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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【雑感】借り物の知識と生きるための知恵~ブログを始めて思ったこと・2~
今日は、前回の続きになります。

この2カ月で(あるいはもっと前から)考えたことをつらつら書いてます。

引き続き固い話になりますが、ご了承ください。

お付き合い頂ける方は、↓こちら↓から。



さて、私がこのブログを始めたきっかけの一つが

「自分の知識や思ったことを

 自分なりの言葉で発信し、他者からのフィードバックを得る」


という点だったことは、以前どこかの記事で書いた気がします。


私は、人間は飽くことなく「知識」を欲する生き物だと思っています。

それも、自らの生存や社会の繁栄に直接関わるものだけでなく、

自分の教養や人生観をより豊かに、より多面的なものにするためだったり、

ただ単純に「知りたい」という知識欲や知的好奇心を満たすために、

多種多様な知識を手に入れ、それを理解するということを、人間は繰り返してきました。

そこが、人間と他の動物との大きな違いの一つと言えるかもしれません。


一方で、人は知識を欲し、その欲を満たすこと以上に、

「得た知識を他者に伝えることに快感を覚える」生き物ではないかとも思います。

例えば、他人に対して自分の知識や経験を披露することは、

その人に大きな自己有用感を抱かせる経験になるように思うのです。


知識を誰かに語り、伝える意味はそれだけではありません。

知識は他者に伝えられることで「共有」され、あるいは「評価」されて形を変えていきます。

そして、発信したときには確かに理解していたはずの知識が客観的に評価されることで深みを増し、

それをまた自分の頭で理解することで、自身の考えが深まります。

その繰り返しで、自分の知識と理解がより深いものになり、考え方の幅が広がるのです。


逆に、知識を自身の頭の中だけに押し込めていては、いつまで経っても考えは深まりません。

むしろ、いわゆる「頭でっかち」の状態に陥ってしまう危険すらあります。

その結果、自身の知識と経験で処理できる限界を超える場面に遭遇すると、

身動きがとれなくなってしまう事態もありうるでしょう。


第一、習得した「知識」というのは個人の所有物だと考えることもできますが、

現代における知識のほとんどは本やテレビ、インターネット、人からの伝聞など

他者からもたらされた、言わば「借り物」だと私は思っています。

学校でのテストの点数やテレビのクイズ番組での正解率が良いというのも

その「借り物」を効率よく、広い範囲から集める技術があるからなのかもしれません。

そういう人ほど周りからは「物知り」と尊敬されるので、その「借り物」を集めれば集めるほど、

自分自身が偉くなったように錯覚するのも無理はないのかもしれません。


私が言いたいのは、「知識」というのは決して万能ではなく、

それをどう活用するか、という事の方が重要なのではないか
ということです。

自分が知らなかった知識に接することは、確かに刺激的なことです。

しかし、その種類の刺激を求めるだけでは、いずれそれに慣れてしまい、

そこから先の進歩が無くなってしまう恐れもあります。

しかも、世の中は絶えず進歩しているので、

いつまでも同じ知識が変わらず役に立つという保証もありません。


それよりは、最初は少し怖くても自分の知識を他者に提供し、

それに対する反応や新たな気づきを発見することの方が、有意義ではないかと思います。

「それは知らなかった。ありがとう。」

「なーんだ、そんなこと知ってたよ。」

「だったら、私はこんな事を知っているよ。」

「ねぇ、もう少し分かりやすく話してよ。」

「何よ、私がそれを知らないとでも思ったの?」


人によって反応は様々でしょうし、教えなければよかったと思う反応もあるでしょう。


ですが、その一つ一つが自分にとっての「学び」になるとしたらどうでしょうか?

「次はこんな切り出し方をしようか」「もう少し分かりやすく説明したい」

あるいは逆に「相手から知識を引き出すためには、どうしたらよいだろうか?」

というように、次につながる考え方ができれば、しめたものです。

あなたは「知識」を伝えることで、「知恵」を身につけたのですから。


これからの時代、個人が「知識」の量だけを頼みに生きていくのは困難だと思います。

テレビやインターネットを通じて提供される「知識」の量と質の前では

生身の人間のそれはあまりにも微力だからです。

テレビやネット上で知識を発信できる立場にある人ならともかく、

単なる「物知り」が敬われる時代は、もうすぐ終わるのかもしれません。


しかし、「知識」を発信することで他者からのフィードバックを受け、

それを自身の「知恵」として人生を渡っていくことは可能だと思います。

「知識」を得ることと「知恵」を身につけることの両輪を整えることで、

山あり谷ありの人生をうまく乗り切っていきたいものですね。


というわけで、私もこのブログを通して

知識の発信と知恵を身につける練習を続けていきたいと思います。

ご意見・ご感想など、いつでもお待ちしております。

ありがとうございました。




コメント
▼この記事へのコメント<(あれば表示)
600の大台、オメデトウゴザイマース
2015/06/27(土) 01:48:14 | URL | by匿名 (#-) [ 編集]
たいへん興味深く拝見いたしました。

そして共感しました。

私も知識はインプットからアウトプットまでが一連だと思います。
おっしゃるとおりの内容を、茂木健一郎さんがinformationがintellijenceになるといっていたと思います。

単なる物知りはスマホやロボットで代用されますので、
気づきによって新たな知恵を得ることが大事に
なってくるように思います。

知識自体に疑いを持ちかえちゃっても良いんじゃないかと
思ってます。
常識を破ることになるのかもしれません。

いつも楽しみに拝見してます。
2015/06/27(土) 06:53:36 | URL | bykids (#-) [ 編集]
同感です
知識を持っていても、それを活用していく知恵のある人にならなければということをずっと思ってきました。
偶然ですがまこなさんも同じような考えをお持ちだったのですね。
私もblogを通して、多くの方からいろいろなことを教えていただいているのです。
人生の幅が広がっている気がします。

たくさんあるblogの中で、こうしてコメントさせていただくことってそう多くはないと思うのです。
ご縁があったのでしょうね~
イラストも楽しみにしておりますので^^
2015/06/27(土) 07:03:48 | URL | by花梨 (#ndHicBQ6) [ 編集]
いつもありがとうございます。
まこな。です。

本日は一度に3件のコメントを頂いたので、
返信ではなくコメント欄にてお返事いたします。

>匿名 さん

ありがとうございます。
2か月で600件の閲覧、自分で言うのもなんですが
思った以上の反響があって嬉しく思います。

これからもこまめに更新していきますので
応援してやってください。


>kids さん

いつもありがとうございます。
茂木先生も、そのような事をおっしゃっていたのですね。

物知りであること自体は良いことのですが
今は人工知能やロボットが活躍する時代ですし
常識自体もどんどん塗り替えられる宿命にありますから
人間の方もアウトプットとバージョンアップが必要ですね。

歴史ネタにしても、常識がどんどん変わっていってますから…
これからも勉強と発信の繰り返しです。

今後ともよろしくお願いします。


>花梨 さん

コメントありがとうございます。
花梨さんも同様のお考えをお持ちなのですね。

私の場合、ブログで情報を発信しようと思ったら
自分自身の知識や考え方の整理が必要なので
それ自体がいい頭の体操になっている気がします。

同時に、他の方のブログからも情報を吸収して
お互いにとって良い影響を引き出せると良いですよね。

私も、花梨さんとのご縁をありがたく思います。
またブログにもお邪魔させて頂きますね。
(イラストの方は、あまり期待しないでください…)

今後ともよろしくお願いします。
2015/06/27(土) 12:10:14 | URL | byまこな。 (#-) [ 編集]

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