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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】元就の試練と初陣~戦国時代の中国地方5~
こんばんは。

今日も今日とてまこな。です。

この土日、いかがお過ごしでしたでしょうか。


今日は「戦国時代の中国地方」5回目をお送りします。

前回は毛利元就がその優れた「知力」を手にするまでに

様々な苦難に立ち向かってきたことをご紹介しました。

今回も、元就の生い立ちをたどりながら、

彼が戦国の世に出るまでを見ていきます。


前回の最後で、「さらなる衝撃」とだけ書いて引っ張っていた事件とは…

元就の兄で毛利家当主の毛利興元(おきもと)が、なんと24歳で世を去ってしまったのです。

(父と同様、酒の飲みすぎが原因らしいです)


毛利家は興元の長男(わずか2歳!)が当主となり、

20歳の元就は当主の叔父(おじ)として、それを補佐する立場につくことになりました。

相次ぐ身内の死は元就にとって大変つらいものだったのでしょうが、

裏を返せば、ようやく元就が歴史の表舞台に立つ土台が整ったことになります。


ちなみに、父も兄も酒の飲みすぎが原因で亡くなっているためか、

元就自身は酒をほとんど飲まなかったそうです。

そのかわり、お餅が大好物で、時には一度に5、6個を平らげたといいます。

今も広島に行くと、この話にちなんだ土産物の餅菓子が売られています。


それはともかく。


元就が初めて戦場に立ったのは、当主交代から約1年後。

安芸国の守護(しゅご・幕府から任ぜられたその国の領主的地位)であった武田氏との戦いです。

(ちなみにこの安芸の武田氏、先祖はあの武田信玄と同じだそうです)


当時、武将が人生で初めて合戦に出ることを「初陣(ういじん)」と言い、

一人前の武士として認められるための通過儀礼という意味合いもありました。

この時、兵の数では攻め込んできた武田軍の方が多く、毛利軍としては不利な状況でしたが、

元就が率いる毛利軍の兵は勇敢に戦い、敵の大将であった武田家の当主を討ち取って大勝利をおさめました。

これが後に「西の桶狭間(おけはざま)」とも呼ばれる「有田(ありた)の戦い」です。


戦国の世に鮮やかなデビューを飾った元就ですが、この後も試練は続きます。

とはいえ、また長くなってきたので、今回はここまで。

次回以降は、当時の中国地方で2大勢力だった

大内氏と尼子氏のことにも触れていきたいと思います。

それでは、また。




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