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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】清洲会議(後編)
こんばんは。

もう6月も終わりが近いですね。

2015年も折り返し地点、いかがお過ごしでしょうか?


さて、今日は「清洲会議」の後編です。

織田家の後継者と実質的な支配者を決めるこの会議。

キーマンとなるのは、重臣筆頭格の柴田勝家と、

山崎の戦いで光秀を倒した羽柴秀吉でした。

それでは、会議の中身を見ていきましょう。

※前編を読んでいない方は先にこちらをどうぞ。


‐‐‐‐‐‐



主な議題になったのは織田家の当主についてです。

勝家は、信長の三男である織田信孝(のぶたか)を推薦します。

信孝は、本能寺の変の際には四国の長曽我部氏との戦いに備えて

軍備を整えた状態で堺(さかい、現在の大阪府堺市)にいました。

山崎の戦いでも、秀吉の軍勢に合流して光秀軍と戦っています。

(信長の仇討ちという意味合いから、秀吉は信孝を総大将に据えました)


一方、次男の織田信雄(のぶかつ)はというと

家中での評判があまり良くない人物だったようで、

積極的に彼を当主に推す重臣はいませんでした。

(山崎の戦いにも、信雄の軍勢は参加していません)

これで後継者は信孝に決まり…かと思われたのですが、

そこで異を唱えたのが秀吉です。


秀吉が推薦したのは、本能寺の変の際に自害した信忠の子で

信長の直系の孫にあたる織田三法師(さんぽうし、後に秀信)でした。

確かに、一度他家へ養子に出された者より、直系の孫が家を継ぐ方が説得力はあります。

ただ、この三法師、実はまだ3歳の幼子です。

当然、勝家や信孝は猛反対します。


しかし、ここで物を言ったのがこれまでの経緯。

秀吉は、謀反人である光秀をその手で倒したという実績もさることながら、

丹羽長秀(にわながひで)や池田恒興(いけだつねおき)といった他の出席者に

自分に賛成するように説得するなど、入念な根回しを済ませていました。

さらに、三法師やその周囲の者に対しても

贈り物をするなどして機嫌をとっていたといいます。

さすがは戦国一の「人たらし(他人を意のままに操るコツを知る人)」と呼ばれた秀吉、

この点では勝家より一枚も二枚も上手でした。


結局、他の出席者からも説得される形で、

勝家たちは三法師を後継者に据えることを承諾します。

これにより、秀吉の意にかなった織田家の当主が誕生し、

今後の勢力争いでも秀吉が優位に立つことが確定しました。


一方、秀吉に足元をすくわれて面白くない勝家は、自分が推薦した信孝や

関東にいて会議に参加できなかった重臣の滝川一益(たきがわかずます)など

秀吉を快く思っていない織田家中の人物らと協力して、

何とか秀吉を追い落としてやろうと画策することになります。

それが、のちの「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」につながっていくのです。


以上、ここまで「清洲会議」の流れを見てきました。

この続きは、その「賤ヶ岳の戦い」についての記事で書きたいと思います。




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