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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】元就の「知力」の源~戦国時代の中国地方4~
※このブログの戦国ネタが初めての方は、まずこちらをご覧ください。

どうも、まこな。です。

さて、中国地方の戦国史をめぐる連載も、今日で4回目です。

今回は「戦国時代随一の謀略家」とも称される

智将・毛利元就の「知力」の原点を探ります。

前回の記事から時間をさかのぼって、

元就の生い立ちからひも解いてみましょう。


元就が誕生したのは西暦1497年。

織田信長らが活躍した頃より、50年以上も前のことです。

安芸国・吉田郡山城を拠点とする国人(こくじん・その地域における有力者)、

毛利弘元(ひろもと)の次男として生まれました。

元就には、興元(おきもと)という兄がいました。


しかし、元就が5歳の時に母親が病没。父である弘元も、元就が10歳の時に

39歳の若さで亡くなってしまいます(多量の飲酒が原因とされています)。

悪いことは重なるもので、毛利家はすでに興元が継いでいたのですが、

元就は家臣のたくらみによって当時暮らしていた城を追い出されてしまいます。


幸い、弘元の側室(そくしつ・城主の二人目以降の妻)だった女性のもとに身を寄せ

そこで生活をした元就ですが、実に過酷な少年時代を過ごしたことが分かります。

幼くして父母を亡くし、兄にも頼れず、家臣にも裏切られる。

「信じられるのは、自分の力のみ。」元就少年(※)は、そう心に誓ったのでしょう。

その想いこそ、元就を『稀代の智将』に育てた原点ではないかと思います。

(※)重箱の隅をつつくような事ですが、一応補足。
   「元就」というのは元服(げんぷく、今風に言うと成人式的な儀式)の後に名乗った名前。元就の元服は15歳のとき。
   元服するまでは、「松寿丸(しょうじゅまる)」という幼名(ようみょう、元服前の子どもにつける名前)があった。
   この名付けのルールは、他の戦国武将についても基本的に同じ。


また、晩年の元就はこのような言葉を残しています。

「毛利家のことを良く思っている者は、外は言うまでもなく、家中にも一人もいないと思え」

この言葉通り、元就は生涯にわたってその知略を駆使し、

外や内部の敵を徹底して排除した一方、家中の和を保つことに心血を注ぎました。

その知略の中身は今後書こうと思いますが、これも幼い頃の経験が活きた証ではないでしょうか。


さて、幼い頃から数々の試練に直面してきた元就を、この後さらなる衝撃が襲います。

一体、何が起こったのでしょうか? 

それは次回の記事で。




コメント
▼この記事へのコメント<(あれば表示)
こんにちは。

毛利元就というと、イメージではもともと頭が良くて
天賦の才能の持ち主という感じがありました。

己こそ己のよるべとし、生きるために知略(でよろしいでしょうか?)
を学んだ努力家とは.....

今後を楽しみにしています。

2015/06/05(金) 21:00:19 | URL | bykidsweet (#-) [ 編集]
Re: タイトルなし
> こんにちは。
>
> 毛利元就というと、イメージではもともと頭が良くて
> 天賦の才能の持ち主という感じがありました。
>
> 己こそ己のよるべとし、生きるために知略(でよろしいでしょうか?)
> を学んだ努力家とは.....
>
確かに、元就は生涯を通じて失策らしい失策をしていない感があるので、
もともとの才能という面でも優れていたのかもしれません。
一方で、調べていくうちに幼少期の過酷な経験が彼の人生観に与えたものも
少なからずあるのではないかと思い、今回の記事を書きました。
それが伝えられたようで、反応をもらえたのは嬉しいことです。

> 今後を楽しみにしています。
>
ありがとうございます!
自分でも納得できる内容にしたいので、毎日更新とはいきませんが、
気長にお待ちくだされば幸いです。
2015/06/06(土) 06:37:52 | URL | byまこな。 (#-) [ 編集]

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