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そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】厳島の戦い~戦国時代の中国地方・13~
こんばんみ。

今日、中国地方が梅雨明けしたらしいです。

本格的な夏の到来も近いですね。


さて、この連載も一つの山場を迎えます。
※これまでの経緯をおさらいしたい方はこちらから。

大内義隆に背き、その勢力を事実上引き継いだ陶晴賢

その晴賢と決別し、安芸に基盤を築いた毛利元就

ついに全面衝突することになります。

その舞台は瀬戸内海に浮かぶ厳島(いつくしま)です。

続きは追記からどうぞ。
‐‐‐‐‐‐



決戦の時は1555年。

周防から安芸に侵攻した陶軍2万に対し、迎え撃つ毛利軍はおよそ4千

まともに当たっては勝ち目が無いと判断した元就は、策を練ります。

元就は決戦の場を瀬戸内海に囲まれた厳島に定め、

そこに出城となる宮尾城(みやおじょう)を築かせたのです。


元就の狙いは大きく分けて2つ。

1つは、平地が狭く海に囲まれた厳島に晴賢の大軍を上陸させることで

敵兵が動きづらく逃げにくい状態を作ること。

もう1つは、毛利軍が前々から協力を要請していた

水軍(すいぐん)の効果を最大限に生かすことでした。


水軍というのは、瀬戸内海などの海に面した地域の大名や国人領主が

独自に編成した、今で言う海軍のような組織です。

特に当時の瀬戸内海には多くの水軍組織が乱立し、

時には水軍同士の勢力争いや船団による海戦も起こっていたようです。

元就の三男・隆景(たかかげ)が当主となった小早川家も古くから水軍を組織しており、

そうした背景もあって、毛利氏は多くの水軍組織からの協力を取り付けていました。

元就は、数に勝る陶軍を破るには彼らの助力が不可欠と考えたのです。


一方、晴賢は安芸国内で思うように兵を進めることができず、

戦況を打開する方法を探していました。

そんな折、こんな噂話が陶軍の陣中に流れます。

「元就は、厳島に城を築いたことを後悔しているらしい。

 家臣たちも『宮尾城を落とされたら毛利は終わりだ』と嘆いているそうだ。」



この話は、当然晴賢の耳にも届きます。

「これは好機だ」そう思った晴賢は、全軍で厳島を攻めることを命令します。

元就の仕掛けた罠だ、と言って止める者もいたようですが、

戦には自信のある晴賢のこと、一度決めたら止まりません。

こうして晴賢が率いる2万の兵は、舟を使って厳島へと進軍していきました。


陶軍は厳島に上陸し、さっそく宮尾城を包囲します。

しかし、そこに毛利軍の主力の姿はありません。

『毛利家の命運に関わる重要拠点』と言うわりには、守りが薄すぎます。

「これはおかしい、やはり罠だったか」晴賢は察しましたが、時すでに遅し。


ほどなくして、宮尾城の裏手にある山の方から声が上がります。

島の反対側から上陸した毛利軍が、山を越えて襲いかかってきたのです。

狭い平地に2万もの兵がひしめいている中で、まさかの敵襲。

元就の狙い通り、陶軍はたちまち大混乱に陥りました。


さらに、追い打ちをかけるように海の方からも迫る影。

晴賢への援軍を装って接近した、小早川隆景らの率いる水軍の船団です。

慌てて逃げようとする陶軍の兵が乗った舟を追い回し、混乱に拍車をかけます。

進路も退路も断たれた晴賢は、間もなく自害して果てました。35歳でした。

主を失った陶軍の兵は、散り散りになって退散するほかありませんでした。


これが、瀬戸内地域の覇権が大内氏から毛利氏の手に移った瞬間です。

元就が毛利家の当主となってから、実に30年余りが経っていました。


この厳島合戦は、後に『戦国時代の三大奇襲戦』の一つとして語り継がれます。

(残り2つは、以前紹介した「桶狭間の戦い」と、関東で起こった「河越城の夜戦」です)

同時に『智将・毛利元就』の評価を決定づける戦いでもあったと思います。

元就は「世の中、うまく頭を使った者が勝つのは当然だ(※超意訳)」という言葉を残していますが、

それを地で行く戦いであったともいえます。
※原文「謀(はかりごと)多きは勝ち、少なきは負ける」


元就の人生については、これでひと段落ついたので

次回は少し目線を変えて、これまであまり触れてこなかった

中国地方東部(鳥取・岡山など)の戦国時代の様子について書いてみたいと思います。





コメント
▼この記事へのコメント<(あれば表示)
奇襲の話、面白かったです。やはり、知恵がものをいいますね。ちょっとドキドキして読みました。私はやはり歴史が好きなのかもしれない。いや、今までの歴史の話には血が通っていなかったかもしれません。ありがとうございます。おかげで歴史に興味がわいてきました。
2015/07/20(月) 22:43:03 | URL | by丹後のきんちゃん (#-) [ 編集]
こんにちは!
無事復活されて何よりです。

毛利元就、戦略家ですね!
小よく大を制するためには、どの戦でも
戦略(戦術、もしくは策略というのがただしいでしょうか?)
が大事なんですね。

一騎当千の勇者に負けず劣らずかっこいいと思いました。

それでは、また。
2015/07/20(月) 22:55:26 | URL | bykidsweet (#-) [ 編集]
お返事です
まこな。です。
コメントありがとうございます!

>丹後のきんちゃん さん

実は私も歴史の勉強はあまり得意ではなく、
社会に出てからいろいろ学習した感じです。

このブログでは、教科書的な説明というよりも
その人物のエピソードや心境なども交えて
自分なりの戦国時代の「物語」を
読みやすく丁寧に書いていこうと考えています。

今回のコメントは私にとって大変嬉しいものです。
これからもご期待に沿えるように頑張りますので、
よろしくお願いします。


>kidsweet さん

ありがとうございます。
お待たせしてしまいましたね。

毛利元就は、数多くの戦国武将の中でも
一、二を争うほどの「成功者」といえる気がします。

いわゆる「下剋上」や「一騎当千」のような
派手な活躍のイメージは無いのですが、
準備を万端にして行動に移し、勝利を収める。

敵に仕掛ける謀略の鮮やかさが目を引く一方、
非常に堅実な性格の持ち主でもあったと思います。
現代に生きる私たちも、学ぶところが多い気がします。

元就の生涯もあと少しですが、ぜひお付き合いください。
2015/07/21(火) 20:13:20 | URL | byまこな。 (#-) [ 編集]

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