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【戦国時代】シリーズ「落日」第2章・3 英雄になりそこねた男、細川政元

こんばんは。

今週も土曜日ということで、戦国時代の連載シリーズ「落日 ~室町幕府、終焉への道~」をお送りします。

連載は第2章「流浪する将軍」に入り、ますます室町幕府の衰退ぶりが進んでいきます。


近年の研究者が「これが本当の戦国時代の始まり」と主張するクーデター『明応の政変過去記事を起こし

自分の言いなりになる将軍を奉ずることで、幕府の政治権力をほぼ独占した異才・細川政元(ほそかわまさもと)

その決断力や行動力に加え、室町幕府や将軍への政治介入、宗教勢力への武力行使(※)を積極的に行った点など、

後に『戦国時代の英雄』として語り継がれることになる戦国武将・織田信長との共通点も多々あります。

(※)前将軍・足利義材(あしかがよしき)と通じていた疑いがあるとして、比叡山延暦寺に焼き討ちを行ったとされる


しかし、政元の名は歴史の闇に埋もれ、戦国時代ブームの中にある現代でも、その名前や生涯を知っている人は少ないかもしれません。

今日の記事では『なぜ政元が英雄になれなかったのか』というテーマで、彼の最期までを見ていきたいと思います。


室町幕府とその将軍を支える管領家の一つ・細川家の御曹司として生まれた政元。

政元の父・細川勝元は『応仁(・文明)の乱』における東軍の実質的なリーダーであり、

(途中で何度か交代があったとはいえ)長年管領の職を務めて室町幕府を支え続けた、幕府のキーマンでした。

その跡を継いだ政元も、若いうちから室町幕府の中枢に深く関与し続け、政治に関する発言力を得ていきました。

ついには『現職の将軍を無理やり辞めさせる』という前代未聞の手段に出て、まんまと成功させてしまいます。

その後の10年ほどは比較的安定した世情が続いたと言われ、政元の政治能力が高いものであったことは疑いようがありません。

しかし、彼の異能ぶりは政治の世界だけにとどまらず、それが彼の寿命を縮めることになってしまったのです。


政元がプライベートで趣味、というより生涯を捧げる勢いでのめり込んだのが「修験道(しゅげんどう)」でした。

詳しい説明は省きますが、要するに「厳しい修行の中で肉体と精神を鍛錬し、悟りを開く」という、日本に古くから根付いた宗教の一種です。

言葉だけで見ると何の問題もなさそうに見えますが、政元の修験道への入れ込みぶりは並々ならぬものだったようで

ある日突然「ちょっと山へ修行しに行ってくる」と言ってフラリと出かけて、家臣たちが慌てて連れ戻したり

「俺は修験道を極めて、天狗になって空を飛びたいんだ!」と周囲に言いふらしていたとかいないとか・・・。

こうした逸話だけを見ても、当時の人は「かなり変わった人」という印象で政元を見ていたことは容易に想像できます。


さらに、修験道へ没頭する政元が抱えることになった現実問題があります。 後継者の問題です。

政元は「修験道を志す者は、女性と関係を持ってはならない。結婚などもってのほか」という信念を持っており

周囲がどれだけ妻をめとって子どもを作ることを勧めても、頑なに拒んでいました。 (戦国時代にも、似た境遇の大名がいましたね・・・女性説もあるあの人。)

しかし、由緒ある細川家の当主が跡取りを持たないのは許されることではなく、政元は養子をとって跡継ぎにすることにしました。

最初に政元の養子となったのは公家の九条家から迎えられた男子(※)で、「細川澄之(すみゆき)」と名付けられました。
(※)将軍・足利義澄とは母親同士が姉妹で、従兄弟の関係にあたる

ところが、細川家中では「細川の血をひかない者が跡継ぎなんて!」と澄之の家督相続に反対する勢力もおり、政元は細川家の分家からも養子をとり、元服して「細川澄元(すみもと)」となります。

さらにそのあと、別の細川家の分家からも「細川高国(たかくに)」を養子に迎え、政元には3人の跡取り候補ができたことになります。

政元自身は澄元を跡取りにするのが一番収まりが良い、と考えて澄元をかわいがっていたようなのですが

澄元や高国にもそれぞれの家臣や支持者がおり、彼らの反感も日を追うごとに増していってしまいました。


そして1507年、最悪の事態が起こってしまいます。 政元が暗殺されてしまったのです。

政元が行水(今で言うお風呂)をしていて無防備な状態を狙って、澄之の家臣が政元を襲撃し、命を奪ったといいます。

こうして、室町幕府を半ば私物化し「半将軍」と噂されるほどの権力と能力を誇った政元は、あっけなくこの世を去ってしまいました。

後に残ったのは、政元の養子たちによる血で血を洗う御家騒動と、政元に京を追われた前将軍・足利義材の逆襲です。

これらの解説は次回に回しますが、この後味の悪さこそ「政元が英雄になれなかった理由」ではないかな、とも思います。

やはり人間は生き様だけでなく、死に様でも評価されてしまうのかなぁ、という気がしたのでした(謎の感想)


それでは、今回はここまで。 また土曜日にお会いしましょう(ブログ自体は更新しますよ)。

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