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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】続・もしも、川中島で。

こんばんは。

今日は昨日に引き続き、もう少し戦国時代の話にお付き合いを。

昨日の記事はこちら → 【戦国時代】もしも、川中島で。


要約すると、武田信玄と上杉謙信の「川中島の戦い」を扱ったテレビ番組で

「もしどちらかが相手を討ち取っていたら、そのまま天下をとっていた」という

単純すぎる結論にちょっと異を唱えたくなって、「天下」とは何なのか、とか

戦国時代に「天下を取る」には室町幕府の存在を無視できない、なんて事を書きました。


では、今日は「もしどちらかがこの戦いで死んでいたら、何が起こるか」を想像してみます。

ちょっと専門的な用語も出てきますが、なるべく分かりやすく書きますのでご容赦ください。


ケース①【武田軍が勝ち、上杉謙信が討ち死に】

まずは、上杉謙信が武田軍に討ち取られたとしたら。

おそらく、信玄はその勢いで越後へ攻め込むでしょう。

信玄の領地である甲斐・信濃は内陸にあり、海がありません。

海に面した領地を得れば、領民の生活に不可欠な塩や、交易のための港が手に入ります。

越後は日本海側の海上交通の要所だったので、信玄にとっても重要だったはずです。


一方、謙信を失った上杉家は、衰退の一途をたどると思われます。

上杉家臣団を成す越後の国人衆はもともと独立性が強く、

謙信個人のカリスマ的なリーダーシップのおかげで一応まとまっていた状態なので

ここで謙信を失えば、正式な跡継ぎもいないため組織は崩壊せざるを得ません。

(史実でも、謙信の死後に上杉家の重臣が越後北部で反乱を起こし、独立している)

信玄が手を下さなくても、上杉家の影響力が越後から失われるのは時間の問題です。


そして、信玄の同盟者である関東の北条家は、長年悩まされた上杉軍の侵攻がなくなるので

よりスムーズに関東に勢力を拡大し、武田家の背後を固めてくれるでしょう。

ただ、桶狭間の戦いで当主を失った今川家を信玄が攻めない限りは、ですが。

史実でも、信玄が今川家を攻めたために武田と北条の関係は決裂したので

越後平定後、次に信玄が狙う場所によってその後の展開は変わってくると思います。

(越後で海を得て、駿河へ出ていく必要性が薄れたことも影響してきますが)


では、もう一つの関心事として「織田信長に勝つ可能性はあるか」について。

実際の歴史では、信長は信玄を警戒して度々贈り物をしていたといいます。

このため、勢力拡大の成り行きで両者が衝突する可能性は、それほど高くないと思われます。


史実では、室町幕府の将軍・足利義昭を奉じて上洛した信長が

後に義昭と対立し、信玄を含む「信長包囲網」の形成に発展しましたが

越後を征した信玄の名声や影響力が増し、自ら上洛して幕府を立て直す意思を見せれば

将軍は由緒正しい源氏である信玄の顔を立て、信長の出る幕は無くなるかもしれません。

この場合、武田軍の上洛の通り道となる美濃や近江で戦いが起こる気もしますが、

信玄と信長が直接戦ったらどちらが勝つのか、これは想像にお任せしたいと思います。



ケース②【上杉軍が勝ち、武田信玄が討ち死に】

ケース①とは逆に、上杉軍が武田信玄を討ち取ったとしたら。

謙信がまず行うのは、信玄に信濃を追われた地元の国人たちを元の領地に戻し

甲斐に引き上げた武田軍から彼らを守るための兵を置くことになるでしょう。


もともと、謙信が信濃に攻め込んだ動機が上杉家の領地拡大のためではなく、

信濃の国人の領地を取り返すためだったことは、よく知られています。

武田家の影響力を信濃から排除できさえすれば、本国・越後の安全も確保できるため

謙信は信濃の政略を彼ら国人たちに任せ、関東攻略に専念することになるはずです。

(謙信の下には信濃守護・小笠原氏もいたので、それを復活させる可能性も十分にある)


ただ、信玄が亡くなっても武田家の勢力はおそらく甲斐に残ります。

信玄の長男・義信あたりが当主となり、今川・北条との同盟を維持しながら

再び信濃に侵攻する時期をうかがいつつ、力を蓄える状態になりそうです。

信玄という戦国時代屈指の名将を失った武田家が、再び輝きを放つのかどうかは

史実では父から死を賜った(とされる)義信の力量にかかってくるでしょう。


話を謙信に戻すと、信玄亡き後は関東の北条家との戦いが激化するでしょう。

信玄を破った謙信の名声が高まり、関東の多くの大名が上杉軍に味方すれば

かつて「河越城の夜戦」で8万もの大軍を破り、小田原城で反北条連合軍を跳ね返した

北条軍でも、以前とは比べものにならない苦戦になるかもしれません。


ただ「越後は雪国で、冬場の長期間の遠征はできない」という条件は残るため

「北条家滅亡」という最終決着まで持ちこめるかと考えると、微妙なところです。

史実と同様、武蔵や上野あたりで一進一退になる可能性もありそうな気がしますが

関東の諸大名の力を借りて北条家を相模に封じこめる結果になれば、上出来でしょうか。


そして、やはり気になるのは織田信長との関係。

北条軍と渡り合うことで「関東管領」という幕府の要職を務めあげる謙信には

室町幕府の将軍も、相当の信頼を置くことになると推測します。

謙信自身も川中島の戦いの前、1559年に上洛して将軍・足利義輝に謁見するなど

室町幕府を盛り立てる態度を明確にしており、幕府への影響力もあったので

「信長包囲網」への協力依頼が来れば、信玄がそうしたように手を挙げることでしょう。


史実では、信玄や北条家との争い、加えて越後国内での反乱鎮圧などもあり

幕府の権力を巡る畿内での争いからは距離を置いていた謙信ですが、

川中島で信玄を討ち、その後の北条家との戦いも優位に進めることができれば

完遂できなかった北陸路からの上洛、そして信長との戦いも実現したかもしれません。

織田軍との決戦の地は越前、あるいは近江あたりになるでしょうか。

こちらの勝敗のゆくえも、読者の皆様のご想像にお任せすることにします。


というあたりで、ひとまずスッキリしたので終わりにしたいと思います。

歴史ネタに限らず、知識を入れ続けるだけでは脳ミソが消化不良を起こすので

たまにはこうして知識や考えを吐き出すのも、このブログの使い方としてアリかなと。

読まされるほうは「知らんがな」かもしれませんが、毎日こんな記事が書ける訳でもないので

次があったら「まーた始まったよ」と思いつつ、なま温かい目で見守ってください。


それでは、明日は「真田丸」レビューでお会いしましょう。



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