FC2ブログ
そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】ワールドカップも気になりますが、日本には”蹴鞠”があるじゃないか!

こんばんは。

本日は、昨日の夕方降ってきたネタを料理してみたいと思います。

タイトルですでにバラシてますが、そのテーマは『蹴鞠(けまり、しゅうきく)』

『なんで突然”コレ”が降ってきたのか』と聞かれても、自分でも分からないので答えようがありません。 あしからず。

まぁ、もうすぐサッカーのワールドカップが開催されるみたいだし、無理やり繋げられなくもないですが

ここ最近は戦国ネタを書いていない気もするので、そちらに寄せる感じで書いてみることにしましょうか。


まず、蹴鞠という競技が生まれたのは、紀元前300年頃の中国だといいます。

今回調べた範囲では『軍の訓練の一環として行われたのが最初らしい』とのことですが

『1つの鞠(ボール)を地面に落とさないように、複数人が交代で蹴りあう』という、基本ルールはすでに出来上がっていたようです。

その後は地域によって様々な進化を遂げ、『チームを組んでの団体戦』や『”ゴールに入れる”というゲーム性』を持つものなど

現代で言うサッカーやセパタクロー(足も使えるバレーボール)に近いルールが作られた例もあるみたいです。


時代が下るにつれて、主に貴族や官僚といった”上流階級の娯楽”として定着した本家中国の蹴鞠。

宋の時代(西暦1100年頃)には、『蹴鞠が上手い』というだけで時の皇太子に気に入られ

後に国家を裏で操るほどの権力を手にした男の逸話もあります(興味のある人は『水滸伝』を読んでみよう)。

ところが、明の時代になると蹴鞠に熱中するあまり本業をおろそかにする者が続出し、政治の腐敗や風紀の乱れが社会問題化。

ついには『蹴鞠禁止令』まで出されたため、現代の中国ではすっかり廃れてしまっているのでした・・・。


一方、日本に蹴鞠が伝わったのは、西暦600年頃といわれております。

後に「大化の改新(645年)」を成し遂げた中大兄皇子と中臣鎌足が『蹴鞠を通じて知り合った』という伝説があったり

”701年に日本で初めて『蹴鞠の大会』が開かれた”と伝える文献があったりで、正確な時期は分かっていません。


平安時代を迎えると、蹴鞠は運動不足を気にする(?)貴族の間で大流行し、私たちの知る『日本式蹴鞠』の基礎が形成されます。

そのブームの過熱ぶりは、貴族たちが競って自分の屋敷に専用の競技場や練習場を作るだけにとどまらず

蹴鞠の技術や作法を他人に教えることで生計を立てるという、今風に言えば”プロのケマリスト(??)”まで現れるほどでした。

ついには自分の子孫にも蹴鞠の特訓を積ませ、”蹴鞠の名門”として後世に名を残した家もあるとか、ないとか・・・。

それでも中国みたいに禁止令が出されなかったことを考えると、仕事に支障が出ない程度に楽しんだということでしょうか。


さて、現代人には『蹴鞠は貴族の遊び』というイメージが強いのですが、実際は武士や庶民の間でも親しまれたようです。

戦国時代の武将たちの間でも、体力作りや人付き合いの一つとして蹴鞠を習う者が多かったといいます。

とはいえ、”合戦での働き”を仕事とする戦国武将の肉体鍛錬としては、蹴鞠だけでは物足りなかったようで

有名な戦国武将の中で、積極的に蹴鞠を行ったという記録が残る例は、はっきり言って多くありません。

織田信長の『相撲』徳川家康の『鷹狩り』など、合戦にも役立つような種目がもてはやされたのです。


そんな風潮の中で、”異色”といえるほど蹴鞠に情熱を傾けた戦国武将がいました(やっと今日の本題!)

駿河・遠江(静岡県)を治めた『戦国大名今川家』最後の当主(※)・今川氏真(いまがわうじざね)であります。

(※)氏真の一族は後世に続いたが、『戦国大名としての今川家』は彼の代で滅びた、という意味です

ご存知の方も多いでしょうが、もともと今川家は幕府や朝廷との縁が深く、代々の当主は武士でありながら

朝廷の貴族や幕府の要人と交流する機会が多かったため、蹴鞠も”社交術の一つ”として習得していた面があります。


余談ながら・・・氏真の父・義元が桶狭間の戦いで無様な戦死を遂げた理由として

『貴族趣味に走り、武芸の鍛錬をおろそかにしたから』と書かれることも多いのですが

これは江戸幕府が『武士の本分は質実剛健』と刷り込むために流布した後付けの理由、とも言われております・・・もちろん諸説ありですが


とはいうものの・・・義元の存命中から蹴鞠だけでなく和歌や芸術鑑賞を好み、政治にはあまり関与しなかったという氏真は

桶狭間の敗戦で動揺する家中をまとめ切ることができず、義元の死から10年足らずで今川家の領地を全て失ってしまいます。

このことから戦国武将としての能力は最低レベルと言わざるを得ない氏真ですが

”しぶとく生き延びる力”はある意味一級品で、そこに蹴鞠の素質も絡んでくる逸話がございますので紹介しておきます。


住み慣れた駿河を追われた後、いろいろあって徳川家康のもとに身を寄せていた氏真。

ある時、京に出かける用事があった氏真は、家康の仲介で父の仇・織田信長と会うことになります。

下手すれば一触即発、修羅場になりかねない展開でしたが・・・ 信長を目の前にした氏真の第一声は「一緒に蹴鞠をやらないか?」

『自分を憎んでいるはずなのに、蹴鞠に誘ってくるとは・・・何を考えているのか?』と、あっけにとられた信長でしたが

家臣に「俺の代わりに相手してやって」と言い(信長は蹴鞠が得意ではなかったらしい)、その試合(?)を観戦した、というお話です。


復讐の「ふ」の字も出さない”愚かな”自分を演じることで、『信長に警戒心を抱かせないように』という計算が氏真にはあったのかもしれないですが

自分の特技である”蹴鞠”を活かした結果として会見の場は和み、最終的には77歳で亡くなるまで悠々自適な生活(※)を送れたのですから

若い頃の彼が蹴鞠を極めるのに費やした時間と努力は、戦国乱世を生き延びるのに役に立ったといえそうです。

(※)収入の面で言うと、彼の貴族階級との人脈に目を付けた秀吉や家康から城主待遇で雇われたことが大きいと思われる


まとめとしては・・・やはり「芸は身を助く」というか、好きな事を極めておくと役に立つこともあるのですなぁ(謎の感想)

その上で、自分の特技や好きな事をどうやって社会に売り込んでいくか、会社単位でなく個人個人が考える必要もありそうです。

・・・ワールドカップうんぬんから、妙に自己啓発めいた内容になってしまいましたが。  蹴鞠でここまで話が飛躍するかね、自分。


そんなわけで、明日からの4連休が楽しみな方も、まだまだ仕事という方も。

肩の力をほどよく抜いて、休める時には休んで、ぬかりなく乗り切っていくとしましょうか。

では、また明日。

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村




コメント
▼この記事へのコメント<(あれば表示)

■ コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

▼この記事へのトラックバック(あれば表示)