FC2ブログ
そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】大内氏と尼子氏① ~戦国時代の中国地方6~
※このブログの戦国ネタが初めての方は、まずこちらをご覧ください。


やっと、通常営業です…

2日間好き勝手にやったので、しばらくあのキャラは封印です。


さてさて、今日は中国地方の戦国史、6回目の始まりはじまり。

今回と次回は、毛利元就の生涯から少し離れて

そのライバルとなる大内(おおうち)氏尼子(あまご)氏について

その歴史を見ていきたいと思います。

前回の話よりさらに時間をさかのぼり、専門的な用語も多くなりますが

なるべく分かりやすく説明したいと思います。

中国地方年代記 1


では、今日は大内氏から。

大内氏は、平安時代の終わり頃から続く「名門」といえる武家です。

鎌倉時代の頃にはすでに周防・長門を支配し、強固な基盤を築き上げてきました。

その後、南北朝時代から室町時代にかけても、一族内での権力争い等がありながらも

その勢力は強大で、大内氏の歴代当主は幕府の役職に任ぜられることが多く、

中央の政治にもたびたび介入していました。


その後、幕府の支配力が弱まったことで発生し、日本国内を二分する争いとなった

応仁の乱(おうにんのらん、詳しくはいずれ書きます)の際には、

当主が軍勢を率いて京へ出陣し、乱全体の戦況を左右する動きをしたとされています。


やがて応仁の乱が終息すると、大内氏はもともとの領国だった周防・長門に加え

同じ中国地方の石見や安芸、さらに海を隔てた北九州地方にも影響力を及ぼし、

最終的には幕府から合計7か国の守護(しゅご・第5回を参照)に任ぜられるまでになりました。

大内氏は、当時の日本全体でも有数の勢力を持つ大名となったのです。


また、京とのつながりが深かった大内氏が本拠とした街・山口(山口県山口市)には

応仁の乱を機に京を離れた公家(くげ)などが多く滞在したほか、

独自のルートで海外との交易を行うなどして収入を得ていたことから

明(みん、現在の中国)の商人やヨーロッパの宣教師たちも盛んに往来し、

「大内文化」とも呼ばれる独自の繁栄ぶりを見せたといいます。

キリスト教伝来で知られるフランシスコ・ザビエルも、後にこの山口を訪れています。

毛利元就が登場した頃は、31代目の当主、大内義隆(おおうちよしたか)が山口を治めていました。


このように、大内氏が古くからの大名として中国地方に君臨していたのに対し、

次回紹介する尼子氏はいわゆる「下剋上(げこくじょう)」によって大名となった勢力です。

「下剋上」とは『自分より身分が上の者を倒す』という意味であり、

戦国時代は、まさにこの「下剋上」が全国各地で発生した時代でした。


次回の尼子氏の記事については、今回の大内氏との違いに

注目しながらお読みいただくと、より楽しめるかと思います。

それでは、次回をお楽しみに。




コメント
▼この記事へのコメント<(あれば表示)

■ コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する