そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
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【人生(仮)】新カテゴリー1回目は、「ダメな自分」についての客観的考察。

こんにちは。

昨日の今日で恐縮ですが、新カテゴリーを作りました。

題して【人生(仮)】『ジンセイカッコカリ』と読みませい。

人生を語るなんて何とも仰々しい感じもしますが、自分の中では語感が割と気に入ったので決めました。

なにせカッコカリなので、いろいろ迷いながら惑いながら、自分と周りの人の人生についてモヤモヤグルグル考えて、その輪郭を作っていきたいと思います。

それではその1発目ということで、今日の出来事から考えた『なんちゃって人生論』をどうぞ。


私には、どうも「自分はダメな人間だ」と考えるクセがあるようです。

今は多少落ち着いていますが、病院にかかる前はその傾向がひどくて、その場から動けなくなったこともあるほどでした。

仕事で失敗したとか、友人や同僚に無視されたとか、ブログのアクセス数(ツイッターのフォロワー数)が減ったとか、

まぁいろんなきっかけで発動する「自分はダメ人間」モード。 こうなると、もう何もかも「どうせ何やってもダメだから」となってしまいます。


でも、冷静に考えてみると、『落ち込んだ時』と『普段の気分の時』とで、自分の能力や他者からの評価は本当に異なるのか、と。

たまたま一度失敗しただけで、その人の存在や能力が全否定されなければならないとしたら、みんな「ダメ人間」になってしまうのでは。

だとしたら、『絶対的にダメな自分』というのは世の中に存在しなくて、理想の自分や優れた他人との「比較」が自分をダメに見せてしまうのかも。


例えば 『自分はあの同僚より仕事ができない、自分はダメだ』 と思った時。

心の中では、バリバリ仕事ができる自分でいたい。 仕事ができて、上司に認められたり部下に慕われたりする自分がいい。

でも、そうなるにはきっと相当な努力と時間が必要だ。 それ以前に、自分にはそこまで到達できる能力があるのだろうか・・・。

でも、仕事ができないと見下されるし、クビになるかもしれない。 でも、でも、でも・・・。

・・・というように、私にも経験があるわけですが、理想にたどり着くのを諦めて、現状に甘んじることを選んでしまう状態。

こんな自分でいるのも嫌だけど、報われるかどうか分からない努力をして、それが無駄になって今より傷つくのはもっと嫌だ。

見かねた隣人が『悩んでいるヒマがあったら、何か行動を起こせ!』と尻をひっぱたきたくなるのも最もなのですが、

本人は本人で『行動して傷つく痛み』『現状に甘んじる苦しさ』を天秤にかけたまま、一歩も動けないことだってあるのでした。


では、この状態から抜け出すための良い方法はあるのかどうか。

私が考える方法の一つは『生命や財産に傷がつかない範囲で、決断して行動する練習をする』です。

実際、私もあれこれ悩んで苦しんで、今日だって仕事で失敗して「自分はダメだー」となったのですが、どうにか立ち直れています。

なので、今この瞬間も「自分はダメだー」と思っている人にだって、そこから抜け出すためのチャンスは、必ず訪れるはずと思います。


ただ、現状の自分がどんなにダメでも、自分自身が動かないことには何も始まらないし、何も変えられないというのは間違いないです。

仕事やお金の問題はある程度周りの人がカバーしてくれる(ただし頼み方には注意)かもしれませんが、

例えば「アレが食べたい」とか「ぐっすり寝たい」というような、自分の生命の奥底から湧き上がる生理的欲求は

他人に頼んで自分の替わりに食べてもらったり寝てもらったりしても、満たされる訳ではありませんからね。

同じように、自分が「こうなりたい」とか「こうありたい」と思ったら、どんなに面倒でも自分が動いてどうにかするしかないのです。


でも、いざ行動するのは怖いですね。 これまでさんざん失敗して、『努力は報われない』と刷り込まれてしまった人には特に。

だから『生命や財産に傷がつかない範囲で』という但し書きをつけました。

『失敗するとケガや病気、最悪の場合命を失う恐れがある』ことや、『多額のお金を払って何かを手に入れようとする』のはやめておこう、ということです。

確かに、人生を大きく動かそう、ダメな自分を180度変えようと思えば、そのくらいのリスクを負わないと成功は手に入らないのかもしれません。

しかし、ひとまずダメな自分(だと思い込む事)を少しでも変えるには、小さな成功経験を積み重ねることが効果的ではないかと思います。

「自分で選んだ方法がうまくいった」なら、そのまま一つの成功経験になりますし

「自分で選んだ行動が失敗した」としても、「失敗しても、そんなに悪いことにはならない」ということが学べれば、立派な成功経験です。


「自分で決めることができない」のは、「選択を間違えたら大変な事が起こる」とか「選択を間違えた自分が許せない」といった思考・感情が邪魔をしていることもあります。

なので、例えば「今日のお昼はアレを食べに行こう」と決めて、いざ食べてみたら口に合わなかったとしても

「次の外食では、あの店(メニュー)はやめておこう」とか「まぁお腹壊さなければ大丈夫かな」くらいに思えれば、貴重な気づきになります。

こう書くと『外食のメニューと人生の選択を一緒にするな!』と怒られそうな気もしますが、

「自分で決めて、結果には自分が責任を持つ」という根っこの部分は同じじゃないですかね? うーむ?


・・・はい、時間的にも文章力的にも限界が近いので、今日はここまで。

こんな感じで、30数年生きてきて感じたことをゆるーくまとめていく新カテゴリー【人生(仮)】

次は1か月後かもしれないし、明日かもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。


最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

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