごめんなさい。


さて、先日から始まった新シリーズ

「戦国時代の中国地方」2記事目です。

今日は、前回も名前が出てきた中国地方の戦国武将

「毛利元就(もうりもとなり)」について書きたいと思います。


毛利元就は、戦国時代の安芸(あき、現在の広島県西部)の国にある

吉田郡山城(よしだこおりやまじょう、広島県安芸高田市)を拠点とした戦国大名です。

『戦国大名』というと、ドラマやゲームの中では

「広い領地と多くの家臣を持つ殿様」という印象がありますが、

元就が当主になった頃の毛利家は、わずかな領地しか持っておらず、

周囲にも似たような状況の領主が多数存在していました。


そんな元就の少年時代について、次のような逸話が伝えられています。

ある日、家臣とともに厳島(いつくしま)神社に参拝した元就は、

「元就様が中国地方の主となれるように」と祈ったという家臣に

こう言ったそうです。


「初めから中国地方が目標では、安芸1国も治められずに終わるだろう。

 天下を統一するくらいの気持ちを持ってはじめて、中国地方の主になれるものだ。」



この手の逸話は後世の創作である可能性もありますし、

まだ少年の元就が天下統一を夢見ていたかどうかも分かりませんが、

彼の意識の高さや思慮深さは伝わってくると思います。

そしてその言葉通り(というのも変かもしれませんが)、

元就は中国地方の主へと歩を進めていくのです。


ところで、元就が毛利家の当主となった頃、中国地方には2つの大きな勢力がありました。

中国地方の旧国名


1つは周防・長門(すおう・ながと、あわせて現在の山口県)などを支配する「大内(おおうち)家」。

もう1つは出雲(いずも、現在の島根県東部)を拠点に勢力を広げた「尼子(あまご)家」です。

両者は勢力の境界となる安芸や石見(いわみ、現在の島根県西部)を巡って争っていました。

毛利家をはじめとする安芸の小勢力は、その2大勢力に挟まれる中で、生き残りへの道を探っていたのでした。

元就は、この状況をどのようにして生き抜いていったのでしょうか。

次の記事では、そのあたりを詳しく見ていきたいと思います。


それでは、また。




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