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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【真田丸】第38話視聴。

【訃報】元上田城主の真田昌幸氏が死去


1611年、前の信濃国上田城主で、戦国武将の真田昌幸氏が亡くなりました。65歳でした。


昌幸氏は甲斐・信濃などに勢力を広げた戦国大名・武田信玄氏に仕え、

優れた知略で信玄氏とその子・勝頼氏の2代にわたって武田家を支えました。

1582年、武田家が織田家や徳川家などの侵攻によって滅ぼされると、

織田家、北条家、上杉家、徳川家などを相手に臣従と離反を繰り返し、

本拠地である信濃に真田家の勢力を確立するため知略の限りを尽くしました。

特に、1585年には上田城に攻め寄せた徳川軍およそ7000を

わずか2000の兵で撃退する活躍を見せ、その名を世に知らしめました。


やがて、豊臣秀吉氏が天下の主導権を手中に収めるとこれに従い、

関東の北条家に対する攻略作戦に参加。忍城(武蔵国)の攻略に貢献しました。

秀吉氏の死後は、豊臣政権内で専横を強める徳川家康氏の姿勢に反感を抱き、

同じく家康氏を敵視していた石田三成氏の挙兵に呼応する形で徳川軍を離反。

1600年、再び上田城を攻めた徳川軍を迎え撃ち、これを撃退しました。


しかし、三成氏が関ヶ原の戦いで敗れ、敗軍の将となった昌幸氏は、家康氏の命令で上田城を退去し

次男の信繁さんやわずかな家臣とともに、紀伊国九度山村に幽閉されていました。

昌幸さんの長男で、現在の上田城主の真田信之さんが何度も家康氏に赦免を願い出ましたが

聞き入れられることはなく、近親者に看取られて亡くなったということです。


関係者への取材によると、昌幸氏は自分の死期が迫ったのを知ると

信繁さんに自らの兵法をまとめた書物を託した上で、天下が再び乱れることを予測し

家康氏を倒すための策を信繁さんに授けたということですが、その詳細は分かっていません。

また、昌幸氏は信繁さんに真田家代々の「幸」の字を使う名前への改名を

打診していたということで、信繁さんの今後の動向が注目されます。


以上、第38話「昌幸」を某局のニュース風に振り返ってみましたの巻。



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コメント
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良いですね
ニュース風だと、とても理解しやすいですね。
2016/09/27(火) 11:07:49 | URL | byMK (#-) [ 編集]
Re: 良いですね
MK さん
コメントありがとうございます。

> ニュース風だと、とても理解しやすいですね。
初めての試みでしたが、受け入れてもらえたようで嬉しいです。
毎回同じようなあらすじ紹介だと、飽きられてしまうかもと思って
今回はニュース原稿風に表現してみました。

昌幸の生涯を通じて、物語全体のあらすじも整理できたので
戦国時代を説明する一つの方法として、使えるかもしれません。
反面、自分の主張や見解を語るには向きませんが・・・
どうやったら読む人の心をより動かすことができるか
いろいろと試していきますので、またご意見をください。
2016/09/27(火) 20:23:30 | URL | byまこな。 (#-) [ 編集]

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