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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】嘘かまことか。②

こんばんは。

昨日からお送りしています戦国ネタ企画。

「戦国三大『本当はなかったかもしれない』合戦絵巻」の第2弾です。

★第1話はこちら → 【戦国時代】嘘かまことか。①

今日紹介する合戦は「河越夜戦」

大河ドラマ『真田丸』でも話題になった関東の覇者・北条家にまつわる合戦です。


「河越夜戦(河越城の戦い)」

【時期】1546年4月

【戦場】武蔵(埼玉県)・河越城

【軍勢】北条軍 1万1千 対 反北条連合軍 約8万
   (北条軍のうち約3千が籠城)

【結果】北条軍の快勝

【以下、よく知られている経緯】

・北条早雲(伊勢新九郎)を祖とする戦国大名・北条氏は

 2代・氏綱の頃にかけて本拠地の相模から武蔵へと勢力を拡大した。

 これに危機感を抱いた室町幕府の関東管領・上杉氏や

 古河公方・足利晴氏などは過去の対立を捨て、反北条の意思で結束。

 氏綱の跡を継いだ3代・氏康に対して一大攻勢を仕掛けた。

・反北条連合軍は約8万の大軍で河越城を取り囲んだ。

 対する河越城には北条綱成(つなしげ)以下3千の兵が籠城する。

 氏康は8千の兵を率いて救援に駆けつけると、

 連合軍に偽の降伏文書を渡して敵の将兵を油断させた後、

 連合軍の陣に夜襲を仕掛けて散々に打ち破った。

 連合軍側の死傷者は1万人を超えたという。



この戦いは「日本三大奇襲戦」の一つとして数えられる有名なものですが

(残り2つは織田信長の「桶狭間の戦い」と毛利元就の「厳島の戦い」)

これを語る上で一番の問題は「現存する資料がほとんど無い」ということです。

敗れた上杉・足利両氏は間もなく衰退して、当時の公式な記録が残っていませんし、

勝った北条家にしても後に豊臣秀吉に滅ぼされてしまっているので、

この頃の詳細な記録というのが、なかなか見当たらないらしいのです。


ではなぜこのようなあらすじの記述ができるかといえば、

江戸時代以降に作られた「軍記物」と呼ばれる読み物の存在が大きいです。

今で言えば、歴史を題材にしたファンタジー小説のようなものでしょうか。

事実を土台にしながら、読む人の興味を引きそうな誇張や脚色を施して

多くの人に読まれ、また広まっていく読み物だったと考えられます。

以前記事にした「真田幸村」も、その流れで有名になった良い例です)

なので、この話を全て実話として扱うのは、少々無理がある気がします。


他にも「北条軍の武将に感状(手柄をたたえる賞状)が発行されていない」とか

「そもそも何で8万が1万に負けるのか!?」などツッコミどころはあるのですが、

それでもこの時期に北条家と反北条勢力の力関係が逆転したのは事実で、

このように大規模な夜戦ではないにせよ、両者の勢力圏の境界線上にあった

河越城をめぐる戦いは頻繁に行われていたと思われます。

それを乗り越えた北条氏康は、やはり優れた武将であったと評価されていいと思います。


ということで、ここまで「河越夜戦」について書いてみました。

真実がどうであったのかは、読む方の判断にお任せしたいと思います。

次回はこのシリーズのラストに相応しい、有名な戦いを取り上げます。

どうぞお楽しみに。



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