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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】毛利元就の生き残り戦略~戦国時代の中国地方3~
※このブログの戦国ネタが初めての方は、まずこちらをご覧ください。


こんにちは。

今日で5月も終わりですね。


さて、「戦国時代の中国地方」も3回目です。

前回は、後に中国地方の支配者となる毛利元就が

毛利家の主となった頃の状況をお話ししました。

今回は、元就のとった戦略について掘り下げてみたいと思います。

中国地方年代記 1


おさらいになりますが、当時の毛利家の周りには

同じような勢力を持つ小領主が多数存在していました。

さらに安芸の外では、大内と尼子の2大勢力がにらみあっています。

その中で家を守るためには、味方を増やさなければなりません。

そのために元就は、自分の子どもたちを活用しました。


元就には、9人の息子がいました。

特に有名なのが、長男の隆元(たかもと)、次男の元春(もとはる)、三男の隆景(たかかげ)

す。

元就は、元春を石見との国境近くに領地を持つ吉川(きっかわ)家に、

隆景を瀬戸内海沿いに領地を持つ小早川(こばやかわ)家に、それぞれの領主の養子として送りこ

みます。

2人は後に、領主の跡を継ぎました。これは、両家が毛利家の一門に加わったことを意味します。

こうして、元就は兵を使うことなく、吉川家と小早川家の勢力を手中に収めたのです。



戦国時代には、多くの大名が元就と同じように自分の子を利用する戦略を用いていますが、

元就のいた安芸のように、小勢力が多数存在する地域では特に効果的でした。

この戦力を背景に、毛利家は安芸国内の勢力を武力や政治力で制圧していきます。


そして、元就の真骨頂といえばやはり「知力」です。

元就は、ドラマやゲームの中で「戦国時代随一の謀略家」などという紹介をされています。

「謀略」というとあまりイメージが良くない気もしますが、

その「知力」は敵対する相手を徹底的に追いつめる一方で、

守るべき家臣や領民に対してはとことん思いやる、という一面もあったようです。


次回は、その元就の「知力」について見ていきたいと思います。


では、またいずれ。




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