そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
日記、雑談、戦国、FX・・・まだまだ増えるかも? 気の向くままに言葉をつづります。
【人生(仮)】ぼんやりぼやぼや、考えた。 余白が無いと、新しいことを書き込めない?

こんばんは。

昨日今日と、10月にしては暑いくらいの陽気に恵まれた山陰地方です。

明日は私の地元・出雲市で大学生による駅伝大会、通称『出雲駅伝』が開催されます。

何年か前には台風の直撃を受けて中止になったこともありましたが、今年はその心配もなさそうです。

ただ、気温が上がる午後からの開催なので、今日みたいな温度だとなかなかハードなコンディションかも・・・

某民放テレビ局で全国放送もあります(はず)。  お休みの方は、よろしければチェックしておいてくださいませ。


さて、ご挨拶はこのへんにして今日の本題。

衆議院が解散し、新しい議員を選ぶための選挙への準備が着々と進んでいます。

一部の政党や政治家は既存の枠組みを崩して、新たな時代を作ろうと息巻いていますが、果たしてうまくいくのでしょうか。

・・・といっても、私ごとき一個人が、この弱小ブログで何か意見したところで世論に影響があるわけでもないし、

第一、政治ネタは『書いている自分自身が、面白いと感じられない』という難点があるので、ここでは別の視点から。


経済と雇用の問題や社会保障の財源、原発との付き合い方、外交・国防の在り方など、今回の選挙で論じられるであろうテーマはいくつもありますが

かつて(非正規とはいえ)教育現場に携わった私は、日本の『教育』をこれからどうしたいのか、というのも注目しています。

選挙を戦う各政党(政治団体含む)の政策公約をすべてきちんと確認したわけでないことは承知の上でお話しすると

こと教育に関しては『教員の育成・雇用のための財源の確保』とか『低所得世帯への教育機会の保障』も大事なのですが

『日本の将来を担う子どもたちに、どんな大人に育ってほしいのか』という信念を持っている候補者がどれだけいるのか、と。

これから猛スピードで変わっていくであろう日本と世界に対応するため、これからの子どもたちに本当に必要とされる力は何なのか。

こういった部分に強い信念を持っている人(なおかつ、ある程度の共感ができる人)が一人でも二人でもいれば、私はその人を応援したくなります。

『それは政治家じゃなくて文部科学省や現場の先生の仕事だろ』とか『政治と教育をいっしょくたに語るな』という意見もありそうですが・・・


言葉は適切ではないかもしれませんが、今までの『お受験のためのお勉強』だけでは、すでに現代においても通用しなくなっている気がします。

学校教育の役割として、社会に出るうえで最低限必要となる知識や学力をすべての子どもに保障する必要は、もちろんあります。

しかし、今の日本では”その部分だけ”、例えばテストの点数や学歴をありったけ伸ばすことだけが推奨されたために

それで人生を勝負しようとしたものの、”上には上がいる”で思わぬ挫折を味わう羽目になってしまった大人が、あまりに多すぎたのではないか、と。


具体的に言えば、『与えられた課題を期限までに、より望ましい形で仕上げる能力(学校の宿題はその練習?)』も、確かに社会で必要とされる場面は多々あります。

ところが、その練習だけをした代償に『出会ったことのない問題には、最初からお手上げ』となってしまっては、社会から”与えられた仕事しかできない大人”と評価されるでしょう。

(全国学力テストで、記述式の問題での”無回答(一切手を付けない)率”の高さが指摘されることからも、この傾向は危惧されます)

そして、コンピューターや人工知能などが発達を続ける中で、”ただこなせばよい仕事”は確実に人間の手から離れていきます。

あったとしても高齢者や海外出身者など、雇用側にとって”安く使える労働力”とみなされた人たちの間で、奪いあいになるでしょう。

最終的に『働きたいし稼ぎたいけど、自分にできて生計を立てられそうな仕事が無い』となってしまってからでは、手遅れなのです。

・・・これは私自身もひしひしと感じている危機感であるのは、言うまでもないのですが。


うん、真面目すぎて面白くもなんともないですね。 ここらでちょっとひねりましょうか。


私が小学生?くらいの頃、何となく見ていたアニメの主題歌に、こんな感じの歌詞が出てきました(著作権の都合上、若干デフォルメ)。

『頭は空っぽにしていた方が、夢や希望をいっぱい入れられる』

まぁ現実で頭を空っぽにしたら仕事や生活に重大な支障をきたすわいな・・・なんてツッコミは置いといて。

子どもの頃の自分はどうだったかな・・・と考えてみると、夢や希望は二の次でとにかくテストの点数や通知表の『5』が欲しかったような気が。

そのために、頭の中に隙間なく知識を詰め込んで、それを授業やテストではき出し、先生に褒められたい・・・だったのかなぁ。

そして、教員として子どもの前に立った時も、それができる子どもだけを褒めていなかったかなぁ・・・と、今になって反省したり。


もし今、何かの奇跡が起こってもう一度生徒の前に立てるとしたら、自分は何を伝えたいだろう。


『・・・知識を詰め込むのもいいけど、ちょっとは余白を残しておけよ』というのが、今日の時点での答えでしょうか。

これは、今の仕事で自分が感じていることとも関連しています。 ちょっと自分語りっぽくなりますが・・・

すでに5か月目に突入した仕事では、一通りのことはできるようになり、上司や先輩からも少しは認められるようになりました。

入ってすぐの頃は、とにかく目の前の仕事をこなすことで精いっぱいで、周りの人や状況を見る余裕などありませんでした。

それでも1か月、2か月と経つうちに自然に頭と身体が動かせるようになり、自分の仕事プラスアルファの事ができるようになったのです。

例えば、他の人が作業しやすいように障害物を動かしたり、新しく入ってきた人に作業手順や注意点をアドバイスしたり。

自分に”与えられた仕事”だけを脳にみっちりインプットすることも仕事をする上での一つの方法ですが、

そればかりでは”与えられた仕事”以上のパフォーマンスは生み出せないし、『替わりはいくらでもいる』と言われたらそれまで。


そうならないために、プラスアルファの部分をどんどん大きくしていかないといけないと思い、ある程度の余力を残して

作業に集中する必要が無いときには、意識的に周りの状況や他の人の動きを観察し、次に自分ができそうなことを探します。

いわばノートの端っこにわざと作っておいた『余白』の部分に書き込むような感じで、日々追加していくイメージです。

歌に出てきた『夢や希望』とは少し違いますが、このひと手間があることで、以前の仕事とは段違いにやりがいを感じています。

教育現場から離れたことで、自分の中で新たな考え方にシフトできた事は、今となっては好ましい変化だと思っています。

惜しむらくは、学校で教育を受けている時に気付けていれば・・・ と、過去を考えても仕方ないので、前向きに。


ひたすら数字や知識を競って、ノートや頭の中を真っ黒にした経験も、今の自分の何かには役立っているはずです。 

でも今は『それだけが人の価値じゃないし、他のやり方もあるんだよ』ということを

自分を含めた大人たちは、折に触れて子どもたちに伝えていく”任務”があるのでは、と思っているのです。

繰り返しになりますが、そんな想いと情熱を持った人が政治や教育の世界に現れれば、私は共感するし、応援したいです。


・・・ぼやぼやの割には、話がふくらみすぎてしまいました。 でも、たまにはこういうのもいいですよね?(←自己弁護乙)

明日あたりは、この反動が来ると思います。 どんなくだらない話が来ても、驚かないでくださいね。

では、また。

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