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【戦国時代】シリーズ「落日」幕間 戦国武将のお名前事情

こんばんは。

今週も土曜日が来たということで、連載企画「落日 ~室町幕府、終焉への道~」をお送りします。

前回の記事第2章「流浪する将軍」の結びとなりましたので、今回はまた章の変わり目の”幕間”として

歴史の本筋から少し離れて、豆知識的な話題をお届けしたいと思います。


さて、このブログを読んで下さっている方で、『歴史に興味がある』という方はどのくらいの割合になるでしょうか。

ブログランキングでも”戦国時代”カテゴリーに籍を置いている関係上、歴史好きな方が多いのではないかとも思います。 

もちろん、あまり歴史に興味がないにもかかわらず、日常のグダ話(苦笑)に紛れた歴史記事にうっかり目を通してしまった方もいるでしょう。

そういう事も考慮して、歴史好きにしか伝わらない難しい表現はなるべく使わずに書くようにはしていますので、そこはご容赦を。

でも、ここの記事を通して一人でも多くの方が歴史にちょっとでも興味を持てたとしたら、毎週書いている労力も報われるというもの・・・

え、早く本題に入れって? 失礼しました。


なぜこんな話から入ったかというと、歴史(特に日本史)が難しいと思われている原因の一つに

『人物の名前がなかなか覚えられない』という問題があるのではないか、と思ったからです。

戦国武将について『”信○”とか”△政”とか、似た名前多すぎやろ!? 誰が誰か覚えにくいわ!!』と思ったことがある方は、多いのではないでしょうか。

確かに、このブログで書いてきた足利将軍家管領職・細川家の当主となった人物は、時代が変わっても同じような名前が続いています。


足利家:足利義勝 ⇒ 義政 ⇒ (中略) ⇒ 義澄 ⇒ 義晴

細川家:細川勝元 ⇒ 政元 ⇒ (養子) ⇒ 澄元 ⇒ 晴元



この現象は偶然や受験生への嫌がらせ(!?)ではなく、ちゃんとした根拠があるんだよ、というのが今日のお話です。

すでにその辺の事情をご存じの方、また知らなくても勘の鋭い方はお気づきかもしれませんが、彼らの名前にはある”決まり事”があったのです。

室町時代の有力者であったこの両家の当主の名前は、次の2つの法則で説明することができます。


法則その① 同じ一族で繰り返し使われる漢字がある

これは多くの方が気付いておられるでしょうし、改めて説明するまでもないかもしれませんが

足利家は『義』、また細川家は『元』同じ一文字が繰り返し使われているのがわかります。

これは戦国時代に限らず、古くからの由緒がある家や一族に多くみられる『通字(とおりじ)』という決まり事で

先祖代々続く家の通字を継承することが、名実ともにその家の主として認められた証となっていたようです。


例えば、中国地方を制覇した毛利氏の一族は、細川家と同じ『元』の字を通字としていました。

これは、毛利氏の祖先とされる鎌倉時代の武将・大江広元(おおえのひろもと)に由来したものとも言われています。

最も有名な毛利元就を中心に見ると、父親の名は弘元(ひろもと)、兄は興元(おきもと)。

長男の隆元(たかもと)に次男の元春(もとはる)、そして孫の輝元(てるもと)と、見事に『元』の字が受け継がれています。

そういえばなんで三男だけ『隆景(たかかげ)』で『元』がないんだろう・・・ 四男以降は『元清』『元秋』と元に戻っているのに(謎)


