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【戦国時代】シリーズ「落日」第3章・12 裏切り者にも”義理”はある!? ~信長包囲網・ラウンド1~

こんばんは。

歴史ネタが好きな方もそうでない方も、土曜日は連載企画「落日 ~室町幕府、終焉への道~」をどうぞ。

前回の記事では、天下布武(てんかふぶ)の達成を目指す織田信長の軍事力を頼りに

室町幕府の本拠地・京への帰還を果たし15代将軍となった足利義昭が、いろいろあって信長と微妙な関係になったところまでお話ししました。

そして今回は、両者の対立がヒートアップして・・・とまでは言えませんが(言えないんかい)、信長の軍勢とそれに対抗しようとする勢力との争い、

後世の歴史ファンから『信長包囲網』と呼ばれる、信長に対する大規模な共同戦線が張られるまでの経緯を見ていこうと思います。


まずは前回のラストシーンをおさらいすると・・・

信長の助けもあって将軍になったはいいものの、信長から「俺の許可無しに、勝手に動いちゃダメ!!」と言われてしまった義昭は

「信長が言う事聞かなくて困るの・・・ どうしたらいい?」と、助けを求める文書を(信長の目を盗んで)諸国の大名に送りました。

そのうち、越前(福井県)を治める朝倉義景(以前、将軍になる前の義昭をかくまっていた)が義昭と連絡を取り合っていることを知った信長は

「俺に内緒で何相談してんの? やましい事が無いなら上洛して説明してよ」と伝えましたが、義景は動きませんでした。


この朝倉氏と信長の織田氏は、元をたどればどちらも越前の守護大名・斯波(しば)氏の家臣でした。

越前の他に尾張も領地としていた斯波氏の命令で織田氏は尾張に行き、戦国時代になって信長が尾張を統一したのです。

朝倉氏には『かつて同僚だった織田の成り上がり者に頭を下げるなんて、できるものか』というプライドがあったのでしょうか。

一般的には「義景が○○(自主規制)だったから」と理由づけされることが多い”義景の上洛拒否”ですが、実は先祖代々の因縁も原因だったのかも?


とにかく、義景が上洛しないことを「幕府に対する謀反の兆し」と決めつけた信長は1570年、3万の大軍を率いて越前へ攻め入ります。

突然の敵襲に朝倉軍は浮足立ち、信長軍は連戦連勝。 朝倉氏の本拠・一乗谷への攻撃も時間の問題と思われていました。

ところが、ここで朝倉軍にとっては”天の助け”、そして信長にとっては”天国から地獄”の事態が発生します。

信長の妹・市(いち)と結婚し、織田氏と同盟を結んでいた近江(滋賀県)北部の大名・浅井(あざい)長政の軍勢が

『朝倉軍と協力して織田軍を挟み撃ちにするため、近江から越前に向かっている』という知らせがもたらされたのです。

自分の妹を嫁にもらった長政が、まさか自分を裏切るとは・・・ さすがの信長も「ウソだろそれ!?」と口走ったとか(『信長公記』の超意訳)。

それでも挟み撃ちにされてはひとたまりもないと、信長は越前攻略を諦め撤退を開始。 迅速な判断のおかげで、被害も少なく窮地を脱出しました。

(後に天下人となる木下秀吉が撤退戦で活躍したり、市が信長に”小豆入りの袋”を送ったりした逸話もあるが、説明は割愛)


これも一見すると『嫁の実家を一方的に裏切るなんて、長政はなんてひどいやつだ!』という感想を持たれる方もいるでしょうか。

それでも浅井氏には浅井氏の事情がありまして・・・ 簡単に言えば”浅井氏は信長への義理より、朝倉氏への義理をとった”という話でして。

これも歴史好きには基礎知識かもしれませんが、浅井氏と朝倉氏は戦国時代の隣国同士では珍しく良好な関係を築いていました。

浅井氏が近江南部の六角氏に圧迫されて窮地に陥った時には、朝倉氏が援軍の派遣や資金援助など、様々な助けをしたともいいます。

その恩を忘れていなかった長政(一説には、長政が隠居させた父・久政とその取り巻きたち)は、信長との同盟の条件として

『同盟があるうちは、信長は朝倉氏と事を構えないでほしい』と頼んでいたのですが、信長がそれを反故(ほご)にする形になったのです。

義昭が長政に直接『信長をやっつけてくれ』と頼んだかどうかは分かりませんが、とにかく浅井氏も朝倉氏と共に、信長包囲網の一翼を担う形になりました。


朝倉と浅井、2つの大名家を敵に回すことになった信長ですが、それでも軍事的優位は動きませんでした。

越前から決死の撤退を果たしたおよそ2か月後、織田軍は同盟相手の徳川軍とともに浅井氏の本拠・小谷(おだに)城近くへ侵攻。

浅井軍とその援軍の朝倉軍がこれを迎え撃ち、これも歴史好きには有名な”姉川の合戦(※)”が起こります。

(※)”姉川の戦い”について、実は様々な呼び名が残されていることは、以前この記事で紹介しております。

結果は織田・徳川軍の辛勝、といっておきましょうか。 浅井・朝倉軍を撤退させたものの、織田軍の被害も大きかったようですので。


そして。 ここからが”信長包囲網”の本番。

信長に対抗しようとする勢力が出てきたことに勇気づけられた(?)のか、かつて信長に京を追われて四国に避難していた

”三好三人衆(それぞれの名前は思い出せなくても大丈夫)”が、再び京を支配せんと本州へ上陸してきます。

「これはまずい」と思った義昭、あわてて信長を京へ呼び戻し(この時点では両者の関係は破たんしていません)

彼らと長年敵対していて、信長とは仲が良かった大和(奈良県)の松永久秀とともに、三好軍を迎え撃つことに。

三好軍だけなら何の問題もなく勝てるはずの織田軍なのですが、背を向けている形の浅井・朝倉両軍の動きも気にしながらで、戦況は一進一退。

そして、信長にとって再び”天国から地獄”となる知らせが・・・ 「そんなんウソやろ・・・!?」信長が激しくうろたえたという、その知らせとは!?


おっと、ここで今日はタイムアップ(ネタ切れともいう)。  続きは次回ということで。

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