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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【真田丸】第37話視聴。

こんばんは。

さて、今日はいつもの通り大河ドラマ「真田丸」について書きますが

残念なことに、後半をちゃんと見る事ができなかったんですよね・・・。

仕事場の上司から、急を要する電話があって、その対応をしていたので

最後の方は、ほとんど記憶が残っていません・・・  仕事が優先なので仕方ない。


というわけで、ちゃんと見ていた前半部分のみを振り返ってみます。

・関ヶ原の合戦はわずか1日で決着。昌幸は信濃で抵抗を試みるが・・・

・信幸は、戦前の約束通り昌幸と信繁(幸村)の助命を家康に嘆願するが・・・

・命は保ったが城を奪われる昌幸、城を得たが名前を捨てる信之。家康の高笑いが響く。


それにしても、今回は家康の『ラスボス』感が半端じゃなかったですね!

「生き地獄を味わうがよい・・・!」のセリフは、もちろん実際には言っていないでしょうけど

どこのRPGの魔王だよ!って感じで、本当に憎たらしく聞こえました。

武田信玄の時代から因縁のあった昌幸をついに従えた、という家康の本音が出たのかもしれません。


本音といえば・・・家康は、自分に二度も刃向かった昌幸と信繁に対して死を与えるつもりであったが、

信幸や本多忠勝の嘆願によって九度山への流罪にとどめた・・・というのは、広く知られているところです。

しかし・・・いくら二度も自分の邪魔をされたからといっても、関ヶ原の戦い全体でみれば

今回の真田親子への処分は、かなり厳しいものであったと見ることもできます。


関ヶ原の合戦後、家康の命令で処刑された武将は、石田三成以外の有名どころでは

三成と共謀したという肥後の小西行長と、毛利輝元を総大将に推した安国寺恵瓊(えけい)くらい。

総大将の毛利輝元や、戦前に家康を挑発した上杉景勝は領地を大きく減らされましたが、命は無事。

同じく五大老の一人で、西軍の主力だった宇喜多秀家も領地は没収されましたが、これも処刑は免れました。

まして、関ヶ原で東軍の本隊と直接戦った訳でもなく、さらに一族から信幸が家康方についていた真田家から

領地はともかく(上田領は信之に与えられたので、実質現状維持)昌幸らの命まで奪うのは、やりすぎでは・・・。


多分ですが、家康自身の個人的な感情が、昌幸らを許しておけなかったのでしょう。

本多忠勝が家康を止めたのは、信幸のためというよりは家康の独断専行を抑えるため。

(徳川家の他の重臣たちも、昌幸らを死罪にはしないように働きかけたという説もある)

『感情に任せて敵将を処刑しては、いたずらに敵を増やしてしまう』と諌める意味もあったと思います。

とはいえ、昌幸は放っておけば徳川家に何をしてくるか分からない危険人物ですので

手も足も出ない状態にして九度山に閉じ込めておく、というのが最良の策と判断したのではないでしょうか。


・・・っと、今日はちょっと熱く語ってしまいましたね(苦笑)

三成や大谷吉継の最期は、再放送で見届けることにします(汗)

ということで、今週も仕事頑張ってきます! ブログは・・・まぁできたらやります(小声)



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