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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【真田丸】舞台裏の大名たち。①

こんばんは。

今日から7月に入りました。

本州の梅雨明けはいつ頃になるのでしょうか。

高校野球の地方予選も本格的に始まるので、そちらも楽しみです。


さて、今日は久々に戦国ネタを少々。

このブログでも毎週取り上げている、大河ドラマ「真田丸」の話題です。

前回の放送が25回目、全50回のちょうど半分まで来ました。

クライマックスの大坂夏の陣まではあと20年以上ありますし、

その前の見せ場となる関ヶ原の戦いや第二次上田合戦もどのように描かれるのか、

戦国時代好きとしては今から楽しみなところであります。


ところで、このドラマは真田信繁(幸村)の目線を中心に物語が進むので

真田家や豊臣家、徳川家以外の大名家の動向にはあまり触れていませんでした。

北条家の滅亡や上杉・伊達の臣従はストーリーの節目として描かれましたが、

特に西日本の大名がいつ秀吉に従ったのか、どのような経緯があったのかについては

ドラマ内では全く語られなかったので、今日と明日で少し触れようと思います。

(歴史好きの方にとっては基礎的な内容になりますが、そこはご容赦を)


今日は本能寺の変から、中国・四国が平定されるまでを簡単に。

1582年、本能寺で織田信長が明智光秀に討たれると

中国地方の毛利家と戦っていた秀吉は、すぐに毛利軍と和睦して光秀を倒します(山崎合戦)。

清洲会議で織田家の実権を握った秀吉は翌年、対立していた柴田勝家に勝利(賤ヶ岳合戦)。

秀吉は、勝家が治めていた北陸地方を勝家の配下だった佐々成政・前田利家らに任せます。


1584年、信長の次男(または三男)・信雄(のぶかつ)が徳川家康の協力を得て

秀吉に対抗する姿勢を見せますが、小牧・長久手の戦いを経て和睦となります。

1585年、秀吉は中国地方の宇喜多(うきた)家・毛利家を臣従させることに成功すると

続いて四国に大軍を送り、前年までに四国をほぼ制圧していた長宗我部軍を圧倒。

当主の長宗我部元親(もとちか)はわずか2か月で降伏し、土佐(高知県)のみを安堵されました。

この頃、信濃ではドラマでも描かれた第一次上田合戦が起こっていました。


というあたりで、この続きは明日に。



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