しかし、苗字が同じ一族の中でも『本家か分家か』『実の子か養子か』などによって通字が異なる場合もあり

全ての戦国大名家や主要武将にピッタリあてはまるわけではありませんが、一族のつながりを理解する上では大切な要素です。

これを知っているだけでも、武将同士の親子・兄弟などの関係が整理しやすくなると思います。


要素その② 目上の相手から名前の一字をもらう風習がある

こちらはその①に比べるとパターンが多く、シンプルに説明するのが難しいところもありますが

あえて簡単に言えば『自分にとっての偉い人から、一文字を譲ってもらう』ことが当時の武将たちの”処世術”だった、というお話です。


足利将軍家細川管領家の関係で言えば、明らかに格上なのは将軍である足利家であり、細川家はその部下です。

足利家の当主は『これからも足利家のために働いてほしい』という意味を込めて、細川家の当主に自分の名前の一文字を与えるのが当時の”しきたり”になっていました。

もう一度、足利家と細川家の歴代当主の名前を比べてみると、見事にリンクしているのがわかります。


足利家:足利義 ⇒ 義 ⇒ (中略) ⇒ 義 ⇒ 義

細川家:細川元 ⇒ 元 ⇒ (養子) ⇒ 元 ⇒ 



これは細川家の当主にとっては”押しつけ”や”ありがた迷惑”のようにも見えますが、細川家は細川家で

他の大名家に対して『うちの背後には足利将軍家がついているんだぞ!』とアピールできる利点もあり、歴代の当主がこのしきたりを踏襲(とうしゅう)したというわけです。

もちろんこれまでの経緯を見る限り、政元以降の細川家当主が足利家に忠誠を誓っていたとはとても言えないのですけどね・・・ あくまで形だけ、いうことでしょう。


なお、この法則②も①と同じように、他の戦国大名家でも当たり前のように行われていたことが知られています。

同じ例で恐縮ですが、①でも登場した中国地方の毛利氏は、近隣の大大名・大内氏の勢力下に長い間置かれていました。

そのため、毛利家の代々の当主は大内氏のご機嫌を損ねないように(?)、その当主から名前の一字をもらっていたのでした。

元就の父・元は大内政(まさひろ)から、元就の兄・元は大内義(よしおき)から。

そして、元就の長男・元も大内義(よしたか)から一字をもらうというように。

(元就自身が字をもらわなかったのは、”本来なら毛利家を継げる立場ではなかった”ことが関係しているかもしれない)


この他にも、後世によく知られている名前以外に”このルールで改名した”戦国武将もたくさんいるので、調べてみると面白いかもしれません。

例えば上杉謙信。 歴史に詳しい方なら”長尾景虎”や”上杉政虎”のほうがしっくりくるかも・・・。

彼の場合は名前だけでなく苗字まで他所からの頂き物だったりします。 その辺の経緯はまた機会があれば・・・(そればっかり)。


最後になりますが、大事な名前をそんな”つぎはぎ”みたいに作り替えていいの!?ということについて。

実はよく知られている戦国武将の名前というのは、当時の武将たちの日常会話で使われることはほとんど無かったといわれます。

当時は他者が会話の中で、とりわけ本人に向かってその名前で呼ぶのは”スゴイ・シツレイ”にあたると考えられていて

ドラマとかでよくある『信長様!』なんて呼び方は、実際には許されるものではなかったようです。(これって以前も書いたような・・・?)


その代わりとして、当時の戦国武将には普段呼び合うために使われる”別の名前”がつけられるのが普通で

2016年の大河ドラマ『真田丸』を見ていた方なら、主人公・真田信繁(幸村)が『源次郎(げんじろう)』と呼ばれていたのを思い出してもらうと早いです。

また、特に会議や外交などフォーマルな状況下では、相手を朝廷や幕府から与えられた官職名で呼ぶこともありました。

これも『真田丸』で信繁の父・真田昌幸が『真田安房守(あわのかみ)』と呼ばれていたのが記憶に新しいです。

現代でも、会社の上司や他社の人を『山田課長』とか『鈴木専務』と呼ぶのに似ているかもしれません(本当かよ)。


まとめとしては、当時の戦国武将の名前というのは”その人自身の持ち物”というよりも

生まれた家の歴史や一族の結束、また隣近所との付き合い方によって作られていくものだということです。

そのため、一人ひとりの名前だけを手あたり次第に覚えても、その根本にある時代背景や人間関係が見えづらく

トータルで見れば”かえって訳が分からなくなる”事態に陥りかねない、と思ってしまいます。

まずは興味のある人物からでいいので、その人物の名前に関係したと思われる相手を調べながら覚えていくと

その人物が生きた時代の情勢や人間関係などが頭に入りやすいかもしれません。 

地元で有名な大名とか武将について改めて調べてみると、意外な発見があるかもしれませんよ? 秋の夜長に、いかがでしょうか。


というところで、今回もあれこれ語ってしまい長くなりました。

次回からいよいよ本編の第3章『最後の煌(きら)めき』が始まります。

すでにその権威は名ばかりのものと化した室町幕府は、このまま滅びへの道を突き進んでしまうのか!?

それでも時代の波に抗い名だたる戦国武将たちと渡り合おうとする、室町幕府最晩年期の将軍たちの雄姿にご期待あれ。


ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

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