FC2ブログ
そのブログ、雑食系につき ~新・気づかれないうちに~
1000回を節目に、プチリニューアル。 日記とか雑談がメイン、たまに戦国時代・時事ネタ・人生観など。
【戦国時代】大森銀山を巡る駆け引き~戦国時代の中国地方15~
こんばんは。

早いもので、7月もあと1週間ですね。

8月は今よりもっと暑くなるのでしょうか…。


今日は「戦国時代の中国地方」の記事になります。

数えること、15回目。そろそろひと区切りつけたいところです。
※過去の記事はこちらのページから見られます。

それでは、行ってみましょう。
‐‐‐‐‐‐



さて、陶晴賢を厳島で破った毛利元就は、

その余勢を駆って大内氏の領地に攻め込みます。

大内家の武を支えてきた晴賢を失った大内軍に、

もはや毛利軍を押し返すだけの力はありませんでした。


大内氏の配下武将も次々と元就に寝返り、

1557年、ついに当主の義長(よしなが)は自害に追い込まれました。

長きにわたって周防の地に勢力を誇ってきた

名門大名・大内氏はここに滅亡しました。


これにより、中国地方の覇権争いは

毛利氏と尼子氏の一騎打ちという形になります。

この両者の間で重要な拠点となったのが、

石見(いわみ)にある「大森銀山(現在の島根県大田市)」でした。

石見銀山』の名でも知られ、現在は世界遺産に登録されています。


戦国時代の日本では、全国各地で金や銀が採掘されていました。

特に銀の産出量が多く、この時代に世界で産出された銀のうち

およそ3分の1を日本製が占めていたといいます。

その中でも当時の大森銀山は国内屈指の産出量を誇り、

そこから生み出される利益は、周辺の大名たちにとって

計り知れないものがありました。


実は、大内氏が健在だった時代から、大森銀山は

大内氏と尼子氏の間で何度も支配者が入れ替わっていました。

大内義隆の死後、毛利氏も介入するようになったというわけです。

元就は、長年続いた銀山の争奪戦に終止符を打つため、一計を案じます。


1562年、尼子氏から銀山近くの山吹城(やまぶきじょう)を奪取した元就は、

これまで誰もとらなかった行動に出ます。

大森銀山の所有権を、朝廷と幕府に『献上』してしまったのです。

こうすることで、大森銀山は表向きには「公のもの」として扱われますが、

その見返りとして毛利氏は朝廷から銀山管理の実務を一任され、

管理料として銀山で産出された銀の一部を得ることになりました。

朝廷からの指示であれば、尼子氏など他の勢力が介入できる余地はありません。

結果、銀山に由来する収入は事実上、毛利氏が独占できる状態となったのです。


『戦で勝つよりも、戦をせずに勝つ』。当時の兵法で最も良いとされた勝ち方です。

ここにも、元就の「頭を使った者が勝つ」の哲学が垣間見えますね。


とはいえ、尼子氏もやられっぱなしではありません。

精鋭部隊と言われた「新宮党」は解体されてしまいましたが、

この時代の尼子軍の中心的な存在となっていた一人の武将がいます。

「鹿介(しかのすけ)」の通称で知られる、山中幸盛(やまなかゆきもり)です。

彼の奮戦が、毛利氏の中国地方制覇に待ったをかけます。


そして、前途洋々、順風満帆に見える毛利家にも一大事の予感が…。

風雲急を告げる次回、どうぞお楽しみに。




コメント
▼この記事へのコメント<(あれば表示)

■ コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する