FC2ブログ
そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】シリーズ「落日」幕間 御家騒動多発の背景 

こんにちは。

今日は土曜日ということで、例のシリーズ企画を進めます。

戦国時代の室町幕府について見ていくシリーズ「落日 ~室町幕府、終焉への道~」ですが、

前回で第1章のキリが良いところまで来たので、今日は番外編的なお話しを一つしたいと思います。


第1章でお話しした「応仁(・文明)の乱」というのは、

つまるところ「将軍家や守護大名(管領)家の跡継ぎ争い」が至る所に引火して起こったものでした。

将軍や大名の跡継ぎの座を巡って、子ども(養子含む)同士が家を二分して争う「御家騒動」は、その後の戦国時代でも数多く発生しています。

この背景には『相続に関する慣習の変化』があったのではないか、というお話です。


まずはこちらの図をご覧ください。


武家の相続方法の変化


簡単に言いますと、鎌倉時代までと室町時代以降で相続の方法が大きく変わったという内容です。

まず鎌倉時代まで一般的だったのは『分割相続』といって、

一族の当主が亡くなった後に、その子どもたちに均等に遺産(領地など)を配分するという方法です。

家そのものを継ぐのは『惣領』と呼ばれる長男で、次男以下(庶子)との待遇の違いはありましたが

子どもたち皆が自分の財産を持てるので、不公平感が出にくい相続方法でした。

この方法で鎌倉時代の武士たちは一族の結束を高め、いざという時には力を合わせて戦ったのでした。


しかし、鎌倉時代の終わり頃になると、この方法の弱点が見えてきます。

それは『代が下るほど、分け前が少なくなってしまう』という点です。

例えば、ある武将が2人の息子に遺産を分けると、一人の取り分は最初の半分になります。

次の代でそれをまた2人の息子に分けると4分の1、さらに2人に分けると8分の1というように

何らかの形で資産が増えない限り、分ければ分けるほど細分化され、1人の取り分は少なくなってしまうのです。

鎌倉時代末期には、こうした理由で困窮した武家が多く発生したともいわれ

さらに元寇(モンゴル軍の来襲)による出費も重なり、鎌倉幕府を倒そうとする動きへとつながったとも考えられています。


こうした失敗を踏まえ、室町時代に入ると新たな相続方法が主流になっていきます。

それが『単独相続』で、一人の子ども(多くは長男)に財産と権力をすべて相続させるという方法です。

こうすることで財産が分散することがなくなり、家としての力も落ちることがなくなるという利点があります。

ところが、この方法にも問題がありました。 『財産をもらえない子どもはどうなるか』です。


一人だけが財産を全て相続するということは、それ以外の子どもには分け前が全くありません。

その家の新たな当主となった兄からわずかな領地を与えられ、それで家族を養うという形になる事が多かったようです。

あるいは近隣の大名家へ養子に出されたり、また名門の家に生まれた子どもであれば寺に入れられお坊さんになるなど

生まれ育った家を継げるか継げないかというのは、本人にとって『天国か地獄か』くらいの違いがあったのです。


そうなると、家を継げず『ただの人』になるのは嫌だという子どもも出てくるわけで、それが争いの種になります。

多くの場合、家を継げないことになっている子どもにも彼に仕えたり世話をしていたりする人間が家中にはいるので

そういう『自分の味方になってくれそうな人間』を集め、跡継ぎになる予定の本人やその父親(存命なら)にプレッシャーをかけるのです。

これがエスカレートすると、それぞれが自分に従う軍勢を動かしてぶつかり合うなんてことにもなりました(応仁の乱の畠山家がまさにそうです)。

こうした家中の争いが長引けば大名家は機能しなくなりますし、戦国時代においては他の大名家が攻めるチャンスにもなりました。

それでも、権力と財産が欲しい人間たちが引き起こす御家騒動は、応仁の乱の頃を皮切りに全国各地で起こるようになっていったのです。


最後に・・・御家騒動には様々なバリエーションがあります。

跡継ぎの座を争う子どもの母親が異なる(正室か側室か)とか、

母親が長男より次男のほうをかわいがり、そちらを跡継ぎにしようとしたとか、

長い間実子が生まれなくて、仕方なく他家から養子をもらったとか、

その養子をもらった直後に、実の子どもが生まれたとか・・・ どれもドロドロの権力闘争になること請け合いです(なんだそりゃ)。

織田信長や上杉謙信、伊達政宗など有名な武将にもそういったエピソードがありますので、興味のある方は調べてみてはどうでしょうか。


以上、『戦国時代と御家騒動』について1記事書いてみました。

次回の「落日」第2章『流浪する将軍』のスタートです。 細川政元が暗躍する「明応の政変」について書きます。

それでは、また。

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村






コメント
▼この記事へのコメント<(あれば表示)

■ コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

▼この記事へのトラックバック(あれば表示)