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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】堀尾吉晴と松江城
こんばんは。

今朝、ネットで気になるニュースを見つけたので掘り下げます。

(以下、『NHK NEWSWEB(松江版)』より引用、一部注あり)
松江開府の祖として知られる堀尾吉晴(ほりおよしはる)の命日にあたるきょう(17日)、松江市長や地元の観光協会の関係者らが安来市の寺にある吉晴の墓を訪れ、松江城天守の国宝指定が決まったことを墓前に報告しました。

17日は松江市の松浦正敬市長や地元の観光協会の関係者ら合わせて40人あまりが安来市の巌倉寺(いわくらでら)にある堀尾吉晴の墓を訪れました。
そして、吉晴の命日に合わせた法要が営まれる中、松浦市長が「松江城天守の国宝指定が決まりました。吉晴公が残した松江の街をこれからも地域の人と一緒に盛り上げていきたいと思います」と墓前に報告しました。

吉晴は織田信長と豊臣秀吉、それに徳川家康に仕えた戦国の武将で、松江開府の祖として知られています。
江戸時代初期の1607年に松江城の築城に着手しましたが、その4年後、城の完成を目前に控えて亡くなったとされています。

(引用ここまで)


松江城の国宝指定決定のニュースは、以前このブログでも取り上げたのですが(記事を見る)、

その礎を築いた堀尾吉晴の命日までは把握していませんでした…。

遅ればせになりますが、今日は堀尾吉晴と松江城について紹介したいと思います。


堀尾吉晴は、尾張(現在の愛知県西部)出身の戦国武将です。

ニュース記事にもある通り、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という

戦国時代に天下を左右した3人の有力大名に仕えた経歴を持ちます。

1600年の関ヶ原の合戦では家康率いる東軍に味方し、

吉晴自身は参戦しませんでしたが、彼の息子が出陣した功績により

戦後の論功行賞で出雲(現在の島根県東部)24万石を与えられました。


当時、出雲国支配の拠点はかつて戦国大名の尼子氏が本拠とした

月山富田城(がっさんとだじょう、安来市広瀬町)でした。

月山富田城は険しい山の上にあり、防衛能力に優れた城でしたが

城下町の発展を第一に考えた吉晴は、この城に代わって

宍道湖畔に平地の広がる松江の亀田山に、拠点となる城を築くよう指示しました。

これが現在まで残る松江城です。


1607年に築城が開始され、完成したのは1611年冬ですが、

吉晴はこの年の6月17日に亡くなってしまい、城の完成を見ることはありませんでした。

その後、松江城は松江藩主の居城として、堀尾氏、京極氏を経て松平氏に受け継がれます。

今の松江の情緒あふれる街並みは、吉晴の決断から生まれたものといえると思います。


以上、堀尾吉晴と松江の歴史に思いを馳せる記事でした。




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