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1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】30代の彼らは・・・(後編)

こんばんは。

今日は、昨日更新した「あの戦国武将の30代」の続きになります。

私まこな。の独断と偏見で、さらに5名の武将の30代を紹介したいと思います。

それでは、さっそく見ていきましょう。

(通説における生年に基づき、満年齢で計算しています。誕生日は考慮しません)


⑥毛利元就(1497年生まれ、1527年に30歳)

父の急死と兄の早逝により、27歳で毛利家の家督を継ぐ。

当時の毛利家は安芸・吉田郡山城のみを領する小勢力で、

周防の大内氏と出雲の尼子氏との間で生き残る方法を模索していた。

家督を争った弟・元綱の背後に尼子氏が介入していたことを知った元就は

以後、尼子氏を見限り大内氏との関係を強化する。

1530年(元就33歳)の時に次男の元春(のち吉川家に養子入り)、

1533年(元就36歳)の時に三男の隆景(のち小早川家に養子入り)が生まれる。

1537年(元就40歳)、長男の隆元を人質として大内家に送り、事実上その傘下に入った。


⑦今川義元(1519年生まれ、1549年に30歳)

駿河の名門・今川家の家督を18歳で継いだ義元は

本国の駿河に加え、遠江から三河にかけて影響力を発揮していた。

1549年(義元30歳)、今川軍は三河・安祥城で織田軍の大将・織田信広を捕らえ、

信秀の人質になっていた松平竹千代(のちの徳川家康)と身柄を交換する。

1554年(義元35歳)、相談役の僧・太原雪斎の提案により

甲斐の武田氏および相模の北条氏と「甲相駿三国同盟」を締結。

雪斎は翌1555年に病死するが、背後を同盟国で固めた義元は

織田氏の本拠・尾張への侵攻を本格的に進めていくことになる。

その結末が「桶狭間の合戦」での討ち死にとなることは、あまりにも有名である。


⑧石田三成(1560年生まれ、1590年に30歳)

近江出身で、秀吉にその才を見出されたとされる石田三成は

賤ケ岳の合戦などに従軍し功績を挙げるかたわら、

兵士・兵糧の輸送や「太閤検地」などを取り仕切り、秀吉の天下統一事業を支えた。

1592年(三成32歳)から始まった朝鮮半島への侵攻作戦でも

三成は日本国内で物資や兵士の輸送・数量管理を的確にこなし、秀吉に評価される。

一方で、前線の武将たちの戦功が正しく秀吉に伝わらなかったことなどから

いわゆる「武断派」の武将たちの反感を買った、とされている。

1598年(三成38歳)に秀吉が没すると、五奉行の筆頭格として

豊臣政権内で専横を強め始めた家康を糾弾するも

家康は巧みに三成を嫌う武将たちを取り込み、逆に孤立を深めることに。

1600年(三成40歳)、関ケ原の合戦で家康に挑むも敗れ、斬首された。


⑨伊達政宗(1567年生まれ、1597年に30歳)

伊達家の家督を18歳で継いだ政宗は、24歳までに陸奥国の南部をほぼ平定。

「あと10年早く世に出ていれば天下も狙えた」とも称される勢力拡大を達成する。

しかし、秀吉率いる大軍勢が北条氏の小田原城を包囲すると、これに臣従。

それでもその野心は消えず、謀反の疑いをかけられながらも機転で乗り切る。

秀吉の死後は、娘を家康の息子に嫁がせるなど徳川氏に接近。

1600年(政宗33歳)、家康が関ケ原の合戦に向けて江戸を発つと

政宗は反徳川派の上杉家・直江兼続の軍と戦い、実質的な勝利を収める。

1601年(政宗34歳)、仙台城の築城を開始。仙台藩62万石の象徴となる。


⑩真田幸村(信繁、1567年生まれ、1597年に30歳)

信濃の豪族・真田昌幸の次男として生まれた幸村は

真田家の外交戦略に従い、上杉家、そして豊臣家の人質として日々を過ごす。

1598年(幸村31歳)、秀吉が没し家康が影響力を拡大すると

昌幸とともに三成方につき、家康方につく兄・信幸(信之)と袂を分かつ。

1600年(幸村33歳)、上田城に徳川秀忠の軍勢が攻め寄せるが、これを撃退。

しかし関ケ原で家康が勝利したため、幸村は昌幸とともに紀伊・九度山へ流罪となる。

その後、1614年(幸村48歳)まで徳川家の厳しい監視のもとでの暮らしを余儀なくされた。

酒を慰みとしていたようで、知人に焼酎の差し入れを求める文書が残っているという。


ということで、かなり簡単ではありますが紹介してみました。

同じ30代でも、生まれた時代や場所によってその運命は様々だったのですね。

もちろん自分の努力や行動によって道を切り開くことは、現代でも同じく大切です。

逆に、追い込まれた時やどうにもならない時にどんなことを考え、打開しようとしたのか

そういった部分にも学ぶ意義はあると思いますので、今後のテーマにしたいと考えています。


では、また次回更新でお会いしましょう。

明日から新しい職場で、すでに緊張しているまこな。がお送りしました。

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